第三章 真実を知る者、世界の終わり

#22 負け犬コーネル、エルメリナの指輪

 酔いに任せて知らぬ間に眠りに落ちていた私は、人工太陽板が出力を上げる前にもう目を覚ましてしまった。朝風呂と呼ぶにはまだ早い時間だったが、とにかく昨夜入り損ねた温泉に向かい、炭酸泉に浸かって酔いを醒ます。湯船にもたれているうちに窓の向こうも少しずつ明るくなってきて、私もすっかり正気を取り戻すことが出来た。


 朝食の前に、私はまた支分情報公署アイ・ビーへと向かった。こんな早朝から市民共用公開端末オープンコンソールを借りに来る人などいないから、やはりガラ空きだ。

 保護暗号を解除し、メッセージボックスを確認してから、報告フォームを作成する。昨日の「見学」で得た情報を、第四調査部に伝えておかなければならない。ちゃんと仕事はしている、というアピールでもあった。

 私が確認した電動機モートルの出力や、大量に並んだグラスタンクの容量などの情報からは、ランゲン社がどれだけの採掘能力を有しているのか、その真の姿を把握することが可能なはずだった。私の役目は得られた情報を伝えることだけで、分析本社の専門家が行うことになる。

 しかし私の勘では、公式発表されている数値は、実際の採掘能力よりもかなり小さいのではないかと思われた。つまりランゲン社は、本当の力を隠しているわけだ。ゴライトリー副部長もきっと、その辺りの事実を把握したがっているに違いない。

 メッセージを投函し終えると、調査部からの返答が表示された。

「評価良し、報酬の加算を認定。引き続き、調査続行されたし」

 本社がそう言ってくるのは当然のことだった。解任されたことを、伏せておいたのだ。


 朝食は昨日と同じくお代わり自由のリゾットだったが、今日のは味付けが違っていて、トマトベースだった。若干の酸味が爽やかで、飲んだくれて眠ってしまった明くる朝の食事には、まさにぴったりだった。

 四杯目のリゾットを用意してもらったその時、すでに見慣れた人物が姿を現した。エルメリナ。昨日と同じような、スーツ姿だ。

「おはようございます」

「おはよう。私にまだ、何か?」

 私はスプーンを置いて、向かいの席を勧めた。

「あら、今朝はお嫌な顔をなさらないのですね」

 彼女はそう言いながら、目の前に座る。

「もう、ここでの仕事は終わったからね。君を警戒する必要もないわけさ」

「みたいね。今日の交渉は中止になったわ。これで、あの女も終わり」

 エルメリナは、勝ち誇ったような笑みを浮かべる。


「マチルダ専務は、君たち社長側の経営陣にとっては、相当に厄介な存在だったようだね」

「経営陣? 私が?」

 彼女の笑みは、凶悪な冷気を帯びたものに変わる。その様子を、私は興味深く観察していた。

「私には、関係のないことだわ。ランゲンがどうなろうと、そんなこと」

「ではどうして君は、専務のことをそこまで?」

 一瞬だけ、彼女は右手のリングを見詰めた。見事な紅珊瑚が輝くリングを。そして、吐き捨てるように言った。

「とにかく嫌いなの、あの女」

 なるほどね、と私は思う。エルメリナの様子からは、感情のもつれがはっきりと見て取れた。つまりそこには、ピクルス・ジュニア社長の存在が絡んでいるのだろう。もはや局外者となった私に対して、それを隠すつもりも無いようだった。


「ところで、今朝は何の用事だね? わざわざ負け犬をからかいに来るほど、君も暇ではあるまい?」

「どうかしら。負けたのは、あなた自身ではないと思うけど。あなたの力量は、十分見せていただいたわ。何かあったら、私もお仕事を頼むことがあるかも知れないわね。で、これからどうなさるおつもり? 大変ね、シティまで戻るのも」

 彼女は、どこか遠くを見るような眼をした。

「せっかく、こんな遠い町まで来たんだ。休暇代わりに、少しゆっくり過ごすことにするさ。報酬もちゃんと受け取ったからね。このお高いホテルからは、出ることになるが」

「優雅なことね。でも、それなら」

 エルメリナは微笑んだ。

「いいホテルがあるわよ。ちゃんと温泉付きで、ここの五分の一の額を払えばお釣りが出るわ。私も、最初にこの町に来た時は、そこに滞在したものだわ。案内して差し上げましょうか?」

「それはありがたいが、君たちの監視付き、ということなら遠慮したいね。せっかくの休暇が、また台無しにされては困る。ベッドを焼かれるのは、あまり気持ちの良いものではないからね」

「あら、親切心で申し上げているのよ。それに、もしあなたを監視するつもりなら、この町のどこにいたって同じことだわ。何もかも、ランゲンの物なのだから、ここでは。シティが、羽ヶ淵の物であるのと同じにね」

 なるほど、それはそうだ。

「ならば、お願いするとしようかな。ただ、その前に」

 私はウェイターを呼んだ。

「折角だ、お茶の一杯でも、付き合ってもらおうかな」

「お礼のつもり? でも、朝のティー・タイムをこうして美女と過ごすあなたのほうが、得られるメリットは大きいのではなくて?」

 ふふふ、と彼女は笑った。

「……ケーキでも頼むかね?」

「モンブラン」

 エルメリナは言った。この女、案外気が合うかも知れない。


 チェックアウトを済ませた後、彼女が案内してくれた宿は、温泉街の外れ近く、昨晩技師長たちと痛飲した食堂グリルのある不法建築街から目と鼻の距離、といった場所にあった。

 今朝まで過ごしたホテルの、通り沿いに巨体が横たわっているような立派な作りとは違い、間口の狭いひょろっとした建物。しかし、クリーム色の壁面に鮮やかな赤の窓枠が並ぶその外見は、小奇麗で決して悪いものではなかった。

「シックだな。さすがだ、趣味がいい」

 私は彼女を褒めた。

「ありがとう。素直に受け取っておくわ」

 エルメリナは振り返ろうともせず、ドアを開けてエントランスに入って行く。後に続いた私は、フロント前のソファーに、見覚えのある姿を見つけた。

「まあ、コーネルさん」

 グリーンがかった青い目を見開き、驚いたような顔をしたのは、郡部諸街区連接鉄道ディジーチェーンの長距離列車で出会った紅珊瑚商人、ユズハだった。


(#23 「ユズハ再び、ひらめいたアイデア」へ続く)

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