#19 富という名の神、その神殿

 カイネリ技師長の依頼で、現場に精通しているというベテラン技術者が来てくれた。綺麗な総白髪の初老の男で、筆頭技術主任という肩書がついている。

 ランク的には技師長よりも下に当たるらしかったが、技師長は非常に丁重な態度で彼に接していた。

 その小柄な男と技師長に連れられて、私は再びランゲン本社を出た。例の重そうな玄関ドアが開くと、途端に嵐の轟音が耳を覆い、この建物の中がどれだけ静かだったかということに改めて気付かされた。


「まずは、どちらへ参りましょうか」

 と筆頭主任が私を見上げるように訊ねる。

 頭の中にある資料の内容を思い出しながら、私は「やぐら《デリック》とポンプ設備、そして汲み上げた液体ラピスラズリを貯留させるグラスタンクエリアを見たい」と伝えた。

「グラスタンクも、ですか」

 主任はためらう様子を見せた。採掘された大量の有価鉱物プライムが集まる心臓部である。通常なら、部外者の立ち入りが認められる場所ではない。

「お願いします、筆頭」

 技師長が横から頼んでくれる。

「分かりました。ただ、撮像函レフでの撮影などは、お控えいただきたい」

 筆頭主任は、そう釘を刺した。もちろん、と私は答える。見て記憶すれば、それで済むことだ。


 結局彼は、私が指定した箇所全てを順番に案内してくれることになった。まずはやぐら《デリック》へ。

 先ほどのビル群よりも高く、防嵐シールドのドームすれすれまで届くこの三角錐状の鉄塔は、地下深くまで続くドリルパイプを支える重要な設備である。ドーム内を見渡すと、同じような鉄塔が大小三基あった。

「この三本の瑠璃井るりせいからの、産出量はどのくらいなのですか?」

 麓からやぐら《デリック》を見上げながら、私は主任に訊ねた。

「はい、約二十二万パレード毎時となっております」

 圧縮化レクチャーによるにわか仕込みの知識ではあるが、この数字が相当な産出量を意味するということは私にも分かった。全世界の液体ラピスラズリ相場を、大きく左右できるだけの量だ。まさに、ランゲン社の力の源泉である。


「これをさらに増やす必要なんて、あるのかね」

 思わず私はつぶやく。

「ああ、例の増産の話ですな。あれは、無理筋の話です。もしも瑠璃井るりせいを新たに掘削したとしても、今の設備じゃそんな量にはとても対応できません。そもそも、うちだけで産出量を現状よりも33%も増やせば、有価鉱物プライム相場が崩れてしまいますからな」

 筆頭主任が、そう答えた。


 続いて、ポンプ設備へと向かった。直径が人の背丈ほどもある巨大な電動機モートルがうなりを上げている。

 私は、電動機モートルから出ている銀色のシャフトの軸径と、回転速度を目測した。そして二つの数値を、記憶に刻み込む。そうやって電動機の出力を推定すれば、公称されている産出量に虚偽がないか、判断することができるらしい。

 

 最後が、この場所の核心に当たるグラスタンクエリアだった。超がつくほどに希少・高価な有価鉱物プライム、液体ラピスラズリが大量に貯留されている現場が見られるはずだ。

 ポンプ設備に隣接する、ベトンで塗り固められた台形の箱のような建物、その中にグラスタンクは収容されていた。

 窓など一切なく、たった一箇所だけ例によって頑丈そうな鉄扉がある。扉の左右には、ランゲン本社の入り口でも見かけた、私設警備部隊の隊員が立っていた。ここもやはり、警備は厳重だ。


 遠隔制御を含む三重のロックを解除して、ようやく扉は解錠される。筆頭主任とカイネリ技師長、それに事務室内にいる社員の三人がかりで鉄扉を開いてもらい、ついに私は建物の中へと足を踏み入れた。

 そこは壁のベトンがむき出しの、殺風景な小部屋だった。石灰などの資材が置かれているだけで、入口以外にはドアも何も見あたらない。

 しかし、主任は迷いもせずに奥の壁に向かって歩いて行き、そのまま壁を突き抜けて向こう側へと姿を消した。技師長も、その後ろに続く。

 こいつは壁じゃない。有機クラスターコロイド膜の、ダミーウォールだ。若干の毒性があるとされるその膜を通り抜ける瞬間、私はわずかにめまいを感じた。こんな偽装まで施してあるとは、念入りなことだ。


 そして、その向こう側に広がっていた風景に、私はさらなるめまいを覚えた。薄暗い部屋に、非反応性晶質硝材で作られた、透明なグラスタンクがずらりと並んでいる。

 筒状で、両端を丸底にしたその形状はアンプル・ウォレットにも似ていたが、その高さは人の背丈ほどもある巨大なものだ。そして、多くのタンクの中には青い液体が湛えられて、仄かに光を放っていた。莫大な量の液体ラピスラズリだった。

 その場の空気には、何か荘厳なものさえ感じられた。有り余る富という神、ここはその神殿なのかも知れない。


 その光景に圧倒されている私に、

「なかなか見られるものじゃありませんからな、これは」

 とカイネリ技師長は声を潜めて言った。

「貯留されている液体ラピスラズリの量は、一体どのくらいなのですか?」

「変動はありますが、ざっと……五千パレーデスというところでしょうか」

 主任がそう答えた。あのグラスタンク一本からだけでも、私が何百回も人生を過ごすことができる額の液体通貨リキドマネーが精製できるはずだ。


「もしも、これだけの有価鉱物が流出でもしようものなら、大変なことになりますね?」

 と私は訊ねてみた。

「そんなことになれば、南方のみならず、北方都市群の経済にも大変な影響が出るでしょうな。通貨価値の急上昇によるハイパー・デフレーションが発生するはずです」

 主任はあっさりと答えたが、それはほとんど世界の崩壊に近い惨劇を招くはずだった。

「しかし、そのような心配はまずないのです」

 技師長が続けた。

「例えば、もしもこの瑠璃井一帯が、かつての戦争に用いられた致命兵器フェイタル・アトムで攻撃されれば、アーケード・ベトラと我が社の各種設備は半恒久有害廃棄物ラディワーストを残して消滅するでしょう。しかし、我々がいるこの建物だけは被害を受けんのです。それだけの強度が、確保されておりますのでな」


 たとえ世界が滅びても、この「神殿」だけは生き残るというわけだ。富という神を、その中に祀ったまま。


(#20 「代用ホッピー、宙豚の煮込み」に続く)

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