第20話 怪我

「いろんな噂はありますが、陛下が体を斬られたことは数回ほどしかありません。恐ろしく悪運が強いというか、物凄く剣の腕には優れていらっしゃるので。ですから、先程のように自分の怪我が原因で血塗れになることはほとんどないんですよ。ちなみに、俺はあいつの血塗れの姿は見たことがありません。返り血を浴びたところは見ましたがね」


にこりと微笑んだまま、サイネイトは窺うように見つめてくる。


「今度は、とおっしゃいました?」


彼の姿を見て動揺のあまり余計なことを口走ってしまったらしい。

テネアリアはぎゅっとスカートを握りしめながら、平静になるように努めつつ答えた。

きっと彼から視線を外してはいけない。

優秀な補佐官は、視線一つにも疑惑を向けてくる。

せっかくここまで来て、彼の傍にいられる権利を得たのに、みすみす逃してなるものか。

テネアリアにとって一番の味方になる筈の彼は、裏を返せば一番の敵にもなりうるのだと肌で感じた。


「噂で怪我を負ったとお聞きしました…3年ほど前の戦争で山の中で襲われ孤軍奮闘されたとか。その際に、大怪我を負われたと……」

「ふうん、なるほど噂ですか。3年前と言えば、ベルログ山の戦いですか。確かにあれは大変でした。味方からも裏切りが出て、陛下も一時行方知れずになったのです。山の中まで追い込まれて……発見された時には確かに血塗れだったと聞きました。汚れていないところはなかったとか。因みに、どこを怪我したかお聞きになりましたか」

「え、肩と脇腹ですよね?」


記憶を頼りに答えれば、傍に控えていたセネットがはっと息を呑んだのがわかった。

そこで、自分が答えてはいけないことを彼に告げてしまったと知った。


「そうですか。肩と脇腹、二ヶ所と妃殿下はお聞きになりましたか。セネット?」

「私は脇腹しか、…聞いておりません」


言いづらそうに、目を伏せつつセネットは答えた。


「脇腹の傷は隠しようがないので公表はしています。そもそもそれほど深い傷でもありませんでしたから致命傷にはなり得なかったので。ですが、肩の傷は極秘です。上から真新しいマントを被せて傷を隠していた。知っているのは戦場にいた極々限られた人だけなのですよ」

「……何故でしょう?」

「純粋に深かったんです。手の施しようもなく、怪我が治ったあともその時の傷の影響で僅かに動きが制限されるからです。幸い利き腕ではありませんでしたが、弱点にはなる。だからこそ、誰も知らない怪我なのですよ」


淡々と説明する補佐官に、テネアリアは続く言葉が見つからない。

途方に暮れた気持ちで黙っているとにわかに廊下が騒がしくなった。


「何事でしょうか」


警戒して扉を見つめるセネットの視線の先、ばたんと扉を開けて物凄い勢いで飛び込んできたのはテネアリアの侍女だった。


「ツゥイ、どうしたの?」

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