第二章 ゼロ・コーネル氏の仕事、対決相手はランゲン社

#11 不愛想な小役人、あるいはパープル・ヘアーの天使

 技師長と共に、さらに二重のドアを通り抜けた奥にあるイミグレーションセンターへ向かい、そこで私だけがアーケードへの滞在手続きを取る。

 カウンターの女性職員は、体のラインそのままの白いシームレススーツに、ライトパープルの髪と瞳という装いに身を包んでいて、あの荒野を超えてきた私にはほとんど天使のように見えた。しかし彼女は、

「アーケード・ベトラ滞在の目的について、正確かつ簡潔に説明してください」

 と、その姿に似つかわしくない、極めて事務的な声で私に命じる。要は、管理機構の役人ということだ。たとえ見た目は天使でも。


 隣の技師長が、防嵐服レイン・コートの小物ポケットから取り出した滞在許可証を示したが、彼女は再びクールな声で「アイデンティフィケーションが必要となります」と顔色一つ変えずに言い放った。私がそこに書かれた「ゼロ・コーネル」なのかどうか分からないでしょ、と言いたいのだろう。

 何か言いかけたカイネリ技師長を押しとどめて、私は黙って個人属性票ユニークカードを提示した。彼女はわずかに寄り目になって、そこに記載された属性情報を読みとろうとする。

「……了解いたしました。すぐに手続きをお取りしますわ」

 声のトーンが急に柔らかくなった。カードの筆頭に記されたΣ-PIAのライセンス表示、こういう属性情報には役人をいくらか天使の域に近づけるくらいの効果はあるようだった。


 コンソールを素早く操作して、彼女はてきぱきと滞在手続きを進めてくれた。ライトパープルの髪を時折かき上げると、草原の花を思わせる香りがふわりと辺りを漂う。ここはやはり、荒野とは違う。

 手続きが完了すると彼女は、

「当アーケード、べトラへの滞在が、素晴らしいものになることを心より願っております」

 とにっこり微笑んで私を送り出してくれた。

「あのいつも無愛想な女役人が……いや、大したものですな、先生は」

 カイネリ技師長は、心底感心したという様子でそう繰り返した。実際はライセンスの威光に頼ったに過ぎないのだが。


 頭からつま先までの全身を覆っていた防嵐服レイン・コートと、荷物の詰まったトランクをクロークに預けると、体力を持て余しそうなくらいに身軽になった。手元に残ったのはアタッシェケースと、ケーキの入った停滞保存函ステイシス・キャリアだけだ。

 アーケード内へとつながる通路には、柔らかなカーペットが敷かれていた。外部とは、まさに別世界だ。

 通路を出ると、そこは人々が行き交う広い通りで、両側には五~六階建てのビルが並んでいた。偏光グラス越しに見上げれば、アーチ状の天井に取り付けられた人工太陽板が、柔らかい輝きを放っている。そろそろ夕暮れ時ということで照度は落ち、光の色温度も下がって赤みを増しつつあった。

 その天井のすぐ向こう側では凄まじい嵐が吹き荒れているはずだったが、アーケード内にはそんな気配は全く伝わっては来ず、人々のざわめきだけが聞こえていた。


 カイネリ技師長が用意してくれたホテルは、アーケードのちょうど反対側の端に当たる、温泉街の中にあるということだった。

「温泉?」

 思わず、私は訊き返す。

「ええ、ご存じありませんか? 瑠璃井るりせい掘削の際に、間違えて掘り当てたものでして。湯温47度、PH7.4の炭酸芒硝泉ですわ。南方有数の名湯と呼ばれております」

 初耳だったが、それはありがたい。疲れた体に、温泉は何よりの癒しをもたらしてくれるだろう。

「それはいいですわね。私たちも、その温泉に泊まることにしますわ。高いホテルは、ちょっと無理だけど」

 ユズハもうなずく。

「では、案内いたしましょう。ただ、ここからまた少々、歩くことになります。乗り物もないではないですが、あまりお勧めできん代物なので」

 技師長は申し訳なさそうな顔をした。しかし、この快適な重耐候アーケードの中をさらにいくらか歩くくらいのことは、もはや何でもなかった。


 メインストリートというか、つまりアーケード内には、ただ一本の通りしかないのだった。ホテルまでの経路について、わざわざ案内してもらうまでもなさそうだった。

 もっとも、一本道ではあるのだが、単純に一直線にはせず、ランダムに枡形クランクを付けて左右に蛇行させてあるため、一応見た目は街らしく見える。突き当りに建つ支分情報公署アイ・ビーの前で右折して、わずかに歩くと今度は食堂グリルに突き当り、また左折して……という具合で道は続いて行く。

 戦争アトミツク後の復興期に大量に建造された第一世代の重耐候アーケードでは、端から端まで一直線の道にした例が多かったようだが、素通しで彼方まで見渡せる巨大な屋内空間というものは人間の感覚を狂わせるらしく、広所恐怖プレーナフォビアの症状を起こす住民が後を絶たなかったそうだ。

「こうして、わざと見通しを悪くするのが、最も効果的だったようですな」

 カイネリ技師長は、そう説明してくれた。


 こうまでして、多くの人を住まわせる必要があるほど、この南方深部ディープ・サウスは重要な地域だった。希少な有価鉱物プライムや化石燃料を始めとする各種資源の地下埋蔵量は、極地方に近付けば近づくほど増加することが判明している。そして、この地域で採掘されるこれらの資源が、全世界の経済を支えているのである。

 四つの街区を歩き通し、アーケードの南端に近い五番街にたどり着くと、この辺りだけ風景が全く異なっていることに気付く。通りに沿って並ぶのは、いずれも五階建て以上で天井ぎりぎりまでの高さ、間口の広さも軒高の数倍はあるような大規模な建物ばかりだった。

  そして、それらの玄関のそばには「温泉」「スパ」「ホテル」などの文字がある。ここがカイネリ技師長の言った、一大温泉街だった。

 密閉されたアーケード内で湯煙がこもるようなことのないように、このエリアでは特に強力な換気が行われているはずだ。それでも、空気は何となく白く霞んで見えたし、わずかに地中ガスの匂いが漂っているようにも思える。悪くない。温泉地など、随分久しぶりだった。


(#12 「ランゲン社のエルメリナ」へと続く)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る