第46話 信じる(アタナシヤ視点)
セネットは一時、アタナシヤの父親だった。母と恋仲になった騎士だったらしい。
もちろん、その時の記憶はないけれど、初めて王宮で見かけた時に、母から何かあれば彼を頼るようにと教えられた。
正直、味方など一人もいない王宮生活で、母に言われたとはいえ簡単には信じられなかった。血のつながった家族からすら見捨てられているのに、血のつながらない他人に受け入れられる気がしない。傷つけられ過ぎていて、心はすっかり磨耗していたから。
むしろ、同じ生活を送っている母が彼を信じていることに驚愕したともいえる。
けれど、母が病を得て亡くなり一人になったとき、やはり思い浮かんだ相手は彼だったのだから、刷り込みとは恐ろしいものだ。
王宮でたまたますれ違った時に、声をかければ彼は泣き笑いのような顔をされた。その印象的な表情に、彼を信じた母を信じてみようと思った。
あれから10年。
帝国への間諜などという危ない橋を渡りつつ、セネットはアタナシヤを保護してくれた。
彼の持つ力の届く範囲で、守ってくれた。あからさまにやれば王やその家族が不快に感じるだろうと、そのギリギリの範囲を見極めて。
最終的に、彼はこの国に見切りをつけたようでアタナシヤが亡命できるように算段をつけてくれた。
一筋縄ではいかなかったけれど、これまでの生活を思えば希望に満ちた話だった。
そうして謁見を許されたのは、一人の少女だった。
年はアタナシヤと同じ十五。
けれど、すべての深淵を見透かしたかのような新緑の瞳が、人形よりも整った美貌が、彼女を形成する何もかもが美しいと表現できるような少女が、とても同じ生き物だとは思えなかった。
それもそのはずで、セネット曰く、彼女は全能なる存在であるという。
この世を取り巻く生物の頂点に立つような、次元の異なる生物だという。
少女に気に入られれば、すべてがうまくいく。けれど、少女の琴線に触れられなければそこですべてが終わる。諸刃の剣のような存在であると教えられた。
納得はできなかったけれど、空気で感じる。同じ天幕にいるだけで肌が泡立つ。
平然と言葉を交わせるセネットはさすがだと感心したほどだ。
さすが、少女に仕えた一族であると。けれど、それも傍系で、末端もいいところだというのだから、セネットの精神もわりと豪胆なのだなと知れたのだが。
そんな高次元の存在である少女が心底不思議そうに、セネットとアタナシヤが親子だと告げたのだ。
告げられた瞬間は意味がわからなかった。
そして、意味がわかれば、訪れたのは純粋なる喜びだった。
王家に閉じ込められた十五年を恨まなかったといえば嘘になるけれど、それを上回る歓喜に満ちていた。
王族の証と言われた瞳の色だけれど、そんなことが起こるのか。
信じられなかったが、縋りたくなったのは事実だ。
けれど、すぐに少女が残酷な言葉を吐いた。
「自分の血を王家に混ぜて跡目を継がせようだなんて、随分と遠大な計画だとは思うけれど」
「え……っ」
「そんな無謀なことなど考えていませんよっ」
思わず傷ついた。父親がそんな謀略を考えていたのだとしたら、アタナシヤはそれに従わなければならない。そのために王家という牢獄に捧げられたのだから。
色を失くしたアタナシヤの手を掴んで、セネットはすかさず否定した。
それだけで、どれほど安堵しただろうか。
この手を握ってくれる力強さを信じられると思ったから、信じていいと思えたから。
それだけで十分だった。
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