#2 南方深部から来た男、転がり込んだ仕事の依頼

「ちょっと、それを見せてくれるかね?」

 髭面の男が手にしたガラス容器に、私は横から手を伸ばした。

「な、なにしやがる」

 慌てたように、男は手を引っ込める。ブルーの偏光サングラスにアッシュグレーの長髪、同じく灰色のロングコートに身を包んだ私は、どう見ても正体不明で、少なくとも堅気の人間には見えないだろう。


「私が、それを買い取ろう。認証済みオモロガードで間違いないようならね」

「……本当だろうな」

 警戒したような目をしながら、それでも男はその小さなガラス容器を、私に手渡した。液体通貨リキドマネーを充填した、アンプル・ウォレット。南方の諸街区において、各種の支払い手段に広く用いられている。偏光サングラス越しに確認してみたが、ランゲン社の封印シールも本物で、認証済みオモロガードに間違いない。残量は、五分の一に少し足りなかった。


 ロングコートのポケットに突っ込んだコインケースから、私は金貨を一枚取り出した。今の相場レートならそんなものだろう。

「これで、どうだ?」

「こいつは……一兆クレジットか」

 男は目を細めて、金貨の表面に刻印された細かい数字を読み取った。

「ありがてえ、恩に着るぜ。……おい、これで文句ねえだろう。釣りはもらうぜ」

「どうも。ありがとうございます!」

 店員はポニーテールを投げ出すように勢いよく頭を下げて、男の手から金貨を受け取った。かわいらしく、ニコニコしている。文字通り、現金なものだ。


「あんた、名前は? 俺は、カイネリってんだ」

「私はコーネルという。ゼロ・コーネル。君は、南方から?」

 南北に長く続く大陸、この世界に生きる人間のほとんどがその上に住んでいる。シティが位置しているのは北端に近い「北方」で、そこから離れれば離れるほど人口は少なくなる。つまり「南方」イコール辺境の地、というのが一般的な感覚だった。


南方深部ディープ・サウスだよ。『べトラ』って町から来たんだ。郡部諸街区連接鉄道ディジーチェーンに乗ってな」

 べトラ。その町の名は、私も良く知っていた。

「北方じゃこの液体通貨リキドマネーはあんまり使われてねえらしいが、金融監督局のあるシティでなら大丈夫と聞いてたんだ。それが、このざまだ」

 彼の言う通り、世界の中心であるこのシティにおいては、北方で主流の金属コインも、南方で用いられる共通液体通貨リキドマネーも、どちらも金融監督局の定める公定通貨として認められている。

 しかし実際には、アンプル・ウォレットでの支払いに必要な精算孔スロツトを備えた商店は、ごくまれだというのが実情だった。せいぜいホテルや、一部の高級飲食店くらいだ。銀行へ行けば金属コインへの両替は可能だが、割高な手数料スプレッドを差っ引かれることになる。


「とにかく、助かったぜ。このアンプル・ウォレットが使い物にならねえってんじゃ、身動き取れなくなるところだ」

 カイネリは、銀色に輝く小箱をポケットから取り出して、天井のバチェラー燈が放つオレンジ色の光にかざして見せた。このケースの中には、最大五本のアンプル・ウォレットが収納できる。

 全て満タンだとすればちょっとした大金だが、過酷な環境下で暮らす南方の人間にとっては、全財産を身に着けて歩くというのもそんなに珍しいことではない。


シティには、何か仕事で来たのかね?」

「仕事を頼む相手を探しに来たんだ、俺は」

 急に真剣な表情になって、カイネリは言った。

「兄さん、世話になったついでだ、もし知ってたら教えて欲しいんだが、心理交流干渉士PIAって奴にはどこへ行ったら会えるんだね? 一人、腕利きを頼みたいんだ。仲間の生活がかかってるんだよ」

「予算はどのくらい用意できる?」

「心当たりがあるのかね、あんた。着手金が五兆、成功したら十兆、これが精一杯だ」

 つまりはアンプル・ウォレット約三本分、ということになる。


「少々、安いな。だが、とりあえず」

 私は上着のポケットから個人属性票ユニークカードを取り出して、彼に向かってライセンス欄を示して見せた。Σグレード、つまり上級の心理交流干渉士PIAの有資格証明が、印書されている。

「腕はそんなに悪くない、つもりだ」

「たまげたな、こいつは」

 カイネリは目を丸くして、そして大笑いした。


 彼にとっては、ここで私に出会ったのは渡りに船であっただろう。しかし実は私にとっても、彼が持ちかけて来た仕事の内容はジャスト・タイミングと呼ぶしかないものなのだった。

 数万ファーレンも彼方の、遠い南方の町まで出向くことを考えれば、彼の提示した報酬額は、本来ならちょっとお話にならないような低額だ。しかし私にとって、そんなことは全くの二の次だった。南方深部ディープ・サウスに食い込む機会を、私はずっと探していたのだ。しかも、彼は「べトラ」から来たと言った。そこは今、特に重要な意味を持つ町なのだ。


「失礼だが、君の個人属性票ユニークカードも確認させてもらえるかな。もし、私に仕事を依頼するつもりなら、ということだが」

「お、おう。そりゃそうだ、すまねえ」

 カイネリが提示した個人属性票ユニークカードの内容を見て、私は目を見開いた。彼が属している組織。それは「本社」が、今一番情報を欲しがっている調査対象だった。

 見事に、札が揃った。こいつは役満ロイヤル級と言って良い。

 どこにどんな幸運が転がっているか、分からないものだ。実の所、彼が運んで来たのは、大変な儲け仕事の種だった。


 カイネリの今夜の宿泊場所である簡易宿所ドヤテルの薄暗いロビーで、私は契約書にサインした。彼との契約に、駆け引きは必要無かった。カイネリは主観自己と客観位相が完全に一致した、まっすぐな性格の――悪く言えば単純な――男だった。その言葉に、裏はない。

 遠い南方への出張となれば、通常は出発の準備に二、三日はかかるところである。ところがカイネリは、ひどく急いでいるようだった。

「一刻も早く来て欲しい。交渉の日が迫ってるんだ」

 と彼は繰り返し、私としても明朝の出発に同意せざるを得なかった。ただ、私にはその前に立ち寄っておかなければならない場所がいくつかあった。


(#3「第四調査部、ゴライトリー副部長」に続く)

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