【完結】南方深部における、ゼロ・コーネル氏の仕事と冒険

天野橋立

第一章 長距離特急列車、南方深部へ

#1-1 引導を渡された博士

「なるほど、コーネルさん。あなたの考えは、良くわかりましたよ。わしには他の道を選ぶ余地などない、そうですな?」

 目の前の男、禿げあがった頭の所々に白髪の残った老人は、全てを諦めたようにため息をついて、窓の外を見た。超々高層ビルの三百十七階にあるこの部屋からは、眩いばかりに輝く夜景を一望することが出来る。戦争アトミック後の世界における唯一の巨大都市、シティのビル群。


「私の考え、という訳ではありませんよ、ロイド博士」

 私は、駄目押しの訂正を入れる。

「あくまで依頼者クライアント、つまり本社の意向です。少々スタンドプレーが過ぎたようですね、あなたの行動は」

 老人は、何も答えなかった。彼の発明した多角的光学迷彩オプティカル・マルチカム技術には、この世界を大きく変えるくらいの可能性があった。人も各種の兵器も、姿を完全に隠して行動することが出来るという技術なのだ。すでに、実用化試験にも成功しているらしかった。


 研究一筋の人生を送ってきたはずだった彼は、自らの産み出したその技術の、すさまじい価値に目がくらんだ。自ら企業を興し、製品の量産を行おうと目論んだのだ。

 しかし、この世界のルールを定めているのはあくまで、巨大企業群コンツェルナの中枢である「本社」である。ロイド博士に開発資金を提供したのもまた、その「本社」なのだった。

 たかが一研究者の、大それた行動を見逃すはずもない。成果物を引き渡さないなら叩き潰す、当たり前のことだ。


 心理交流干渉士PIAであるこの私、ゼロ・コーネルが「本社」から依頼された仕事ミッションは、彼が興そうとしている事業の買収交渉を行う、というものだった。ほぼタダに近いような価格で、しかもトラブルの種を後々に一切残さずに。

 博士が独断で打った手は、すでに全て封じられていた。新事業への協力を密かに申し出ていた人間は、みんな何らかの理由で破産や、失脚へ追いやられている。

 そもそも、この技術の最大の得意先となるだろう保安警察の武装警備隊ASTが、本社の指揮下にあるのだ。最初から、博士に勝ち目はなかった。

 つまり私は、最後の引導を渡しに来た、それだけのことだった。拒絶すれば、次はさらなる強硬手段が取られるだろう。それこそ、保安警察が出てくる可能性もある。ここで手を打つしかない、ということは博士にも分かっていただろう。技術的テクニカルな面だけで言えば、簡単な仕事だった。


「このオフィスにわしがこうして居られるのも、今日限りという訳ですな」

 窓の外から目をそらそうともしないまま、老人はつぶやくように言った。

「とても気に入っておられたようですね、この場所が」

 ブルーのサングラスを外し、柔らかな眼差しで、私は優しい声を出した。この瞬間、彼と私の心理的関係は「老いた父親と、気遣う子」に似た位相フェーズへと移行した。先ほどまでは「『大人』対『大人』」の立場だったのだ。それも、私が遥かに上位の。


「しかし博士。あなたが本当に愛しておられるのは、研究そのものではないのですか? 事業を興して、その経営をなさることを、本当に望んでおられますか?」

 ロイド博士は、驚いたような顔で私を見た。

「元々、ここは本社から貸与された、研究管理用オフィスだったはずです。もしあなたが、再び本社の下で技術研究に専念すると誓約されるならば――博士、今後もこの場所を使用できるように、私のほうから本社に交渉してみましょうか? 依頼料は、もちろんいただきませんよ。私個人としても、今回の交渉にはいささか心を痛めておりますのでね」

「本当かね」

 博士は目を輝かせた。

「コーネルさん……確かにあなたがおっしゃる通りかも知れん。わしが本当にやりたいのは、新技術の研究であって、経営などではないはずだ。今、改めて気付いた気がします」


 これで、交渉は決着した。

 老人は手にしたものの大半を失い、しかしこの部屋だけは――無数にあるビルの、ありふれた一室に過ぎないが――守り切った。その上で、本社と私は感謝を得る。ほぼ百パーセント、成功ベストシナリオ通りの進行だった。



(#1-2「立ち食いパスタの大男」へ続く)

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