#12 美人秘書、ランゲン社のエルメリナ

「こちらです」

 とカイネリ技師長が案内してくれた今夜の宿は、プラチナやゴールドグレードとまでは行かないものの、クラシック・グレードのまともなホテルだった。

 温泉付きというプレミアムの分、ランクの割に料金は高めになってしまうらしく、本来の宿泊料はほぼゴールド級だそうである。だが、ここも技師長の顔が効くようで、列車と同じく格安にしてもらっているらしかった。ユズハたちは、こんな高いところには泊まれないからと、格安ホテルを探すようだった。


 予約票をフロントに提示し、エメラルドのように透き通った緑色の、細長い角棒スティックを受け取る。手のひらサイズのこのスティックがつまりは部屋の鍵で、その面の一つには部屋番号である「四○四」の文字があった。

「それでは、また明朝、お迎えに上がります」

 技師長は、深く頭を下げた。

「明日の交渉、なにとぞよろしくお願いします、コーネル先生。会社とわしらの命運がかかっておりますでな」

「安心して、任せてくれ給え。今夜は温泉で、英気を養っておくよ」

 私は、力強く断言した。ここまでの扱いをしてもらって、ここで負けるわけにはいかない。プライドに賭けても、勝利して見せる。カイネリ技師長は、安堵の表情を浮かべて去って行った。


 クラシック・グレードだから、ポーターが部屋まで荷物を運んでくれる、などというサービスまではつかない。私は自分でアタッシェケースを持ち、エレベーターに乗って四階の部屋へと向かった。四○四号室の前まで来るとスティック・キーの芯が淡い光を放ち、ドアのロックが解除されるカチリという音がした。

 室内にはベッドとライティングビューローがあるだけで、北方では大抵のホテルに置かれている実体幻視機さえも無かったが、清掃は行き届いていて不満はない。窓のカーテンを開けると、通りの向こうにプラチナグレードのホテルが見える。すぐ頭上では人工太陽板が空の代わりに輝いていた。

 今日はずいぶん疲れた。そう思いながら部屋に備え付けのギャルソン・ガウンに着替え終えて、「絶品モンブラン」を一つ食べる。こいつは、どんな疲労回復剤よりも効くのである。


 マロン・クリームの滑らかな味わいを堪能していたその時、ドアをノックする音がした。誰だろう、そう思いながら私は身体を起こし、「はい」と返事をする。

「ゼロ・コーネル様でいらっしゃいますでしょうか?」

 女性の声が、私の名を口にした。

「ランゲン社のメルエリナと申します。お話があって、参りました」

 カイネリ技師長と同じ、ランゲン社の人間。それがこうして、わざわざ別口で訪ねて来たというのは、どう考えても何かあるに決まっている。私はまず、ドアののぞき窓から、ハーフミラー越しに廊下をのぞいて見た。


 そこには、スーツ姿の若い女性がたたずんでいた。細面の小さな顔に、眼鏡のフレームが銀色に光っている。背丈は私と変わらないくらい、体型は基本スレンダーながら、胸はなかなか盛大に前方へと突き出していた。紺色のタイトなスカートからは、すらりとした足が伸びている。

 思わず私は、口笛を吹いた。いや、吹いたつもりだったが、空気が漏れるような音がしただけだった。私の口笛はうまく鳴った試しがない。

 これはいよいよ警戒してかからなければならない状況だった。恐らくは、技師長たちと立場を異にする連中からの使者だろう。しかし、こうも「上物」の女性を寄越すというのはただごとではない。ハニー・トラップで骨抜きにされてしまってはプロ失格である。


 咳払いを一つして、気持ちを警戒フェーズに入れて、一切の感情を消したニュートラルな表情で私はドアを開いた。

 目の前に立つ実物は、薄暗いハーフミラー越しに見るよりも、さらに上物のオーラを全身から放っていた。辺りに漂うのは香水か、天然のフェロモンか。右手の薬指には、紅珊瑚がセッティングされたリングが光っている。

「ゼロ・コーネルですが。私に、何かご用が?」

「はじめまして、コーネル様。長旅、お疲れさまでした」

 彼女は深々と頭を下げた。

「この度は、私どもの社内事情のせいで、大変なご足労をおかけしました。その点について、社を代表して一言だけお詫び申し上げたいと思い、参上いたしました」

 頭を上げた彼女は、眼鏡越しにじっとこちらを見つめる。その黒い瞳には何の感情もなく、まるで私を透視して、背後の部屋を見ているようにも思えた。


「そうですか。それはご丁寧に。また、明日よろしくお願いします」

 私は、自動化されたセリフだけを並べた。

「はい、こちらこそ、よろしくお願い申し上げます。コーネル様の、当アーケードへのご滞在が、快適なものになることをお祈りしております。それでは、失礼いたします」

 エルメリナは廊下を後ずさるようにして、再び丁寧に頭を下げた。このまま、帰ってしまうつもりか。もうちょっと、何か仕掛けて来るかと思ったのだが。

「ええ、また明日。よろしく」

 落胆の表情を見せずに、私も頭を下げた。


 赤い絨毯が敷かれた廊下を、彼女は足音も感情も残さずに歩き去った。

「ご滞在が、快適なものになることをお祈りしております」というのは、つまりは不愉快な思いをさせられる可能性が高い、ということだ。その警告の一言を伝えるためだけに、彼女はわざわざここへ来たらしい。

 私はベッドにぐったりと横になった。部屋の中に、彼女の微かな香水の香りが漂っているような気がした。淋しさを紛らせたくなった私は、ふと全書ペディ―のページを開いてみる。

 FLディスプレイ上に、光の線で描かれた乙女かのじょが姿を現し、

「ご用でしょうか?」

 という文字が吹き出しスピーチ・バルーンに並んだ。


 いや、特に用はないんだがね、と私は独りつぶやきながら、三つの操作ダイヤルを回して、「何だかちょっと疲れてね」と乙女かのじょ、リサⅢに言ってみる。機械に甘えてみても、仕方ないのだが。

「せっかく温泉に来られているのですから、まずはゆっくりご入浴されてはいかがでしょう。こちらの温泉は炭酸芒硝泉と言って、浸かっているだけで独りでに疲れなんか取れてしまいますよ」

 どうやら乙女かのじょは、位置情報をちゃんと把握しているらしかった。いや、全くその通りだと私は身体を起こす。まずは、温泉だ。

 貴重品類を作り付けの金庫にしまい込み、タオルとスティック・キーを手に、私はガウンのまま部屋を出て廊下をエレベーターへと歩く。浴場は二階のはずだった。


(#13 「走る閃光、刑事たち」へと続く)

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