#48 彼の役目、「リサⅢ」の真価

 技師長に先導された彼ら警備隊は、アーケード・べトラへの地下通路を驚くべき速度で疾走し、ピクルス社長たちの移送を行った。二人の身体に与える振動を、あくまで最小に抑えながら。

 私と二人の刑事は、その疾走する一団の後方を、ずっと遅れながら追った。暗い通路の彼方を見つめて、急ぎ足で前へと向かいながら。我々が病院に駆け付けたところで、特にできることもなさそうではあったが。


「社長さんたち、きっと、きっと助かりますよね」

 クレヴァ刑事の声には、祈りが込められているようだった。

「あの医介補エヌピーさんも、命は取り留めたと言っておられた。助かるとも、きっと」

 そう答えたナフラム刑事の言葉は、力強かった。


 二人はなぜ、あんな行動に出たのだろう。心中。それは確かに、ピクルス社長の今後の処遇は、厳しいものになるだろう。地位を失い、辛い思いをする場面が続くこともあるはずだ。

 しかし、そんなことが原因で、あのピクルス・ジュニア社長が死を選ぶとは思えなかった。

 やはり、部下である常務たちの暴走を止めることが出来なかったこと、そのためにランゲン社を危機に陥れたこと、そしてその鎮圧に際して、ベニトビ部長を始め大勢が命を落とすことになるだろうこと、それら全ての責任を取ろうとしたのだ。

 常務たちの陰謀を私に明かしたあの時、このランゲン社を羽ヶ淵の傘下へ差し出すこともやむを得ないと口にしたあの時から、こうすることを決めていたのかも知れない。


 そしてエルメリナ。彼女は、そんなピクルス氏の最後の伴侶として、共に旅立つことを選んだのだろう。

 それを受け入れたピクルス・ジュニア氏の真意は、果たしていかなるものだったのか。マチルダ専務を現世に残し、エルメリナと二人で旅立とうとした、その真意とは。

 彼らの意識が完全に戻ったとしても、私がそれを知ることはないだろう。人の心の中だけにある真実を読み取ることは、私にもできはしない。


 再び地上に姿を現し、通りを全力で駆けて行く物々しい武装集団に、べトラの住民たちはやはりぎょっとした様子だった。彼らが保温担架で運んでいるのが、瀕死のピクルス・ジュニア社長たちだと知ったら、さらに驚くだろう。

 幸い、アーケード内の基幹病院のある二番街は、地下通路の出口からはそう遠くなかった。二人の身柄はほどなく、救命治療室へと搬入された。


 さて、私にも一つ、遂行しなければならない役目があった。二人の命を救うのは、医者の仕事だ。そして、その後の二人を救うのは、私の仕事なのだ。

 コートのポケットから全書ペディ―を取り出し、その表紙を開く。FLディスプレイの上に、光の線で描かれた乙女かのじょ「リサⅢ」が姿を現す。

「ご用でしょうか?」

 と訊ねる彼女に、私は言った。

「ああ、そうなんだよ。一つ、頼みがあるんだ。ゴライトリー副部長と直接話がしたいのだが」

「承知しました」

 彼女はにこやかに、そう答えた。ごまかしたり、言葉を濁したり、機械の乙女はそういうまどろっこしいことはしない。


 予想通りだった。この全書ペディ―が、実は私の動向を逐一本社に伝えていたのだとすれば、その通信先は間違いなくロレンス・ゴライトリーだろう。ならば、直接やり取りを行うことも可能に違いない。ストレートに、リサに頼んでみればすぐに答えは出るはずだ。私は、そう考えたのだ。


 ややあって、乙女かのじょは言った。

「申し訳ありません。相互情報通信網ネットへの接続を試行しましたが、うまく行かないようです。『送受光塔』が近くにある場所へと、移動をお願いできませんか?」

 なるほど、全書ペディ―は光通信を用いて本社へと情報を送信していたということらしい。しかし、そこらの支分情報公署アイ・ビー程度では、光通信用の送受光塔などという特殊な設備は設置されていないはずだ。

「ここから一番近い、『送受光塔』の設置個所は分かるかね?」

「はい。ここから通りを北へと進んでいただければ、南方諸街区管理機構SLCMの支署があります。その屋上に、設置されています」

 何のことはない。彼女の言う「支署」とは、何度も訪れたあの保安部隊詰所のことだった。


 通りを戻り、一番街の北端へ。全体を灰色のべトンで覆われた、あの正体不明な建物の前に立つと、私はまた全書ペディ―の「表紙」を開いた。

 その時、私は初めて気づいた。金属製の「表紙」に彫金された、乙女かのじょのレリーフ。両の瞳にはごく小さなガラス玉が嵌め込まれていたのだが、その左右の造りが僅かに違う。

 右目のほうはごく小さなレンズ状、左目はわずかに赤味がかっていて、その奥には何かの部品らしきものも見えている。

 恐らく「リサⅢ」は、この右目で周囲を認識し、そして左目で通信用のコヒーレント光を発振しているのだろう。想像を絶するほどの、高度な技術の塊。

 彼女こそが情報収集の要で、私は彼女を運ぶ「乗り物」に過ぎなかった。これではむしろ、そう言っても過言ではないほどだった。

 しかしまあ、それならそれで良い。今はやるべきことがある。


「通信が、可能になりました。ゴライトリー副部長をお呼びしますか?」

 ディスプレイ上に浮かび上がった、リサ《かのじょ》が言った。

「ああ、頼むよ」

 私がそう答えるなり、黒い画面上に、今度は中年男性が姿を現した。

 乙女かのじょと同じく、光の線によって描き出されたその不機嫌そうな顔――いつだって、彼はそんな顔をしているのだ――は、間違いなくロレンス・ゴライトリー副部長のものだった。その顔の横に、スピーチ・バルーンが浮かぶ。

「ご苦労だったな、コーネル君。今回の君の仕事は、見事なものだったよ。ボーナスは、期待してもらっていい」

 私を騙していたことなどおくびにも出さずに、副部長はそんな言葉を並べて見せた。

「それは楽しみですね。ただ、この大詰めまで来て、少々まずい事態が生じています。今後、我々羽ヶ淵ウイング・アビスが、南方を掌握するに当たって、問題が生じるかも知れません。ご相談をさせていただく必要があると判断しました」

 私は、そう答えた。


(#49 「ゴライトリー副部長の忠告、ハッピー・エンド」へと続く)

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