#32 捜査令状、保安部隊詰所

 ブラック・コーヒーを飲み終えたナフラム刑事は、

「では、後ほど」

 とダイニングを去った。

 ベーコン・エッグとトーストをすっかり片付けてから、私は最寄りの支分情報公署アイ・ビーへと足を運ぶ。今日もやはり、がら空きだ。

 公開端末オープンコンソールを起動し「親展コンフィド」「至急アージェ」といった属性情報をべたべたと貼付した、副部長室宛ての依頼フォームを作成する。

 事情を長々しく説明するのは避けて、地元の保安部隊に対して殺人事件捜査令状を発行してもらいたいと、単にそれだけの内容にしておいた。必要だから依頼しているわけで、それで十分のはずだ。


 さすがに、独立した最高司法機関という建前になっている第十五条委員会コートの承認を得るには少々時間が必要だろう。

 一服しながら待つかと、私はセロトニン・スティックの箱を胸ポケットから取り出し、封を切って一本くわえる。

 しかし、セロトニン・レセプターの味を感じる間もなく、端末コンソールから呼び鈴の音がした。メッセージボックスを開くと、そこにはちゃんと十五条委員会コート名の捜査令状、その原版が届いていた。


 公署内の可変輪転機バリアブルで出力してやると、偽造防止のパターンも入った、紛れもない本物の書類がプリントされてきた。この短時間で、委員会の承認が下りるはずはない。第四調査部の強大な権限を以て、独断で代理発行したのだろう。独立司法機関も何もあったものではない。

 セロトニン・スティックを吸い終わるまで、私は端末のブースの中でゆっくりと過ごした。もはや、何が本物なのかを判断することさえ難しい、捜査令状を眺めながら。


 保安部隊の詰所は、アーケード北端近くの一番街にあるということだった。つまりはイミグレーションセンターのすぐそばで、南方諸街区管理機構SLCM関連の出先機関がみんなその辺りに集まっているらしい。官庁街というわけだ。

 アーケード南端のこの温泉街から、全くの反対側である北端まで何度も歩くのもそろそろ面倒になって来ていたが、あの地下鉄に乗る気にはならなかった。万一線路に転げ落ちたりすれば、ランゲンの連中に処分されたあの男と同様に、死体となって横たわることになるだろう。


 メインストリートを歩きながら、いよいよ複雑な様相を見せつつある現状について、私は改めて頭の中で整理してみた。

 ランゲン社の「衛視隊」がヒサーン・ボツモブとやらをあっさり抹殺したのは、ナフラム刑事たちに反体制活動家の身柄を引き渡すようなことになるくらいなら、いっそ口を封じてしまったほうが良いと判断するような事情があったからだ。

 恐らく、羽ヶ淵ウイング・アビス本社を頂点とするこの世界の秩序に反旗を翻そうとしているのは、ちゃちな活動家の集まりなどではない。ランゲン社、それ自体が反体制活動の中心なのだ。

 正確に言えば、ランゲン社の中でも、マクアウリ常務たちの一派ということになるだろう。自らが擁する「衛視隊」という強力な武力集団を、彼らはそのために使うつもりなのだ。


 ピクルス・ジュニア社長はその危険性を知りつつ、表向きは彼らに調子を合わせ、そして陰では羽ヶ淵による介入を模索している。そうしなければ、彼自身が消されることになる。密かに心を寄せるマチルダ専務を危険な状況から逃がす、そのための時間を稼ぐ必要もあった。

 普通に考えれば、この世界の何もかもをべる羽ヶ淵とシティ当局に反逆するなど、正気の沙汰ではない。当局がその気になれば、アーケード・べトラの全機能を即時停止させることさえも可能なのだ。

 しかしもちろん、マクアウリ常務たちは切り札を用意していた。世界そのものを破滅させかねないほどの、強力な切り札を。

 これは心理交流干渉士PIA一人の手に負えるような状況ではない。私にできるのは、羽ヶ淵ウイング・アビス本社による介入の道筋をつけるところまでだった。


 保安部隊の詰所は、一本道であるメインストリートの突き当り、アーケードのまさに北端にあった。ぼんやりと青色に発光する、まるで空がその向こう側まで続いているように見える壁面の前に建つ、意外に小振りな建物。

 高さとしては三階建て程度に思えたが、灰色のべトンで覆われた壁面の所々にごく小さな丸い窓が開いているだけで、その内部がどうなっているのかは見当もつかなかった。表札や看板に類したものも何もない。

 念のために全書ペディーにも確認してみたが、ここが詰所だということで、間違いはないようだった。

 これに良く似た建物を、私はつい最近に目にしたばかりだった。ランゲン社の採掘ドーム内にあった液体ラピスラズリの貯蔵庫、グラスタンクエリア。恐らくはこの詰所も、外部からの致命的フェイタルな攻撃に耐えられる設計なのだろう。


 入り口の扉も、いかにも重々しい鉄板で作られていた。シティの紋章を象った、時代がかったノッカーでその表面を叩いてやると、まるで打楽器のような良い響き方をする。間もなく扉は、軋み音を立てながら外側へ向かって開いた。

「早かったですな、先生」

 驚いた顔を見せたのは、ナフラム刑事だった。

十五条委員会コートから、正式に令状が出ましたよ」

 書類が入った筒を、私は差し出す。正式な令状。それで間違いないはずだ。

「確認しましょう。どうぞこちらへ」


 ナフラム刑事に言われて中へ入ると、そこは四方をべトンの壁に囲まれたごく狭い小部屋だった。中央には、デスクが一つだけ。奥への扉なども特に見当たらず、侵入者をまずはここで食い止めるような造りになっているらしかった。

 やはりこの場所は、治安維持の最前線だということだ。なかなか物騒な、引き締まった空気が漂ってきた。

「間違いありませんな。この令状があれば、我々も動ける。すぐに所長の許可を取りましょう」

 彼は力強くうなずいた。

「現地へは、どうやって?」

 と私は訊ねた。実の所、そのドームが一体どこにあるのか、まだ把握できていなかった。全書ぺディーにもデータがなかったのだ。

「なに、簡単です。『TUBE』の新路線がすでに先行開通していますからな。許可が下り次第、臨時列車の運行をランゲン社に命じます」

 やれやれ、やはりあれに乗るわけか。仕方ない。


(#33 「TUBE再び、荒くれ三人男」へと続く)

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