#5 長距離特急列車、A個室

「どうだい先生、こいつがA個室だ。俺も、こんな贅沢な列車に乗るのは初めてだよ」

 高架軌道Sバーンから乗り継いだ、南方行の長距離特急列車。その車両の内部を見回しながら、カイネリ技師長は得意げな声を上げた。

 戦争アトミック前に運行されていた大陸縦断鉄道の廃線跡を利用し、簡易な特殊狭軌道を敷設することで作られた郡部諸街区連接鉄道ディジーチェーンにおいては、大きな客車を走らせることは出来ない。

 しかし、その客車の丸々一両を個室として使うA個室デラックス寝台車は、さすがに広々としていた。長細い室内に、進行方向に沿って縦向きに二台のベッドが並ぶという構造なのだが、小さな洗面台やソファーを設置するだけの余裕もある。技師長が昨晩泊まった簡易宿所ドヤテルの部屋に比べれば、こちらのほうが遥かに立派だった。


「私は別に、普通の座席車でも大丈夫なのだがね」

 ちょっとだけ、私は強がって見せる。

「そんなこと言わんでくれよ、コーネル先生。この寝台を取るのには、えらいこと苦労したんですからな」

「しかし、高かったろう?」

 空路のとんでもない高価さとは比較にならないとはいえ、この車両に乗るためには、私への報酬額そのものと、さほど変わらない額の料金が必要なはずだった。

「へへへ、鉄軌機構の知り合いに、迅速麻雀ブウマンでちょいと貸しがありましてな。予約システムを、ちょちょいのちょいとね、頼んだわけです。超の字がつく格安優待ですわ。いや、硬席車で四日間というのは、これはなかなか厳しい旅ですからな」

 彼はうんざりしたような顔になった。こちらへ出て来た時は、彼も料金の最も安い硬席車に乗って来たはずなのだった。


 間もなく、列車の発車時刻となった。特殊狭軌道専用の、小型ではあるが鋼鉄の塊のような重量感のある電気機関車が、軽快な警笛の音を合図にモートルをうならせて走り始める。

 複雑な分岐器ポイントの上に差し掛かると、客車は大きく左右に揺れて、激しい軋み音を立てた。とても立っていられないほどだ。

 最上級の車両とは言うものの、車体のボロさは他の客車と大して変わりなく、無数のリベットで接合された鉄板むき出しの壁には、あちこち錆が浮いていた。車輪がレールのジョイントを超える度に、床板のすぐ下からは大きな音がゴトゴトと響く。


「なるほど、これで四日間はなかなか厳しいね」

 早くも私は、つい弱音を吐いた。

「なに、この寝台車なら、ベッドの上に横になっておればどうということはありません。硬席車は、あれは木箱の上に座っているようなものですからな、衝撃が脳天直撃ですわ」

 技師長は楽し気に笑った。ちっとも楽しくはなさそうだが。

 とにかく、彼のアドバイス通り、ベッドの上に横たわってみた。スプリングが硬く、お世辞にも上等とは言えないベッドではあったが、なるほどこれなら随分楽だ。多少左右に激しく揺れても、床の上にひっくり返ったりはせずにすむ。


 郊外に出ると機関車はどんどん増速し、列車は快調に貧弱な線路上を突っ走った。車窓にはひたすら、灌木が疎らに生えるだけの殺風景な草原ステップが広がる。

 シティを離れてしまえばその先には、このような草原の中に小さな町がたまに姿を現すだけの郡部諸街区カウンティが数千ファーレンにも渡って続いていた。しかしそのさらに先、南方深部の過酷な状況に比べれば、この辺りはずっと環境に恵まれた地域だと言って良い。

「あとは、こいつがこのまま順調に走ってくれることを祈るだけです。十二時間以内の遅れで済めば、五日後の交渉には間に合いますからな」

 ベッドの端に腰かけたカイネリ技師長が、つぶやくように言った。

「できれば定刻通りに着いてもらいたいものだね。到着して、そのまま朝からいきなり交渉というのでは君たちも大変だろう」

「わしはどうもありません。仕事なら、二日や三日の徹夜など珍しくありませんからな。コーネル先生こそ、よろしく頼みます」

「私はプロだよ。交渉の席についてしまえば、あとはパーフェクトな仕事をするだけだ」

 そう言い放った私に、技師長は「これは、失礼なことを申した」と神妙な顔で頭を下げた。


 彼が持ち込んできた依頼というのは、技術者組合テクナギルドとランゲン社経営陣との団体交渉に同席して、彼らの要求を通して欲しい、というものだった。

 労使交渉なら、何でも屋である心理交流干渉士PIAよりも、労務弁護士レイバー・ロウヤ―辺りの専門分野だが、その交渉の内容というのが変わっていた。彼らの労働条件や賃金について争っているというのではなく、経営側の一人であるはずの技術担当重役の解任を撤回させるための交渉だというのだ。


 詳しい状況について、私は改めてカイネリ技師長に確認しておいた。情報は、多ければ多いほどいい。時間は有り余っていた。

 ランゲン社は営業系部門と、実際に有価液体鉱物プライムの採掘を行う技術系部門の二つの柱で成り立っている。そして技術系部門のトップに当たるのが、件の担当重役であるマチルダ・ウォルツ専務という女性だった。

 先代社長の娘でもある彼女は、シティ当局の工学アカデミー会員だったこともあるという才媛で、その能力と直感的な技術センスには現場の技術者たちも一目も二目も置いていた。


「つまりスーパーエリートですわ、あの専務は。しかしそれなのに、わしらが代用ホッピー飲んでるような場末の食堂グリルまで平気で来てくれて、わしの意見も熱心に聞いてくれるのです。おまけに、スタイル抜群で大変な別嬪さんで……いや、これは余計でしたが」

 専務について語るカイネリ技師長は、ひいきのスターがいかに素晴らしいかと熱弁をふるうファンそのものだった。彼女は完璧なまでに現場を掌握しているようだ。

 しかし実際のところ、彼ら現場技術者の最大の理解者であるマチルダ専務がいなくなってしまえば、社内のパワーバランスが一気に営業系へと傾いてしまうのは間違いないことらしかった。

「今の三代目社長、アルタラ・ピクルス・ジュニアにとっちゃ、先代の娘である専務が目障りでしょうがないわけですわ。それで専務に無理難題を押し付けて、それを断ったのを口実に辞めさせようとしておるわけです、あのアホダラ・ピクルスは」

 技師長の顔は、憤りで真っ赤だった。


(#6 「美しきマチルダ専務、食堂車のディナー」に続く)

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