#6 美しきマチルダ専務、食堂車のディナー

 ゴライトリー副部長には伏せたままにしたが、このような案件に介入するということになれば、ランゲン社の内部事情を相当に深いところまで知ることができるはずである。私としては、強力なカードを手にしたも同然だった。

 さあ、得た情報をいくらであの狸親父に売りつけてやるか。内紛が起きているというのなら、場合によっては、一気に買収の話がすすむ可能性もある。


 その一方、このカイネリ技師長のあくまで純朴な人柄を見ていると、ここは一つ本気でその美人専務とやらを助けてやろうかという気持ちになってくるのも確かだった。それに、ここまで現場の信頼が厚い専務なら、羽ヶ淵傘下に入った後に経営を任せることが可能かもしれない。一挙両得、助けておいてマイナスにはなるまい。

「安心したまえ。そう簡単に、マチルダ専務を首にさせたりはしない。私が行く以上はね」

 ベッドに横になったまま、顔だけ持ち上げて私は言った。セリフの内容とどうも不釣り合いというか、態勢がさまになっていないのは仕方がない。何せ、列車がひどく揺れるのだ。

「ありがたい。頼りにしておりますよ、先生」

 感激の面持ちで、しかし相変わらず体は左右に激しく揺さぶられながら、技師長は言った。


 荒涼とした風景ばかりが続く、恐ろしく退屈な車窓風景だったが、夕暮れが近付くころに一つの街区が姿を現した。これほど久々の町なのに、一応「南方特急」の名のついたこの列車は、通過してしまうらしい。

 夕暮れの下に姿を現した家々の様子を、私はじっと観察し続けた。パン屋、酒場バル、診療所。どこにでもありそうな田舎町だ。それでも、シティ育ちで郡部諸街区カウンティのことをあまり知らない私には、興味深い風景ではあった。もしも、生まれ故郷というものがどこかにあるのなら、こんな町なのかもしれない。

 ふと、ゴライトリー副部長から預かった全書ぺディーを開き、FLディスプレイの上に青白い光の線画として姿を現した乙女かのじょ――自己紹介によれば「リサⅢ」という名前があるらしい――に、この町について訊ねてみた。

 準区セミウォードクラスの小規模な街区。

「特筆すべき点は特にありませんが、年に一度の迎春祭カルナバルが有名です」

 彼女の横に浮かんだ吹き出しスピーチ・バルーンには、そんな文字が並んだ。迎春祭カルナバルという名前にはエキゾチックな響きがあり、遠くまでやってきたのだ、という実感がわき上がった。いいものじゃないか、長距離列車の旅というのも。


「面白そうな仕掛けガジェットを使っておられますな、先生」

 寝転がったまま三つの入力ダイヤルを器用に操作する私の姿を見て、技師長が声を掛けてきた。

「ああ、最新の携帯情報コンソールだそうだ、心理交流干渉士PIA職能組合が開発したらしい」

 羽ヶ淵の情報調査部が開発した、と本当のことを言う訳にはいかない。

「さすが、高等専門職能組合ともなると違いますな」

 感心したようにうなずきながら、技師長は全書ぺディーの「表紙」に当たる銅板に刻印された乙女の姿をじっと見つめる。

「美人だろう、乙女かのじょは」

 と返しながら、そうだ件のマチルダ専務についてもこいつで調べてみよう、と私は思いついた。恐らく、何らかの情報が収録されていることだろう。彼女に心酔しているらしい技師長の言葉ばかりを、あまりに鵜呑みにするのもまずいのではないか。


 入力ダイヤルを操作する手元をカイネリ技師長に見られないように気を付けながら、検索文字を打ち込む。「かしこまりました」と乙女かのじょ、リサⅢは画面上で丁寧にお辞儀して、それからいくらも経たないうちに「十五件の情報が見つかりました」と微笑んでくれた。

 マチルダ・ウォルツ。その名前の下に、カイネリ技師長が先ほど語ってくれたのとほぼ同様の華麗な経歴が、簡潔な文章で表示される。肖像画データまで収録されていたのには驚いたが、やはりランゲン社の専務ともなると、南方でも指折りの重要人物ということらしい。FL管の粗いドット表示では、ごく大雑把なイメージをつかむくらいのことしかできないが、目鼻の配置から容姿の整った女性らしいとは想像ができた。


 初期画面に遷移して表紙を閉じたところで、デッキに面した扉がノックされた。

「お夕食の準備ができました。食堂車までお越しください」

 扉の向こうからの声に、私はベッドから飛び起きる。この退屈な列車の旅における、最大の娯楽。それは朝昼晩の食事だと言って間違いない。

 技師長によると、軟席車、硬席車の乗客には食事は提供されず、途中の停車駅で販売される弁当を自分で買わなければならないらしい。それはそれでうまそうだから、一度試しに買ってみることにしよう。


 窓に沿ったカウンターにカイネリ技師長と並んで座ると、揚げたてのガ州風シュニッツェルが載った皿が即座に運ばれてきた。昼食はシンプルなサンドイッチだったのだが、夜は豪勢だ。

 我々を個室まで呼びに来てくれた女性ウェイトレスに、技師長は「代用ホッピーはあるかね」と訊ねる。

 まるで女学生のように初々しい彼女は、その名前自体を知らなかったらしく、小首を傾げて「大王……ですか?」と困ったような顔をした。あれは、若い女性は知らない、中年男性の飲み物ということのようだ。

 結局、アルコール類の中では一番安かったクヴァスを彼女に頼み、技師長と乾杯した。宙豚そらぶたのシュニッツェルは、絶品と言って良かった。

 ちょうど列車はどこかの街区の近くを通りがかったところで、夕闇が迫る群青の空の下を、町灯りが並んで流れていくのが見えた。市街地を見下ろすような位置に、ひときわ目立って見えるリング状の光は、どうやら観覧車らしい。美しい眺めだった。

「ようやくこれで、一日目の終わりだな」

 私がつぶやくと、

「わしの経験では、この列車は三日目が一番辛いですな。しかし、あんな快適な寝台車なら、寝てるうちに着くでしょう。心配なぞ要りませんや」

 技師長は豪快に笑った。


(#7 「愉快な夜、紅珊瑚商人のユズハ」へ続く)

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