第二章 ゼロ・コーネル氏の仕事、対決相手はランゲン社
#11 不愛想な小役人、あるいはパープル・ヘアーの天使
技師長と共に、さらに二重のドアを通り抜けた奥にあるイミグレーションセンターへ向かい、そこで私だけがアーケードへの滞在手続きを取る。
カウンターの女性職員は、体のラインそのままの白いシームレススーツに、ライトパープルの髪と瞳という装いに身を包んでいて、あの荒野を超えてきた私にはほとんど天使のように見えた。しかし彼女は、
「アーケード・ベトラ滞在の目的について、正確かつ簡潔に説明してください」
と、その姿に似つかわしくない、極めて事務的な声で私に命じる。要は、管理機構の役人ということだ。たとえ見た目は天使でも。
隣の技師長が、
何か言いかけたカイネリ技師長を押しとどめて、私は黙って
「……了解いたしました。すぐに手続きをお取りしますわ」
声のトーンが急に柔らかくなった。カードの筆頭に記されたΣ-PIAのライセンス表示、こういう属性情報には役人をいくらか天使の域に近づけるくらいの効果はあるようだった。
コンソールを素早く操作して、彼女はてきぱきと滞在手続きを進めてくれた。ライトパープルの髪を時折かき上げると、草原の花を思わせる香りがふわりと辺りを漂う。ここはやはり、荒野とは違う。
手続きが完了すると彼女は、
「当アーケード、べトラへの滞在が、素晴らしいものになることを心より願っております」
とにっこり微笑んで私を送り出してくれた。
「あのいつも無愛想な女役人が……いや、大したものですな、先生は」
カイネリ技師長は、心底感心したという様子でそう繰り返した。実際はライセンスの威光に頼ったに過ぎないのだが。
頭からつま先までの全身を覆っていた
アーケード内へとつながる通路には、柔らかなカーペットが敷かれていた。外部とは、まさに別世界だ。
通路を出ると、そこは人々が行き交う広い通りで、両側には五~六階建てのビルが並んでいた。偏光グラス越しに見上げれば、アーチ状の天井に取り付けられた人工太陽板が、柔らかい輝きを放っている。そろそろ夕暮れ時ということで照度は落ち、光の色温度も下がって赤みを増しつつあった。
その天井のすぐ向こう側では凄まじい嵐が吹き荒れているはずだったが、アーケード内にはそんな気配は全く伝わっては来ず、人々のざわめきだけが聞こえていた。
カイネリ技師長が用意してくれたホテルは、アーケードのちょうど反対側の端に当たる、温泉街の中にあるということだった。
「温泉?」
思わず、私は訊き返す。
「ええ、ご存じありませんか?
初耳だったが、それはありがたい。疲れた体に、温泉は何よりの癒しをもたらしてくれるだろう。
「それはいいですわね。私たちも、その温泉に泊まることにしますわ。高いホテルは、ちょっと無理だけど」
ユズハもうなずく。
「では、案内いたしましょう。ただ、ここからまた少々、歩くことになります。乗り物もないではないですが、あまりお勧めできん代物なので」
技師長は申し訳なさそうな顔をした。しかし、この快適な重耐候アーケードの中をさらにいくらか歩くくらいのことは、もはや何でもなかった。
メインストリートというか、つまりアーケード内には、ただ一本の通りしかないのだった。ホテルまでの経路について、わざわざ案内してもらうまでもなさそうだった。
もっとも、一本道ではあるのだが、単純に一直線にはせず、ランダムに
「こうして、わざと見通しを悪くするのが、最も効果的だったようですな」
カイネリ技師長は、そう説明してくれた。
こうまでして、多くの人を住まわせる必要があるほど、この
四つの街区を歩き通し、アーケードの南端に近い五番街にたどり着くと、この辺りだけ風景が全く異なっていることに気付く。通りに沿って並ぶのは、いずれも五階建て以上で天井ぎりぎりまでの高さ、間口の広さも軒高の数倍はあるような大規模な建物ばかりだった。
そして、それらの玄関のそばには「温泉」「スパ」「ホテル」などの文字がある。ここがカイネリ技師長の言った、一大温泉街だった。
密閉されたアーケード内で湯煙がこもるようなことのないように、このエリアでは特に強力な換気が行われているはずだ。それでも、空気は何となく白く霞んで見えたし、わずかに地中ガスの匂いが漂っているようにも思える。悪くない。温泉地など、随分久しぶりだった。
(#12 「ランゲン社のエルメリナ」へと続く)
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