#10 嵐の下、重耐候アーケード「べトラ」へ
窓の向こうには、もはや草木など一本たりとも見当たらず、ただひたすら砂と岩場が続くだけの真の荒野が、横殴りの雨に白く塗りつぶされていた。ここから先に、通常の意味での「町」は存在しない。このような環境下で、普通に暮らしていくことなど到底不可能だった。
「極渦」と呼ばれるこの巨大な円形の嵐は、この世界の南極側、約八分の一程度の面積を覆っている。一年を通じてほとんど止むことはないが、その半径は常に変化していて、最も拡大した際には先ほどの「風境区」の市街地近くまでが嵐に襲われることもあるという。
車両はますます大きく揺れるようになり、あちこちから聞こえる軋み音もひどくなってきたが、しかしそれでも風が入ってきたり、雨が漏ったりすることはなかった。オンボロに見えても、造りはしっかりしているようだ。技師長によれば、硬席車辺りでは天井から時折水滴が落ちてきたりもするとのことだったが。
窓の外を眺めるのにも疲れ、私はベッドに寝転んで
私の理解の速さに彼は驚いた様子だったが、これも実は圧縮化レクチャーというPIAとしての特殊技能によるものだ。
のろのろ運転で極地支線を走ること、ほぼ丸一日。途中で一度だけ「駅」に停車したが、そこはトンネルの中のような暗い場所に鉄パイプで組んだ簡易な乗降台が並んでいるだけの、何とも殺風景な場所だった。
技師長によれば、嵐から防護された仮設シェルター内に作られた駅だということだった。この近くでは最近新たな
路線が終点に近付いても風景には特に変化はないままで、やはりトンネルのような耐候シェルター内に突入した列車は、しばらく走ったところで突然に停車した。ここが終着駅の「ベトラ・アストラ」だった。定刻から、わずか一時間以内の遅れでの到着だった。
ここはさすがに仮設などではなく、たった一面だがちゃんとホームがあって、ドーム状になった頭上の天井からは強力なバチェラー燈の光が降り注いでいた。人工太陽照明、という奴だ。
「ようやく到着か、長い旅だったよ、全く」
ホームに降り立った私は、久しぶりの揺れない地面の上で思い切り伸びをした。足元に、濃い影が落ちる。傍らに置かれた長椅子の背もたれに彫刻された紋章は、確かランゲン社の社章だったはずだ。この駅は、同社が所有しているのだろうか。
「お疲れさまでした、コーネル先生。ただ、まだあともう少しだけ、足元の悪い中をご足労願わねばなりません」
カイネリ技師長は、妙に堅苦しい言い回しをした。
「この先は砂沼のような特殊な軟弱地盤でしてな、鉄道を引けなかったもんですから」
つまり、あの嵐の中を歩くしかないというわけだ。
ユズハとその兄も一緒に、技師長に先導されてべトラまで歩くことになった。少なくとも彼女にはそう約束していたし、酒もごちそうになった。
兄のほうもすでに正体はばれていたから、構わないだろうということになった。本来なら、我々一行の少し後ろを、こっそりと着いてくるつもりだったらしい。
「あの時は、申し訳ありませんでした。お買い上げ、ありがとうございます」
と、彼も素直に頭を下げた。黒いサングラスを外すと、彼も妹と同じような、グリーンがかった青い瞳をしているのが分かった。
南方深部における「町」というのは、ただ平地に建物が並んでいるようなものとは全く違う。暴風雨を防ぐための、「重耐候アーケード」と呼ばれる巨大なドームを建設し、その中で人々は暮らしているのだ。そうでもしなければ、とても人が住めるような土地ではない。
駅からベトラまで、距離的にはさほどのことはなかっただろう。重耐候アーケードの巨大なシルエットは、霞む視界の彼方にずっとそびえて見えていた。最寄り駅というのは嘘ではない。
しかし嵐の中を歩くその
硬化樹脂のシェルで頭からつま先までの全身を覆う、頑丈な
強烈な風雨が、時に方向を変えながら体を覆うシェルを叩き、目の前の保護バイザーを洗う。技師長は歩くペースをかなり落としてくれているようだったが、それでも必死でついて行かなくてはならなかった。
こんな不便な場所に町があるのは、南方深部における「町」というものが、あくまで
艱難辛苦の末に、ようやく目の前に近づいて来た目的地、アーケード・ベトラは、まるで岩山のようで、今にもこちらにのしかかって来そうに見えた。円筒を縦割りにして地面に伏せたような形をした、この強化鋼板製の構造物の中に、一つの町が丸ごと収容されている。
私はその巨大さに感嘆しながら、空へ向かって丸くカーブを描く屋根を見上げていた。無数の鋼板をパッチワーク状につないで作られたその屋根のあちこちからは赤錆が浮き出し、流れていたが、それはここが建造されてからの年月の経過を示しているようだった。
「アーケードをご覧になるのは初めてですか」
耳元の通話器から、カイネリ技師長の声がした。
「あ、ああ。大したものだね、これは。しかし、早いところ中に入ってしまいたいが」
「そうしましょう。わしも、さすがにちょいとくたびれましたわ」
技師長はため息をついた。
間もなく我々は、アーケードの麓へと到着した。外殻鋼板に設置された、鈍い銀色に光る扉が、つまりこの町へのゲートというわけだった。
環状のロックハンドルを何周も回して扉を開くと、その向こう側にはむき出しの鋼材とべトン壁に囲まれた殺風景な空間が広がっていた。風除室という名の付いたその部屋に足を踏み入れて、私は思わず大きく息をつく。まだ半分外界の延長のような場所ではあったが、体を叩く風雨から、ようやく解放されたのだった。
(第二章 「ゼロ・コーネル氏の仕事」へと続く)
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