#7 愉快な夜、紅珊瑚商人のユズハ
アルコール度数のごく低い、ほとんど
「先生、先生! いい夜ですな、いい旅ですな。いや、愉快だこれは」
テーブル越しに手を伸ばして、私の肩をどんどんと強く叩きながら、技師長は大声で――本人はささやき声のつもりなのだが――言った。
「おいおい、愉快なのはいいが、あんまりその、君の太い腕でドンドンやるのはやめてくれ給えよ。肩の骨が折れそうだ」
「それはいかん。ただでさえ、これから先生には、仕事で骨折っていただかんといかんわけですからな。今折れちゃまずい」
「そのとおりだとも!」
「わははははは」
私と技師長は、爆笑した。テンションがおかしい。
彼の向こう側、隣のテーブルに一人で座り、何かのスープを飲んでいる若い女性が、ちらちらとこちらの様子をうかがっていた。やかましいおっさん二人、さぞ迷惑なのだろう。
「技師長、技師長」
私は声を潜めた。――少なくともそのつもりだった。
「隣の御婦人が、迷惑そうだ。少々我々は、
「おっ、それはいかんですな」
私が止める間もなく、カイネリ技師長は背後を振り返り、その女性に頭を下げた。
「済みませんな、酔っ払いのおっさんで。気をつけますのでな」
「いえ……大丈夫ですわ」
グリーンがかった、青い大きな瞳を見開いて、彼女は答えた。肩まであるブロンドの髪が、美しい。服装はごく素朴な、ほぼ何の装飾もない、濃紺一色のロングドレスだ。
「……たいそう、別嬪さんですな」
本人は小声のつもりで、技師長は大変な大声で、私に向かって言った。
「おい、聴こえてる」
私も小声のつもりで、そう返す。しかし、隣席の彼女がクスクス笑い出したのを見ると、丸聞こえらしい。こうなると、ちゃんと話しかけるのが礼儀だろう、と私は判断した。まだ、この列車で数日を過ごさなければならないのだ。
「失礼ですが、お嬢さんはどちらまで? 我々は、『アーケード・べトラ』まで参りますが」
「同じですわ。私も『べトラ』まで。奇遇ですわね」
彼女は、にっこりと微笑んだ。
「それは、それは。私の名は、ゼロ・コーネル。
「わしは、カイネリと言います。ランゲン社という会社で、技師長をやっております」
私の自己紹介をぶった切って、技師長が言った。
「あら、お二人とも立派な紳士でいらっしゃいますのね」
再びクスクスと、彼女は笑った。
「こうも揺れると、どうもいけませんね。少々、酔いが回ってしまったようだ」
どうも格好が悪く、私はそんな言い訳をしてみせた。
彼女の名前は、ユズハといった。べトラまで、宝石珊瑚の行商に行くそうだ。
南方では、貴重な紅珊瑚に人気が集まっているらしく、これだけの手間をかけて出かけても、十分に利益が見込めるということだった。若いが、随分しっかりしている。
「ただ、わたしも風境区よりも南の
ユズハは、少し不安そうな声を出した。
「終着の駅から町までは、少々距離がありますが、どうされるおつもりかな?」
カイネリが訊ねる。
「歩くしかない、というのは聞いていますわ。
「そりゃ、
「そうなのかね?」
私は思わず、横から訊き返した。南方深部において一年中吹き荒れる、「極渦」という名の暴風雨。その激しさについては、噂に聞いてはいたのだが。
「コーネル先生は、まあどうにか大丈夫でしょう」
カイネリ技師長は、無造作に言った。
「しかし、女性一人となると、これは危ない。駅からの道は、街道とは言うても、荒れ地の中にぬかるんだ細道が続いておるだけですからな。嵐で前なぞろくに見えんし、間違って道から外れれば即遭難ですぞ」
その言葉に、ユズハは眉をひそめた。
「そうですか、そんなに……」
「そんな様子では、私だって大丈夫とは言えないのではないかね?」
またしても、私は口をはさんだ。そこまでひどいとは思っていなかったのだ。
「ですから、ですな」
技師長は、重々しくうなずいた。
「わしが、『アーケード・べトラ』まで、ちゃんと案内するわけです。ユズハさん、あなたもわしらと一緒のほうが安全です」
「ありがとうございます。ぜひ、お願いします」
彼女は、丁寧にお辞儀をした。
「では、そのお礼に……」
「いや、それは」
「礼など」
私と技師長は、ほとんど同時に言った。
「お二人にライス・ヴァインをひと瓶、ご馳走させていただこうかしら? いかがでしょう?」
「それならば」
「いただきましょうかな」
またしても、私と技師長は同時にうなずき、ユズハはクスクスと笑った。
彼女は先に自室――B個室という一人部屋らしかった――へと帰った。そこまでは覚えている。
しかし、自分が果たしてどうやってベッドに戻ったのか。私には記憶がなかった。目が覚めると、車窓には草原の朝が広がっていた。
(#8「宝石珊瑚のお茶会、ギャング・スタイルの男」に続く)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます