第36話 落ち着いた侍女(ユディング視点)
テネアリアが倒れてから一週間が経った。
傷はそれほど深いものではなかったが、神経性の毒が塗られていて意識が戻らない。
一時は熱を出してようやく下がったのが一昨日のことだ。
小さな体で苦しげに息をしている姿を見ていると言葉に詰まる。
傍にいると何かを怒鳴りつけたい衝動に駆られて、ユディングの足は自然と執務室に向かう。結局、仕事は手につかないので部屋で寝込んでいるテネアリアを思い浮かべては、腹の奥底で沸々としたどす黒い感情を持て余すだけなのだが。
「彼女はまだ目覚めないのか」
執務室で書類の整理をしていたサイネイトに尋ねれば、彼は痛ましげにユディングに視線を向ける。
「ああ、報告はないな。何かあれば彼女の侍女が知らせてくれるさ。お前は打つ手はすべて打っただろ。あとは時間が過ぎるのを待つだけだ。今は他にお前のできることをしろ」
「そうして待って…もう一週間だ」
テネアリアを刺した男は東の国から来たことはわかっている。裏のつながりを吐かせたが金で雇われただけの男だ。誰の意図で送り込まれたのか絞り込めない。
叔父のユディングへの謀反も考えたがそれにしては杜撰だ。殺すことのない毒では、傷をつけるのがせいぜいといったところだろう。嫌がらせの線が一番濃厚だ。
結局は何もわからないのと同じことだった。
男が東の国の出身者だったとわかったが、テネアリアが刺されているのでサイネイトは彼女の関与を否定した。二割ほどは疑っているが、これまでの思わせぶりなつながりは彼女を疑わせることが目的なのだろうと考え直したようだ。
皇城医を急かして彼女の治療に当たらせ、毒を特定したらすぐに解毒を試みた。
だがそうして手を尽くしてもテネアリアは目覚めない。
医者の話では、テネアリアがもともと体力がないので治癒に時間がかかっているのだと説明した。
ユディングの腕にすっぽり収まってもなお余るほどの小さな体。ひょいと抱き上げても羽枕を持ってるかのように軽い。首も腰も腕も何もかも細くて。
だから何をやっているのかと怒鳴ったのに。
自分であれば多少刺されても問題はない。毒にも慣れさせてあるので、一日寝れば治る程度だ。
わざわざ彼女が身代わりになる必要などなかったというのに。
意識を失う前に、彼女が小さく謝っていた。
謝るくらいなら傷つくなと怒鳴りたい。むしろあの時、ただ眺めていることしかできなかった自分自身を殴りつけたい。
なぜ彼女が自分の前に飛び出してきたのを助けられなかったのか。
何より、誰かに庇われたのは初めてのことで混乱したともいえる。
そう、あの時、ユディングは本当に驚いたのだ。
他人が自分の体を心配して身を投げ出すなど考えたこともなかったのだから。
「やることは山積みだ。妃殿下が心配なのはわかるが、容体も落ち着いたんだし、仕事しろよ」
不思議なことにテネアリアが倒れた一週間で、まるで自然が怒ったかのように、あちこちで災害が起きている。叔父の屋敷は雷が落ちて半焼した。叔父の肩を持っていた取り巻きの貴族たちもある者は竜巻に巻かれ、ある者は領地の半分が水に浸かり、ある者は日照り続きで穀物の買い占めに奔走している。
結果的にユディングの政敵が災害に見舞われた形になり、その対処をしている状態だ。穴埋めをしたり業務を肩代わりしたりとユディングも忙しい。むしろ仕事は溜まっていく一方だった。
おかげでサイネイトの機嫌もすこぶる悪い。
「全く、心配しても仕方ないだろう。お前も少しは妃殿下の侍女殿を見習え」
「むしろ彼女はどうしてあんなに落ち着いていられるんだ?」
「大丈夫だと確信しているからじゃないのか。呼び出してやるから、お前も安心したら仕事に励めよ」
言うなりサイネイトはテネアリアの侍女を呼びつけた。合理的な彼らしい。仕事はとにかく時間節約をモットーにしているのだから。
数十分後、現れたツゥイはいつもの侍女姿をきっちりと着込んで丁寧に頭を下げた。
顔色も悪くない。つきっきりで主人を看病している侍女はもう少し憔悴しているものではないのかと疑いたくなる。
「お呼びと伺いましたが、何かありましたか」
「ツゥイ殿が落ち着いているから、こいつもついでに落ち着かせてほしいと思いまして。妃殿下が目覚めないからって全く仕事が手につかないんですよ」
「まあ、そうでしたか。ですが、今回の一件はすでに終わっていると考えていたのですが…間違いでしょうか?」
「終わったとは? 主犯はまだ捕まっていない。実行犯だけ捕まえても意味はないだろう。また襲われるかもしれないんだぞ」
「なるほど、陛下のお考えは理解いたしました…ですがこれまでの経験で妃殿下は肉の衣が癒えるまでは戻ってくるつもりがないのです。ついでに今は単に趣味に走っているだけなので、しばらくは目覚めるつもりはないと思いますよ」
肉の衣? 趣味?
どういうことだと問い詰めようとすると、騎士が駆け込んできた。危急の報せだと言う。
事情を聞けば、隣国の兵士が国境を越えたという情報がもたらされたとのことだった。
「このタイミングで隣国か?」
「東の国ばかりに目をやり過ぎたね」
サイネイトが肩を竦めてユディングを見つめてくる。
「もちろん、出るだろう?」
「当たり前だ。久しぶりの戦場だ」
テネアリアのことは気がかりだが、侍女が大丈夫だと言うのなら信じるしかない。
サイネイトの言葉通りに、自分の出来ることをするまでだ。
そうして戦に向かう準備をしていると昏睡状態のテネアリアが忽然と城から姿を消したのだった。
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