#21 ごめんなさい、ミスター・コーネル

「どういうことです? 私の仕事に、何か問題が?」

 マチルダ専務に、私はそう訊き返した。

「そういうわけではないのです。ただ」

 彼女は、淋し気な表情を浮かべた。

「わたしたちは、独立した経営の維持を、先代が創業して以来の最重要事項としているんです。例えわたしが解任されても、それだけは守らなければならない。準自治権能サブ・オーガンの維持にもつながることですから、それは南方深部ディープ・サウス住民の総意とも言えるでしょう」

「専務、それは一体……」

 カイネリ技師長が、おずおずと訊ねる。

「技師長は、ご存じなかったことだと思います。ミスター・コーネルは、実は羽ヶ淵本社の意を受けて動いておられます。羽ヶ淵は恐らく、ピクルスさんたちを排除して、わたしを次期社長の地位に押し上げた上で、ランゲン社を傘下にと考えているのでしょう」


 専務の言葉に、技師長は黙り込んだ。その沈黙が意味しているもの。それは彼もまた、その事実に気付いているということだった。

 さあ、どうするかな。私はセロトニン・スティックを一本取り出し、無言でくわえた。若干マナー違反気味だが、こういう場所だ。許される範囲だろう。

「申し訳ありません」

 技師長が、頭を下げた。

「実はわしらの調査でも、その辺りは薄々分かっていました。分かった上で、そのままコーネル先生にお願いすることにしたんです」

 カイネリ技師長は、続いて私に頭を下げた。

 あの立ち食いパスタスタンドで出会った後、簡易宿所ドヤテルのロビーで契約した時点では、そこまでの調べはついてはいなかったはずだ。

 恐らくは、社長たちの掴んだ情報が、技術者組合テクナギルドの側にも流れたのだろう。


「あなたがランゲンを去り、ピクルスたちに会社を滅茶苦茶にされるくらいなら、万一羽ヶ淵の傘下になってもと、そう思いました。申し訳ない」

 店内は、静まり返っていた。一般社員たちにとっては、世界一の巨大企業群コンツェルナである羽ヶ淵傘下に入るというのは、そんなに悪い話でもない。待遇は、むしろ改善される可能性もあった。技師長を責める声は上がらなかった。

「たとえ、わたしが社にとどまることができたとしても、ランゲンがランゲンでなくなってしまえば意味がないと思うのです」

 マチルダ専務は優しい声で、諭すように言った。

「カイネリさんたちのお気持ちは、ありがたいことです。でも」

 彼女は、私のほうを見た。

「ごめんなさい、ミスター・コーネル。あなたのお仕事は、終わりです。素晴らしい交渉ぶりだったことはお聞きしています。感謝してもおります。でも、羽ヶ淵に会社をお渡しすることはできないのです」


「分かりました」

 くわえていたセロトニン・スティックを私は口から離した。

「報酬をお支払いいただけるなら、文句はありません。ただ、私があそこまで強く出られたのは、背後に羽ヶ淵がいるという影を見せたからです。今のところはこちらが優勢です。しかし、ここから先の交渉は厳しいものになると思いますが?」

「それも、仕方ないことだと思っています」

 専務の意志は堅いようだった。

「そうですか。ただ、一つだけ覚えておいてください。確かに私は、羽ヶ淵本社の調査部から、貴社の内情を探る特命調査官SSMSとしての委嘱を受けている。しかし本来の私は、あくまでフリーのΣ-PIAだ。最後の最後は、専門職としての誇りを賭けて行動します。羽ヶ淵からもらった紙きれなど、捨ててしまえばいい」

 宙に向かって書類を投げ出すような動作を、私はして見せる。

「もしお考えが変わるようなら、再びご用命を。追加の費用は不要です。しばらくは、このアーケード・べトラに滞在しますので」

「ありがとうございます、ミスター・コーネル。ご厚意に感謝致します」

 彼女は微笑みながら、丁寧に頭を下げてくれた。

「さて、仕事の話はここまでにしましょう」

 私は、代用ホッピーのジョッキを手にした。

「後は、こいつを楽しくりましょうや。折角の夜だ」

「賛成ですわ」

「そうしますかね」

 専務と技師長、そして私は乾杯の挨拶を交わし、代用ホッピーを一気にった。

 確かにうまかった。未だにお目にかかったことのない、真正のドラフトホッピーという奴はこんな味がするんじゃないだろうか。


 代用ホッピーの応酬ですっかり酔っぱらった状態で、私は食堂グリルを出て、ホテルへと戻った。幸い、距離は近い。フロントでスティックキーを受け取り、一度は間違えて四階で降り、もう一度エレベーターへ引き返して最上階のスイートルームへ向かった。

 どうにかスーツからギャルソン・ガウンに着替え、海のように広大なベッドに体を投げ出して、その心地よさに思わず私はにやにやと笑ってしまう。

 さあ、明日からどうするか。解任された以上、このホテルからは出ることになるだろう。どこか安宿にでも移って、ここからの策を練ることになる。そう、私の仕事は終わってはいなかった。まだ、打つ手はある。


(第三章 「真実を知る者、世界の終わり」へと続く)

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