#47 二人の命

 ランゲン本社ビルの正面玄関、あの重い扉は開かれたままになっていた。周囲にはまだ、クレヴァ刑事たちに撃たれた数人の衛視隊員が横たわっている。

 命に別状ないように狙撃したはずだから、恐らくは良い夢を見ながらぐっすり眠っているのだろう。


 またあの螺旋階段を上がり、我々は四階の社長室へと向かった。まだベニトビ部長の遺体が転がったままの役員室についても、隊員たちによって実況見分が行われることだった。

 例の危険物質が入った小瓶は、彼らが回収するらしい。武装警備隊ASTの本隊ともなると、半恒久有害廃棄物ラディワーストの処理について訓練を受けた専門の隊員も所属しているようだった。

 四階にたどり着き、通路に足を踏み入れると、辺りの様子ががらりと変わった。何人もの衛視隊員が、あちこちに横たわっている。それだけならビルの外と同じだが、彼らはみな頭部からおびただしい血を流していた。見事に、全員死んでいる。


「大したものだ、これは。みな頭を一撃でぶち抜かれている」

 武装警備隊ASTの隊長が、感嘆の声を上げた。「処理」を許可された闘いの天使、クレヴァ刑事がその本来の姿を見せたのだろう。

 その時、通路の奥で、微かに物音がした。金属の音。

「クレヴァ君、わしだよ。……えーと、『ОRX-005、緑の鳥は姿を変える』」

 慌てたように、ナフラム刑事が声を上げた。最後のは、合い言葉か何かなのだろう。どうやら下手をすると、我々も撃ち殺されかねないということらしかった。さっきの音は間違いなく、銃の撃鉄を起こす音だった。

 ここで初めて、実体金属弾銃マグナムを両手で構えたクレヴァ刑事が、壁の陰からゆっくりを姿を現した。

「お帰りなさい、先輩。ここは、守り切りました」

 傷一つ負っていないようではあったが、そう言ってようやく浮かべた微笑みには、さすがに疲労の影が色濃かった。

「よし、良くやったぞ」

 駆け寄ったナフラム刑事が、その体を軽くハグして、背中を叩いた。


「マチルダ・ウォルツです。戻りました、ピクルス社長」

 廊下の一番突き当りにある社長室の扉をノックして、専務が声を掛ける。しかし、中からの返事はなかった。

 はっとした顔をして、彼女は急いで扉を開いた。

 部屋の中央に置かれた応接セットのソファー。ピクルス社長とエルメリナは、寄り添うようにそこに座っていた。手をつないで、目を閉じたまま、二人はお互いの頭をもたせかけている。

「エルメリナ!」

 思わず私は、彼女らの傍へ走り寄った。しかしその大声にも、二人は反応しない。

「待って! 触れちゃだめ!」

 エルメリナの肩に手をかけて揺さぶろうとした私の背後から、誰かが叫んだ。

 振り向くと、一人の女性隊員が駆け寄ってくるところだった。

「警備隊の専属医介補エヌピーです。私に任せて」

 医介補エヌピー、つまり准医師である彼女は、右手に提げたバッグから小型の医療用端末メディック・コンソールを取り出して、すぐに診察に入った。


「二人で、何か薬を飲んだのだわ。まだ息がある」

 凍り付いたようになっている我々のほうを、彼女は振り返った。

「薬のPTP、パッケージか何かが近くに残ってないか、すぐ探して!」

 隊員たちや二人の刑事、技師長たち、そしてもちろん私も、部屋の中を漁り始めた。

 幸いすぐに、薬が入っていたシートが、廊下のダストボックスから見つかった。見つけたのはナフラム刑事、さすがは捜査の専門家だ。

「バルビル酸ブロバゼパム。脳神経信号受容体レセプターのダウンレギュレータね。なら、これで」

 薬物の名を確かめた医療職の女性隊員は、医療用端末メディック・コンソールから何本かのケーブルを引き出して、社長とエルメリナの側頭部両側にパッドを当てた。

「お願い、効いて」

 彼女はそうつぶやくと、端末のボタンを押した。短い警報音が、鳴り響く。つづいて、耳に突き刺さるような高周波ノイズ。


「私のせいだ……」

 クレヴァ刑事が、床に座り込んだ。

「外からの護りしか考えなかった……。二人の様子を確認するのが、疎かになってしまった」

「これだけの数の侵入者を撃退しなきゃならんかったんだ、それだけで精一杯なのは当然だよ。断じて、君のせいじゃあない」

 ナフラム刑事が、力強い口調で断言した。その場のみんなも、一様にうなずく。


「よし、効いた、電磁刺激が!」

 医療用端末メディック・コンソールの表示を見つめていた女性隊員が、そう叫んで振り返った。

「とりあえず、命は取り留めたわ。でも、すぐに本格的な処置に入らないと。ここじゃ胃洗浄もできない」

「べトラに戻れば、病院があります」

 カイネリ技師長が答えた。

「医療レベルは?」

「地域基幹病院です。レベル3-A」

「なら充分。すぐに移送を」


 隊長の指揮の下、警備隊員たちは手際よくピクルス社長とエルメリナを保温担架に収納し、救急移送を開始した。

 私には、そんな様子を黙って見守ることしかできなかった。こんな時、PIAに出来ることなど何もない。死神と駆け引きすることなど、誰にも出来ないからだ。


(#48 「彼の役目、『リサⅢ』の真価」へと続く)

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