#29 世界の終わり

 しばらくの間、誰であってもこの部屋には入れないようにと無線電話ラジオ・フォンで――そんなものが設置されている建物などシティでさえほとんど見かけない――エントランス・カウンターに伝えたピクルス・ジュニア社長は、さてと言って再び応接セットのソファーに掛けた。

「ミスター・コーネル。あなたのお話というのは専務の件なのでしょうが、私はそのもう少し先、つまりはあなたの後ろにいる人たちの意向について確認がしたいのですよ」

羽ヶ淵ウイング・アビス本社のことですね?」

「なのでしょうね」

 その名を口にすることを、社長は避けた。

「単刀直入に申し上げましょう。ランゲンの内部は常務たちの暴走によって、いささかまずい状況にあります。私一人では止められない。外側からの介入が必要です。これは、南方深部ディープ・サウスはもちろん、この世界全体の命運に関わる緊急事態なのです」


 私は、絶句した。つまり彼は、このランゲン社を羽ヶ淵の傘下へ差し出すと、そう言っているのだ。南方深部ディープ・サウスの命運を大きく左右する事態なのは間違いない。しかし、世界全体とは一体。

「……よろしいのですか? 介入を許せば、彼らは何もかも全て持って行きます。彼らの力を、部分的に借りるようなことは不可能ですよ」

「止むを得ません。マクアウリ常務たちの動きを抑え込むには、手段を選んではいられませんからね。彼らの企みを完全に止めなければ、世界に危機が訪れます。私には、社を代表するものとしての責任があるのです。例え私の命を差し出してでも、そんな事態を防がなければならない」

 やはり、話が飲み込めない。


「マチルダ専務を排除しようとしているのも、常務たちの暴走という訳ですか?」

 とにかく、自分の仕事の領域へと私は話を戻した。

「現場に人気があり、能力も高い専務を、彼らが煙たがっているのは確かです。彼女の存在は、常務たちが進めようとしている計画の大きな障害にもなる。しかし、この件に関しては私も賛成なのです。彼女を、マチルダを」

 ピクルス・ジュニアの顔が、苦渋に歪んだ。

「これから起こるだろう騒ぎに、巻き込みたくないのです。私は、彼女を」

 エルメリナが、マチルダ専務を憎む理由がこれではっきりとした。彼は、ピクルス社長は専務を愛しているのだ。


「彼女は、ランゲン社を羽ヶ淵に売り渡した私を、決して許さないでしょう。しかし、ほかに手段はない」

「それで、マクアウリ常務たちの危険な企みとは、一体何なのです? 世界の危機とは?」

 話が、核心にたどりつこうとしていた。

戦争アトミック

 社長は言った。

「世界を滅ぼしたあの惨禍を、彼らは繰り返そうとしているのです」


  *                *                 *


 社長室を出ると、扉の前にエルメリナが立っていた。

「社長と、どんなお話を?」

 彼女の声は、冷え切っていた。

「なに、大した件じゃないさ。また良い珊瑚が手に入るようなら、今後もぜひ連絡してくれ、と言われてね」

 私は、話をはぐらかす。

「わざわざ人払いをして、私を立ち会わせずに話す内容が、そんなつまらないことのわけがないでしょ。羽ヶ淵絡みね、どうせ」

 エルメリナは、ため息をついた。

「まあ、いいわ。私にはどうでもいいこと。それより、とんだ行商人を連れ込んでくれたものね」

「何のことだね?」

「グルなんでしょう、あの二人。あまりにうまく行き過ぎたものだから、冷や汗かいてたじゃない、あの借金取り役」

「ばれてたかね」

 私は苦笑した。まあ、そんなことなら、ばれても構わない。

「あんな幼稚な芝居も見破れずに、社長はすっかりあの詐欺女のとりこ。あそこまで馬鹿だとは思わなかった。愛想が尽きるわ」


 いや、案外そうでもないのだ、と言うわけには行かなかった。社長の話した真相を、彼女もまだ知らない。危険で重すぎる、その内容。

 誰に、どんな順番で、どのような形で伝えるか。それをこれからじっくり考えなければならない。

「あなたにも、失望したわ。上級PIAともあろう人が、あんなちゃちなイカサマの片棒を担いで、大したお金にもならないでしょうに。あの交渉の時は、私もちょっとだけ感心したのにね。ほんとにがっかりよ」

 エルメリナはまくし立てた。彼女の瞳には、怒りや蔑みの色などは浮かんではいなかった。その言葉の抑揚やピッチ、そこから読み取れるのはあくまで「悲しみ」だ。


 いつの間にか、香水とフェロモンが混じりあったような、切ない空気がその場には充満していた。

 まさか、意識的にフェロモンをコントロールできるわけもないだろうが、彼女の持つ女性としての力に、私は改めて感心した。冷え切った自分の心のどこかに、少しだけ灯りを点されたような、そんな気さえした。

「そう、馬鹿にしないでくれたまえ」

 私は言い返した。「大人」のレベルに立って、彼女の言葉を一切受け流すこともできる。「その通りだよ、つまらない男なのさ」と。しかし、そうしなかった。感情の制御を切って、むきになって言い返したのだ。

「私はちゃんと、なすべきことに向かって着実に手を打っているのだよ。間もなく分かるさ、ちゃんと君にもね」

「そう。期待してるわ」

 彼女の態度はあくまで素っ気ない。しかし、その言葉が本当だということを、私は読み取っていた。


 エントランスまで戻ると、見覚えのある浅黒い顔をした男が、ユズハと話し込んでいた。ベニトビ部長。あの交渉の席で私と遣り合った、切れ者の幹部だ。

「そうですか、残念です。また新しい品物が入ったら、ぜひともお願いします」

 彼は、私のほうをちらりと見ながらそう言うと、一礼して歩み去った。

「何かあったのかね?」

 私はユズハに訊ねる。

「良い紅珊瑚があれば、どんなに高価になっても構わないからぜひ買い取りたいと、あの方が。手持ちの品は社長様が全てお買い上げになりました、とお伝えしたら、がっかりなさっておられました」

「紅珊瑚のことになると、目の色が変わるのよ、あの部長も。みんな、どうかしてるわ」

 エルメリナが、あきれ顔で言った。


(#30 「酒場の合唱、マチルダ専務たちと」に続く)


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