#39 ベニトビ部長と、ガラスの小瓶

「あの瑠璃井るりせいで我々が何をしようとしているか、それがあなたの質問ですか? 答えるまでもありますまい。地の底に眠る貴重な資源を、地上に出してやろうとしているのですよ」

 マチルダ専務の問いに、ベニトビ部長は平然とそう答えた。

暴噴事故ブロー・アウト、そしてドーム内の汚染などという重大事態を引き起こしても、なお採掘を?」

 専務は、再び問いを返した。

「いや、それは……」

 マクアウリ常務が何か言いかけて、絶句した。相変わらず分かり易い男だ。


「専務のお耳にも入りましたか」

 ナフラム刑事たち、そして私にベニトビはちらりと目を遣った。

羽ヶ淵ウイング・アビス。余計なことばかりしてくれる。世界は、君たちの持ち物ではないのだよ」

「あなたたちの、私利私欲に走った行動こそがランゲンに、そして南方深部ディープサウスに危機をもたらしたのです。こうなってしまっては、もはや当局の介入は避けられないわ」

 マチルダ専務の声は悲痛だった。


「危機? 誰にとって?」

 冷たい顔で、ベニトビ部長は笑った。

「本当に危機にさらされているのは、シティ当局のほうですよ。今こいつらを、ここで始末してしまえばね」

「あなたは一体、何を言っているのです」

 専務の高い声が役員室に響いたその時、背後の扉が静かに開いた。


「私から説明しましょう、マチルダ専務」

 姿を現したのはもちろん、アルタラ・ピクルス・ジュニア社長その人だった。

 役員室の中ほどへと歩み入ったピクルス社長は、背をまっすぐに伸ばして常務たちと対峙した。

「これは社長。この不愉快な場面を作り出したのも、全部あなたの差し金ですか。全く、困ったお方ですな」

 ベニトビが、薄笑いを浮かべる。


「お願いがあるのですが」

 私は、背後の刑事たちに小声でささやいた。

「お二人は少しだけ、この場を外していただけますか? 廊下の監視をお願いします」

「大丈夫ですか?」

 クレヴァ刑事は、ベニトビ部長たちのほうへと視線を走らせた。

「この場は、私一人で問題ないはずです。先ほどカイネリ技師長も言っていましたが、周囲に潜んでいる衛視隊の増援が突入して来たりすれば、そのほうが厄介です」

「分かりました。もし連中が来れば、確実に全て撃退します」

 力強くそう言って、クレヴァ刑事は私の頼みを請け負ってくれた。


「ベニトビさん。あなた方の企みが、終わる時が来ました」

 ピクルス社長は、静かに言った。

「余計なことを企んでくれたのは、あなたのほうですよ、社長。何かおかしな動きをしているのは分かってはいましたが、まさか羽ヶ淵などと手を組むとはね。この南方深部ディープ・サウスを、シティの連中に売り渡すおつもりですか」

「この世界そのものが滅びてしまえば、南方深部ディープ・サウスも何もないでしょう」

「滅びるのは、やつらのほうだよ、社長。我々じゃない」

 マクアウリ常務が、ようやく口を開いた。

「北方を全て壊滅させてしまって、我々だけでどうやって生き残って行くというのです?」

「南方に、我々の『シティ』をまた造ればいいのですよ、風境区辺りを母体にしてね。簡単なことです」

 顔色一つ変えずに、ベニトビ部長は言った。


「社長。常務たちは、一体何を言っているのです? 北方を壊滅させるって、どういうことなのですか?」

 青ざめた顔で、マチルダ専務がピクルス社長に訊ねた。

「彼らは」

 社長は答えた。

致命兵器フェイタル・アトム、かつて世界を滅ぼしたあの最終兵器を復活させようとしているのです。第九採掘ドームの地下から汲み上げた、汚染された液化ラピスラズリを原料にして。彼らの狙いは、そこに含まれた高濃度の半恒久有害廃棄物ラディワーストそのものなのです」


 それが、ピクルス社長から聞いていた真相だった。かつて使用された致命兵器フェイタル・アトムが、大量に撒き散らした半恒久有害廃棄物ラディワースト。それを精製して濃縮すれば、再び致命兵器フェイタル・アトムの原料ともなり得るのだ。

 もちろん、戦争アトミックにおいて用いられたような、大量の最終兵器を製造することはできないだろう。しかし、超高密度都市であるシティをピンポイントで狙えば、ただ一度の爆発で壊滅させることも可能なはずだった。


「そんなこと……あり得ません。理論上は可能だとしても、そんな技術が残っているはずがないわ」

「試掘中の全くの偶然なのだがね、我々は発見したのだよ、地下深くに封印されていた、かつての『国軍司令部』を。そこにはちゃんと残されていたよ、致命兵器フェイタル・アトムの詳細な資料がね」

 マクアウリ常務が、得意げに言った。

「残っていないはずのものが、残っている。それが、地下という場所です。あなたもご存知でしょう? 地下空間の素晴らしさを」

 ベニトビは、遠くにあるものをうっとりと見つめるような眼をした。

「しかし、もっと素晴らしいのが、半恒久有害廃棄物ラディワーストだ。知っていますか? あの美しい紅珊瑚が、内陸の珊瑚湖などという場所に生育するようになったのだって、元々は瘴性電磁波ラディアクトによる突然変異が原因なのですよ。まさにこれは神の光、神の恩寵だ」

 そう言うと、彼は上着のポケットから、透明なガラスの小瓶を取り出した。中には、わずかに青く光る粉末が入っている。


 マチルダ専務が、短い悲鳴を上げた。

「そんなものを持ち歩くなんて! 今すぐに、高度処理室に戻しなさい」

「あれは、一体?」

 私は専務に訊ねた。

「同位体235。精製された、半恒久有害廃棄物ラディワースト。この世界で最悪の有毒物質です」

 目を見開いたまま、彼女は恐るべきことを口にした。


(#40 「灰になった顔」へと続く)

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