#49 ゴライトリー副部長の忠告、ハッピー・エンド

「ほう、君がわざわざ、直接私と相談したいとはな。何が起きた?」

 線画のゴライトリー副部長に動きはなかったが、遥か彼方の本社内で、彼の右眉が上がるのが見えたような気がした。

「改めて認識しましたが、南方深部におけるランゲン社の存在感、人々の支持というものには、想像以上のものがあります」

「そのようだな。不用意にランゲン社を叩き潰すようなことは避けねばならん。羽ヶ淵は決して、憎まれる支配者であってはならんのだ」

「幸い、後任の社長に最適な人物がいます。先代社長の娘で、現場の信任も厚い専務が」

「マチルダ・ウォルツ。私も知っておるよ、シティ工学アカデミー会員だった当時の彼女を。ランゲン社の関係者は、監視対象になっておったからな。なかなか、優れた人物だ」

「ではやはり、後任は彼女ですね」

「私の口からは何も言えんが、有力な候補の一人ではあるだろう」


「つまり、後任については、いくらでも画の描きようはある。問題は、ピクルス氏の処遇です。第十五条委員会コートにおいて、まともに法で裁けば、彼は重罪でしょう」

「今回の事件における全責任は彼にある。当然に、処遇は厳しいものにならざるを得ん。命まで取ろうとは言わんがな。何か問題があるかね?」

「まさにその、彼の命が危ういのですよ。先ほど、女性秘書と心中を図りました。薬物を用いて」

 対面してしゃべっているのなら、声を重く落とすところだ。しかし、ダイヤルを操作して文字を打ち込んで行くだけだから、どうもさまにならない。駆け引きも何もない。

 しかし、相手にしているのはゴライトリー個人ではない。

 羽ヶ淵という巨大組織、その全体を貫く基本方針そのものだ。心理を読む必要も何もなく、事態を動かすのは、実はごく簡単だった。


「馬鹿な。厄介なことを」

 彼にもまだそこまでは把握できていなかったようだ。武装警備隊ASTは第四調査部の直轄部隊ではなく、情報もすぐには伝わらない。

「助かりそうか?」

「警備隊の専属医介補エヌピーが、緊急処置をとりました。基幹病院で処置中です」

「自分の部下がこれだけの事態を引き起こしたわけだからな。まともな責任感を持つ男なら不思議なことではない。しかし、だ」

「同情が集まることは間違いありません。自らの命を以て、彼は罪を償おうとしたのだ、と。そこへ、我々が支配者然と出て行って、苛烈な処置を取れば……」

「わかっておる」

 ロレンス・ゴライトリーは、苦飴を噛みつぶしたような顔をした。恐らく、ではあるが。


「マチルダ氏に伝えたまえ。アルタラ・ピクルス・ジュニアの扱いについて、シティ当局、第十五条委員会コートは関知しない。準自治権能サブ・オーガンの範囲において処理するように、と。委員会名による正式な文書は、追って送付する」

 ゴライトリー副部長のため息が聴こえたような気がした。

「くそいまいましい。しかし、コーネル。君も、もう少し自分の立場を鮮明にしたほうが良い、とだけ忠告しておくぞ。私に直接駆け引きを打ってまで、ピクルス・ジュニアを助けようとする真意が何なのかは知らんがね。以上オーヴァ

 副部長には、お見通しだったらしい。南方からの反感が炎上する恐れをちらつかせて、ピクルス社長たちを救おうとする、私の狙いが。


 まあ、良い。私は副部長から、二つの重要な答えを引き出した。まず、ピクルス氏への苛烈な処置は回避される。私を信じて、羽ヶ淵との仲介を任せてくれた男を、破滅させるわけには行かなかった。

 そして、もう一つの重要な答え。南方諸街区における、準自治権能サブ・オーガンは存続される。第十五条委員会コート名の正式文書が出されるというのは、つまりはそういうことだ。

 南方深部ディープサウスが守って来た独立性は、引き続き保持されるというわけだった。カイネリ技師長たちを裏切らずに済んだ。これは大きな成果だった。

 プロとしての、ゼロ・コーネルの仕事は、かくして完成した。パーフェクトな形で。


 しかし残念ながら、何もかもがめでたく元通り、というわけには行かなかった。

 治療の結果、ピクルス氏とエルメリナは、一命をとりとめた。

 しかし、ピクルス氏の意識が戻ることはなかった。外部からのいかなる呼びかけにも、彼が反応を返すことは二度となかったのだった。

 エルメリナは、彼の眠るベッドの傍から、一刻たりも離れようとはしないらしかった。アルタラ・ピクルス・ジュニア氏は、彼女の心を連れたまま、自らの心の中にある内宇宙へと旅立ってしまったのだ。


 果たしてこれは悲劇なのか、それともハッピー・エンドなのか。それは、二人にしか分からないことだろう。

 確実に言えるのは、ピクルス氏が密かに抱いていたマチルダ専務への思いを、専務自身は全く知らないままに終わるだろうということだった。

 私がエルメリナをディナーに誘う機会も、もう二度と訪れはしまい。もっとも、ぜひ味わってもらおうと思っていた、肝心の絶品モンブランも、すでに灰になってしまっていたが。


「結局は、あのピクルス社長が自らの身を投げ出して、この南方を守った。そういうわけですな」

 両眼を閉ざしてうなだれたまま、カイネリ技師長は言った。今日でチェックアウトとなるホテルのダイニング。今朝は他の客の姿もなく、ひどく静かだった。人工太陽の光が降り注ぐ明るい通りが、窓の外に見える。

「わしらの、社長に対する態度は、公正なものではなかった。今さらこんなことを言ってみても、どうにもならないが……」

「経営者というのはそういうものです。時には社員に憎まれることもある。それが役割なのですよ。あなたがた技術者組合テクナギルドも、その必要があれば、今まで通りに経営陣とぶつかっていくべきです。それが、役割でしょう」

「そうかも、知れません。ありがとうございます」

 一度顔を上げたカイネリ技師長は、再び深々と頭を下げた。

「次なる対決の際にも、またこのゼロ・コーネルめにぜひご用命を。リーズナブルなお値段で、お引き受けいたしますよ」

 私が軽くおどけて一揖して見せると、技師長はようやく笑顔を見せた。

「もちろんです。よろしくお願いします」


(#50 「慌ただしき別れ、さらばアーケード・べトラ」へと続く)

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