#38 強行突入、ランゲン本社

 技師長の言った通り、太いパイプの上に渡された足場板は、普通に歩くには十分の幅があった。何事もなければ、まず転落はしないのだろう。しかし何事かあれば、左右の遥か下方に見える地面に叩きつけられて、確実に即死である。

 異常に見晴らしの良い、プラント群の合間の空中散歩。命綱をつけていてさえ、渡り終えた時には心底ほっとした。こういう冒険は、私の本分ではない、全く。

 そこからは、プラント設備同士をつなぐ通路をいくつも使って、ドーム中央のビル群へと接近した。いつもなら渡るのを躊躇するような、狭く手すりの低い空中通路キャットウォークもあったが、さっきの配管渡りに比べればどうということもない。人は成長するのだ。


 最後にたどり着いた精製プラントの階段を、足音に気をつけながら降り切ると、むき出しの地面のすぐ向こうに、ランゲン本社ビルが見えた。

 ただ、問題はここからで、普段は玄関前に二人だけのはずの「衛視隊」が、十人近く集結している。ここを、どうやって突破するか。

「正面突破、しかありませんよね」

 クレヴァ刑事が、ショルダーホルスターから実体金属弾銃マグナムを取り出した。

「止むを得まいな。所長の許可も出ておる」

 うなずいて、ナフラム刑事も同じく銃を手にした。ここは、二人に任せるしかない。

「それでは、行きますよ」

 クレヴァ刑事は、プラントの陰から駆け出した。たむろする「衛視隊」の連中に大声で叫ぶ。

南方諸街区管理機構SLCMだ! 武器を捨てろ! そこを動くな!」


 しかし、本社を取り巻く連中は、みんなその指示に反して、一斉にこちらへ向かってきた。

「治安命令無視を確認!」

 ナフラム刑事が叫び、前に飛び出し、両足を半歩開いて銃を構える。次の瞬間、連続する銃撃の音が空気を叩いた。

 濃紺の制服を着た「衛視隊」たちが、薙ぎ払われたように次々と吹っ飛ばされて、地面に転がる。

 熱光線兵器を装備してはいるが、二人の刑事の速射に、なす術もなかったようだった。武装集団とは言っても所詮は私設部隊ハイ・アマチュア、鎖から解き放たれた本気のプロには勝てない。


「まさか、実弾を」

 その無残な有様に、マチルダ専務は青くなった。彼女の立場からは敵対関係にあるとは言え、私設警備部隊の隊員は、つまりは自社の社員である。

「大丈夫です。みんな、防弾ラバーの部分を狙って撃ちましたから。彼らを『処理』する許可までは出てませんので」

 涼しい顔で、クレヴァ刑事が答えた。

「どうも、この辺りには他にも大勢、こいつらの仲間が潜んでいる気配がします。急ぎましょう」

 今なら、正面玄関はがら空きだ。カイネリ技師長に急かされて、我々は足早に本社の中へと乗り込んだ。地面のあちこちから、うめき声が聞こえていた。


 エントランスのカウンターにいたのは、エルメリナただ一人だった。

「来たのね、また」

 彼女の言葉に、感情は一切込められてはいなかった。しかしその視線からは、熱いものを感じ取ることが出来た。何かを期待するような、そんな熱さを。心のどこかに、また少しだけ灯りが点されたような、そんな気がした。

「来たさ、また。ちゃんと手を打っていると言っただろう?」

「みたいね」

 彼女は肩をすくめて、私の背後に立つマチルダ専務に、ちらりと目を遣った。

「社長なら、社長室に。マクアウリ常務とベニトビ部長は、役員室におられます。どちらにご用?」


「そうだな」

 用事があるのは常務だが、こうも見事に役者が全員揃うタイミングというのはそうはあるまい。

「三人全員に、会いたいね」

 つまり、いよいよクライマックス・シーンというわけだ。

「ところで、なぜあなたはそんなものを?」

 エルメリナは、私が右手に提げた停滞保存函ステイシス・キャリアを指さした。中には、絶品モンブランの残りが入っている。

「どんな時でも、心の余裕が大切なのだよ。全てが片付いたら、君にもおいしいモンブランを振舞おう」

 私の言葉に、彼女は軽く肩をすくめて見せたようだった。


 エルメリナはまず、ピクルス・ジュニア社長に連絡を入れた。

 社長の返事は、我々をマクアウリ常務がいる役員室へと案内するように、というものだった。彼自身もそこへ赴き、常務たちと一緒に我々と面会する。

 なお、常務たちへのアポ取りは不要である。このまま、まっすぐ役員室まで来るように。それが彼女への指示だった。

「抜き打ちで面会しようというわけね。警備中の衛視隊があっさり撃破されたことには、まだ常務たちも気付いていないはずだわ」

 そう言いながら、エルメリナは我々を先導して通路を進み、螺旋階段を上がった。

 私は、とてもリラックスしていた。すぐ目の前を歩く彼女の、紺スカートに窮屈そうに包まれた、体の線を楽しめるほどに。私の仕事にも、間もなく決着がつくはずだったからだ。

 全てが終わったら、エルメリナを食事に誘おう。モンブランも良いが、彼女の上質なフェロモンに抗いながら飲む酒も、悪くなさそうだ。


 目指す役員室は、本社の二階にあった。磨き上げられた、黒光りする木製の扉は、社長室のよりもむしろ立派に見えるほどだ。

「失礼します」

 とだけ告げて、ノックもせずに、エルメリナは扉をあけ放った。

 デスクの向こうに座るマクアウリ常務が、驚いたように目を見開いた。その前に立つベニトビ部長も、こちらを振り返って顔をしかめる。


「おい、何だお前は。突然入ってくる奴があるか!」

 常務が声を荒げる。

「今、『お前』とお呼びになりましたか? アルタラ・ピクルス・ジュニア社長の秘書であるわたくしを?」

 エルメリナの一言に、広い室内の空気が凍り付いた。いきなり相手を殴りつけるような、この先制っぷりはさすがである。

「いや、そのだな……聞いてなかったもんだから、用件があるのなら」

 マクアウリ常務は見事に、しどろもどろになった。


「招かれざる客を突然にお連れになられれば、つい常務もきつい言い方にもなるというものですよ、ミス・エルメリナ」

 常務とは対照的に、ベニトビは冷静だった。

「常務、それにベニトビ部長。あなた方に、お話があります」

 マチルダ専務が、歩み出た。

「言わなくてもお判りでしょうね。あなたたちは、何をやろうとしているのです? あの危険な、第九試掘坑トライアル・ナインで」


(#39 「ベニトビ部長と、ガラスの小瓶」へ続く)

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