#25 地下を走る、物騒な乗り物

 結局、アンプル・ウォレットの残高もほとんど減ることのないまま、アーケード・べトラ内の観光は一通り終わった。

 街区として必要な機能はフルセットで揃っていたが、特に何か面白いものがあるわけではないようだった。要は、あの温泉街がこの町におけるただ一つの名所なのだと、そういうことだった。


 北端近くにあるイミグレーションセンターには、数日前にここに着いた時に担当してくれた女性職員がいた。

 私の顔を見ると、ライトパープルに染めたさらさらの髪を揺らして笑顔で会釈してくれて、Σ-PIAという肩書の威光はまだ効いているようだった。案件が全て片付いたら、最後に食事にでも誘ってみるとするか。

 それを除けば、パスタ屋での騒ぎが、最大の収穫だったと言って良かった。この南方深部ディープ・サウスがどのような状況にあるか、その一端を垣間見ることができたからだ。

 さっそく、支分情報公署アイ・ビーに立ち寄って、羽ヶ淵本社に報告レポートを出しておいた。反体制運動、というものが現に存在するらしいという情報には、いくらかの価値があるはずだった。


 帰り道は、例の「TUBE」という奴に乗ってみることにした。青地に白の文字が書かれた標識の下、偏光グラスを外しながら階段を地下へと降りると、そこは薄暗く窮屈なトンネルの中だった。小さなバチェラー燈が、頭上で弱々しく光っている。

 枕木の並ぶ軌道に面して、申し訳程度にかさ上げされたプラットホームが左右に伸びていて、平均台よりはいくらか広いその面上に立って、私は列車を待った。トンネルの奥から、モートルの唸る声と、こちらを照らす光が見える。間もなく、電動客車がやってくるはずだ。


 しかし、やって来たのはシティ高架軌道Sバーンを走っているような電動客車とはかなり趣の違う乗り物だった。

 屋根も壁も、床さえもない。細長い梯子のようなすかすかのフレームの上に、小さな背もたれのついた座席が十席ほど一列に並んでいるだけだ。その車体――車体なのだろう――の左右には、むき出しの鉄輪がいくつも取り付けられていた。

 先頭の座席には、ランゲン社の作業服を着た少年が座っていて、足元から伸びる長いレバーを握っている。彼が操縦者ということらしい。前方を照らすライトは、彼がかぶる黄色いヘルメットに取り付けられていた。

 ここまで簡素な乗り物というのは初めて見た。こんなものに乗って、命は大丈夫なのだろうか。

「お勧めできない乗り物」、カイネリ技師長がそんなことを言っていたのを私は思い出した。


「お客さんかい?」

 躊躇している私に、少年は訊ねる。

「あ、ああ。多分な。五番街まで行きたいんだが」

「こいつは、四番街までしか行かないよ。そこからは、第三採掘ドーム方面の路線チューブに入っちゃうからね」

 彼はそう言って、自分の首にかけたプラカードを指さした。そこには③の数字があり、これがつまり行先を示す方向板らしい。

 ようやく、私は気付いた。この乗り物は、アーケード内の移動用というよりは、その周囲に点在するのだろう瑠璃井るりせいへの移動用なのだ。


「そうか、じゃあ四番街まででいい。乗車賃は?」

「百クレジットだよ」

 少年はこちらへ向かって、封印容器シールドを差し出した。とんでもなく安いことに驚きながら、私は精算孔スロットにアンプル・ウォレットをセットして、百両分の液体通貨リキドマネーをサーブした。一滴分にもならないはずだ。

 小さな車輪をまたいで、彼のすぐ後ろの席に座る。床がなく素通しの足元に、枕木がそのまま見えた。

 やがて動き出したモートルが、かん高い音を伴って回転数を上げると、この恐ろしい乗り物は、真っ暗なトンネルの中を猛スピードで前方へとすっ飛んで行った。


 足の真下を、すさまじい勢いで枕木が流れる。椅子から転げ落ちたりでもすれば、まず命はないだろう。戦争アトミック前の地下鉄メトロという奴は、こんな物騒な乗り物ではなかったはずだ。

 しかし間もなく、少年がレバーを手前に引いて、この車両を急減速させた。やがて停車したのは、二番街の乗り場だった。

 続く三番街でも、他に乗ってくる客はいなかった。結局、私と操縦者の少年だけを乗せて、車両は四番街にたどり着いた。

「や、ありがとう」

 と平気な顔で挨拶して下車したが、正直なところ、私は心底ほっとしていた。もう二度と、こんなものには乗りたくない。


 全書ぺディーで確認してみたところ、周囲に点在する他の採掘ドームまでの路線はこんな程度の距離ではなく、相当な長時間、あの車両に乗らなければならないらしかった。ランゲン社の本社があったのが第一ドームだったようだが、あそこがこのアーケードに隣接していたのは幸いだった。もっとも、最大規模の瑠璃井るりせいのそばに本社とアーケードを作った結果こういう配置になったわけなのだから、これは当たり前の話ではあるが。

 階段を昇って戻った地上は、明るかった。頭上から降り注ぐ光が、例え人工のものに過ぎないのだとしても、そこがにぎやかな町であることには間違いない。

 そこから五番街までは、もう歩いてもすぐだった。温泉街の外れにある今夜からのホテルまでは、少々遠かったが。


 最上階の部屋で一休みしてから、夕暮れの時刻となるのを待って、ユズハたちのいる二階へと向かった。「201」と書かれた真鍮プレートのあるドアをノックする。ややあって、ドアは開いた。

「やあ。良い夜だね」

 顔を見せたユズハに、私は軽く挨拶した。彼女は普段着らしい、グレーのくたびれたワンピース姿だった。

「朝だか夜だか良く分からないけどね、こんなアーケードの中じゃ」

 ユズハは肩をすくめた。

「さて、今朝の話の続きだが」

「じゃあ、兄を呼ばなくちゃ」

 廊下へ出てきた彼女は、隣の部屋のドアを何度かノックした。こいつは、モールス符号だ。「あいつよ」と。そしてこちらを振り返り、微笑む。私がモールスくらい聴き取れるのは、先刻ご承知ということなのだろう。

 そして今度は兄のほうが顔を出し、ユズハとそっくりなブルー・グリーンの瞳で私を見ると、軽く会釈をした。


(#26 「ユズハたちとのディナー、大人気の宝石珊瑚」に続く)

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