#28 不機嫌なエルメリナ、二人の演技

 応接セットのソファーを勧められたユズハは、宝石珊瑚の入った小さな商品ケースをセンターテーブルの上で広げた。その隣に、私も座る。向かい側ではエルメリナが、何か言いたげにしているが、私は知らん顔をしていた。

「うん。実に良いオカベニトサですね、これは。珊瑚湖でも西側の、特に水深の深い辺りで採れたものでしょう」

 手袋をして指輪を取り上げたピクルス社長は、天井で輝くバチェラー燈の光に、紅珊瑚をかざす。今日は、ユズハたちの手持ちの中でも、特にグレードの高い品ばかりを選りすぐって持って来ていた。


「おっしゃられる通り、碧ノ淵の産ですわ。それも、機械採取ではなくて、手摘みです」

 さすがに詳しいらしく、社長の見立ては正しいようだった。

「なるほど、道理で輝きが違う。これは、一つだけではもったいない。困ったものですね、あまりにも美しい、というのも」

 そう言いながら、ピクルス氏はユズハのほうばかりを見ている。エルメリナの無表情が、凶悪な色彩を帯びて行く。

 その時だった。入り口のドアが開いて、一人の男が部屋に入って来た。

「ちょいと、失礼しますぜ」

 黒のスーツにサングラス、斜めにかぶった中折れ帽。外で待機していた、セイジだった。おいでなすったな、と私は笑いをこらえた。


 ギャング・スタイルのセイジは、我々の所に歩み寄ると、ユズハのそばに立った。ピクルス社長は不審げな顔で、彼を見上げる。

「おっと、続けてくれよ。その商談がうまく行ってくれなきゃ、俺も困るんだからな。その品物を仕入れる資金がどこから出たか、忘れたわけじゃあるまい? お嬢さんよ」

「返済が遅れていることは、わたしも申し訳なく思っています」

 彼女は丁寧に、頭を下げた。いつか見た筋書き通りだ。

 エルメリナが即座に立ち上がり、腰に手を当ててセイジをにらみつけた。

「迂闊だったわ、あなたもこの人たちの仲間かと思ったのだけど。すぐに出て行きなさい。五秒以内に、保安部隊が来るわ」


「いや、待ちなさい」

 社長が彼女を制止した。

「ユズハさん、これは一体?」

「お恥ずかしいのですけれど、御覧の通りです。わたし、この方たちからお金を……」

「おい、君。いくら受け取って帰れば、彼女は自由になるんだね?」

 セイジに向かって、社長が訊ねた。

「社長! 何てことを」

 慌てたように、今度はエルメリナがピクルス氏を制止にかかる。

「大丈夫、無茶をするつもりはないよ。私はただ、気に入った品を買うだけのことだ」

 社長は力強くうなずいた。

「お持ちいただいた商品、全て気に入りましたよ、ユズハさん。みんな買い取らせていただきます」

 ちっとも大丈夫ではない。無茶苦茶だ。


「本当ですか! ありがとうございます」

 ユズハは飛び上がって喜んだ。エルメリナが、鋭い目で彼女を凝視する。視線でその心臓を貫けるなら、今すぐお前の人生を終わらせてやる、そんな目で。

「ま、まあ、それだけの売り上げがあれば、俺に借りた金なんかすぐに返してもらえるだろう。良かったな」

 予想外の展開に動揺したのか、セイジは汗びっしょりになっている。

 あまりにも面白い展開に、私も笑いをこらえるのが辛いほどで、「面白く感じることと、表情筋の動きが関連する必要はない」という自己暗示による自律神経制動をかけて無表情を保った。

 しかし、見る人が見れば――つまりは腕利きの同業者が見れば――その表情がニュートラルなものではなく、作ったものであると分かるだろう。


 ここで初めてピクルス社長は、エルメリナの熱光線兵器の如き視線に気づいたようだった。慌てたように、咳払いする。

「これで、大事な人へのプレゼントが用意できるよ、うん」

 取って付けたようなこの台詞は逆効果だったらしく、エルメリナの瞳は一転して、凍り付くような冷たさを帯びた。

「その方が、お羨ましいですわ。素敵な社長さまに、そんなに大切にされて」

 リップサービスのつもりか、ユズハが余計なことを言い出した。社長はご満悦だが、その場の空気はまるで戦場のような緊張感に包まれる。


「それでは、商談も成立したようですので、これでお帰り下さい」

 支払いが終わると、すかさずエルメリナが事務的な口調で告げた。モテすぎるのも辛いなあ、という得意げな困り顔をしている社長を、これ以上見ているのに耐えられない様子だった。

「そうですね、大切なお仕事もおありでしょうから……。わたしは、これで失礼します。エンパイヤ金融さん、それでは全額返済しますので、ホテルまでご足労いただけますか?」

 ユズハが、ギャング・スタイルの兄に白々しく訊ねる。

「おう、そうしてもらおうか。これで、あんたとはお別れだ」

 そんな二人に向かって何か言いかけたピクルス社長を遮るように、

「それでは玄関までお送りします。こちらへ。どうぞ」

 エルメリナが有無を言わせぬ口調で、部屋の扉を開いた。


 三人が出て行くのを見送り、私は社長のほうを振り返った。

「いい買い物をなさいましたね。ところで、少しだけお話をしたいのですが、お時間はよろしいでしょうか?」

「実は、私もあなたとお話したいと思っていたのですよ、ミスター・コーネル」

 つい先ほどまでの、不自然なくらいにニヤついた表情はすっかり消えて、真剣な眼差しだ。なるほど、あれは演技だったというわけか。カイネリ技師長の言った通り、この男、ただの馬鹿ではないらしかった。


(#29 「世界の終わり」に続く)

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