#20 代用ホッピー、宙豚の煮込み

 筆頭主任技師に礼を述べて見学を終えた私は、カイネリ技師長と共に、防嵐シールドの下を地下通路へと向かった。

 外界はすっかり夕闇の中らしく、天井にぶら下がった巨大なバチェラー燈がドームの中を強く照らして、濃い陰影を作り出している。

 そんな中、激しい嵐の音を聞きながら歩いていると、自分が南方深部ディープ・サウスという異郷にいるのだと強く感じられた。悪くない。これは、冒険の旅なのだ。


 アーケード・べトラに戻ると、その中もまたすっかり暗くなってしまっていた。人工太陽板は減力運転に切り替わって、白い光をぼんやりと放つだけだ。

「さて、夕食をどうしたものかな」

 私は通りを見回した。店は、いくらでもあった。

「コーネル先生。わしらのひいきにしておる食堂グリルがあるんですがな。まあ、場末の店だが、うまい代用ホッピーが飲めますぞ。宙豚の煮込みも絶品だ。先生さえ良ければ……」

 技師長の言葉に、

「行こう、すぐその店に」

 と私は即答した。美味い煮込みに代用ホッピー、そう聞いて我慢できるはずがない。


 その店は、ちょうど温泉街の外れ、アーケード・べトラ南端の近くあった。辺りには、様々な廃材を木質・金属問わず集めて作った暫定合法仮建築プロブ・リーガルがいくつも並んでいる。まさに「場末」そのものだ。

 カイネリ技師長たちがひいきにしているという店の建物は、それらの中でも特に大規模なものだった。三階にまで及ぶ廃材のモザイクは、むしろ普通の建築を建てるほうがずっと容易いのではないかとさえ思える。

 入口の戸にはめ込まれた、くろがね三輪のウインドウそのままの窓ガラスから中をのぞいて見ると、いかにも一杯飲りに来たぜという感じの労働者風の客で店内は満員のようだった。みな同じような、ライトブルーの作業服を着ている。


 戸をガラガラ開き、ブルーの偏光グラスを外しながら足を踏み入れると、店内の客が私の顔を見た。そして一様に、驚いたような表情になった。

「おっ」

「あんたは……」

 ざわめきが、店内を走る。彼らはみな、覚えのあるマークが刺繍された作業服を着ていた。ランゲン社の社章。この店内は、ランゲンの社員で満杯というわけだった。

「おやじ、代用ホッピーと煮込みだ。大盛りで頼む」

 背後から、カイネリ技師長の声がした。

「お、技師長か」

「じゃあ、やっぱりこの人だ」

シティから来たんだと」

 周囲で一斉に声が上がる中、私と技師長はわずかに空いていた席に向かい合って座った。小さな椅子が、技師長の巨体に軋み声を上げる。


 混みあう店内を器用にすり抜けてきた店主が、代用ホッピーのジョッキと宙豚の煮込みが入ったボウルを私たちのテーブルに勢いよく置いた。そのジョッキたるや、赤ん坊が中に入れるんじゃないかと思えるデカさだ。

「特別サービスだよ」

 尖った禿げ頭の店主が、へへへと笑う。

「そいつはありがたいな」

 と真に受けた私に、

「いや、この店じゃこれが普通サイズなんですわ」

 技師長が笑った。店内の客も、みんな笑う。なるほど、居心地の良い場所だ。

「先生、今日は大変ご活躍で、お疲れさまでした。さて……」

 カイネリ技師長はそう言うと、私の背後に目を遣って、突然うなずいた。

「どうしたのだね?」

 私は振り返る。そこには、店内の雰囲気に似合わない、ブロンドの髪をアップにした美女が立っていた。左手には、我々のよりも二回りくらい小さい、代用ホッピーのジョッキを手にしている。


「お疲れ様です、専務」

 カイネリ技師長が頭を下げる。彼女こそ、渦中のマチルダ専務その人なのだった。

「こんばんは、技師長。今夜も、仲間に入れてもらっていますわ」

 専務は微笑んだ。

「そして、あなたがミスター・コーネルですね。初めまして、マチルダ・ウォルツです」

 彼女が右手を伸ばす。私も立ち上がり、

「ゼロ・コーネルです。こちらこそ、初めまして」

 と握手した。


 こうして相対してみると、なるほど魅力的な女性だった。戦争アトミック前の名画に描かれた聖母のような、整ってはいるが、あくまでふっくらと柔らかな面立ち。

 澄んだ瞳の放つ輝きは知性を感じさせたが、しかしそこに冷たさはなかった。その微笑みはあくまで優し気だ。全書ぺディーの簡単な画像では、これは伝わりようもなかった。

「本当なら、すぐにでもご挨拶に伺うべきだったのですけれど。こういう場所でもなければ、なかなかお会いすることもできません」

「お気になさることはありません。状況は、お察しします」

 そう言いながら、彼女にも席を勧めようと周囲を見回すと、ちょうど店主が椅子を運んで来るところだった。

「店主、ブロウスド・ロールエッグを追加だ」

 技師長が、指を二本立てた。

「へい、だし巻き二つね。毎度あり」

「ありがとう。今日はまだ食べてないの、ダシマキ」

 嬉し気に言って、マチルダ専務は私の右側に座った。


 改めて、代用ホッピーで乾杯し、宙豚の煮込みと見慣れないオムレツを三人で食べた。どちらも絶品だった。オムレツのこのうまみは、ブイヨンとも違うようだ。

「ここで、私がマチルダ専務と初顔合わせをする、最初からその予定だったのだね?」

 私は技師長に訊ねた。

「そういうことです、すみませんな。ここなら、わしらの仲間で固めてますから、一番安全なんですわ」

 カイネリ技師長は申し訳なさそうな顔をした。

「何、こんなうまいものを食わせてもらって、文句などあるはずもないさ」

「良かったわ」

 専務はわずかに微笑んだ。

「ただ……少し残念なお話をしなければならないのです。これは、技師長にもお伝えしていなかったことなのですが」

「何でしょうか、それは?」

 面食らったような様子で、技師長が訊き返した。

「せっかく、わたしのことを助けてくださろうとしているのに、ごめんなさい。ミスター・コーネル、これ以上お仕事をお願いすることができません。解任、ということです。報酬はお約束通り、全額お支払いします」


 意外過ぎる言葉に、私は思わず耳を疑った。何かの冗談ではないのか。しかし、専務の表情はあくまで真剣そのものだった。


(#21 「ごめんなさい、ミスター・コーネル」に続く)

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