#51 最終話、市《シティ》の朝

 南方の拠点である風境区と北方、つまりはシティとの間を結ぶ路線を飛ぶ飛行艇は全て、マンノー海と呼ばれる巨大な人工湖を南方側における停泊地としている。

 装甲列車から乗り換えた我々が乗り込むのは、民間用の旅客用大型飛行艇クリッパーではなく、武装を持ち、より高出力な強行飛行艇タイテイだった。

 全世界を股にかけて、言っても大げさではないくらい、あちこちを飛び回って仕事をしている私でも、飛行機械で空を飛ぶ機会というものはそうはなかった。そのチケットは、常人には一生手が届かないくらいに高価なものだからだ。

 しかも、アンプル・ウォレットをベニトビ氏の攻撃で全部割られてしまった今の私は、ほぼ一文無しブロークンに近い。それが、こんな快適な乗り物で、一夜にしてシティに帰れるというのだからありがたい。

 羽ヶ淵ウイング・アビスという巨大権力の末端に連なっていることの、役得と言って良いのだろう。


 基本的には軍事用の飛行艇であるにも関わらず、私に割り当てられた上級クラスのキャビンの豪華さは、先ほどまで乗って来た装甲列車と何ら変わりなかった。

 さすがに完全に横になれるベッドではなく、ゆったりとしたソファーのような座席ではあったが、居心地は極めて快適だ。

 出航を告げる機長からの放送が流れると、左右両翼に四基ずつもある巨大なプロペラを高速で回転させながら、飛行艇はマンノー海の水面を高速で滑走しはじめた。そして、ほとんど何の衝撃もなく、ふわりと離水する。

 さらば、南方。これで、しばらくはお別れだ。風境区のシンボルとも言える、湖畔のラジオ送信塔――南方随一の高層建築物だ――を窓から見下ろしながら、私は心の中で挨拶を告げた。

 夕暮れを迎えつつある空のすぐ向こう側には、「極渦」の雲が壁のようにそそり立っていた。もう当分は、あの嵐を体感する機会もないだろう。


 離水からわずか六時間、まだ陽も昇らない暗いうちに、飛行艇はシティの北側を流れる、巨大な運河に着水した。

 窓の向こう側には、高度集積地区コア・エリアの超々高層ビル群が放つ華やかな光が、波に乱された水面に煌めいて映る様子が見える。真っ暗な嵐の中、泥沼のような道を歩いていたあの時間が、まるっきり嘘のようだった。帰ってきたのだ、本来の居場所へと。

 しかし、あのアーケード・べトラの、たった一本しかない通りの賑わいや、カイネリ技師長たちと過ごした食堂グリルの様子が、なぜか懐かしく、脳裏をよぎったのも確かだった。


 到着した桟橋で、ロイド博士及び警備隊一同と挨拶を交わして別れ、私は始発の高架軌道Sバーンへと乗り込んだ。手元に残っていたわずかな金属コインは、その運賃の支払いに消えた。

 向かう先は、羽ヶ淵ウイング・アビス本社だった。ゴライトリー副部長に帰還の報告をしなければならない。それでようやく、今回の仕事――それはほとんど冒険と呼んでも良いようなものだったが――は完了ということになる。


「ご苦労だった、コーネル君」

 巨大なデスクの向こうで、回転椅子に座ったでっぷりと太った男、ロレンス・ゴライトリー第四調査部副部長が、くるりとこちらを向いた。まだ始業前なのだが、彼はちゃんと私の到着を待っていた。

「今回の任務は、さすがの君も疲れただろう。しかしボーナスは、十分に見合うものになるはずだ。期待してもらって良い」

 少々、ね。と私は内心肩をすくめる。私と技師長、その偶然の出会いをきっかけに、よくも短時間でこれだけのシナリオを描いたものだ。第四調査部の副部長ともなると、常人とはやはりレベルが違う。

「一つだけ、今回の件についてお聞きしたいことがあるのですが」

「ほう、なんだね?」

「あの専務たちが発見したという致命兵器フェイタル・アトムの製法、それは我々にとっても、いささか興味深い情報だと思われます。それを完全に、地の底に戻してしまったのですか?」

「最終処理」、武装警備隊ASTの隊長はそう呼んだ。連中がよみがえらせた物質も情報も、全て地中に封印するのだと。


 ゴライトリー副部長は笑い出した。腹でも抱えるように、心底おかしそうに。

「コーネル君。致命兵器フェイタル・アトムの復活などということを目論んだのが、あの連中だけだとでも思っているのかね。戦争アトミック後の、この長い年月のうちに」

 副部長は、真顔に戻った。

「こんな事件は過去に何度もあった。実の所、我々にとっても、あの呪われた兵器をよみがえらせるのは、さほど難しいことではない。しかし」

 ゆっくりと、ロレンス・ゴライトリーは、頭上を指さした。幾多の冷徹な指示を出してきた、その太い人差し指で。

「そんなことは絶対に許さんのだよ、あのお方がな。それが、答えだ」

 あのお方。つまり羽ヶ淵ウイング・アビス本社会長、ド・コーネリアス。彼が描くこの世界のシナリオに、二度目の最終戦争は存在しない。つまりは、そういうことなのだった。


 懐具合が少々淋しいので、ほんの少しで良いので報酬を前払いでもらえないか、と試しに申し出てみたが、ゴライトリーはにべもなく却下してみせた。払出証券チェックによる後払い、その原則は変えられないと。おまけに、

「個人的な融資、なら考えなくもないがね」

 などと恐ろしいことまで言い出した。慌てて退去する。この男にそんなもの借りたら、足元を見られてどんな目に合うか。

 しかし、さあ困った。いよいよ金がない。腹も減ってきた。

 思わず、コートの胸元に出来た青い染みに目を遣る。共通液体通貨リキドマネーによってできた、世界一高価な染み。こいつを洗浄して液化ラピスラズリを回収・精製してやれば、それなりの額を手にすることは可能だろう。

 しかし、この場で今すぐにどうにかできるわけでもない。物好きなガラクタ屋なら、捨て値で引き取ってくれるかもしれないが。


 もはや高架軌道Sバーンに乗ることさえできず、私はうつむいたまま、とぼとぼと通りを歩き続けた。そして、高度集積地区コア・エリアの周縁地区を貫く大通りに出たその時。ふと、目の前に希望の光が射したような気がして、私は思わず顔を上げた。

 目に入ったのは、ライトブルーの窓枠で囲まれたショウ・ウインドウに置かれた、巨大なケーキの模型だった。そう、「パティスリー・ゴート」。

 そこで思い出した。そうだ、まさか一文無しブロークンで帰って来るような事態になるとは思ってもいなかった私は、出発前に気前よく、金貨三枚分ものケーキ代を店主の親父に支払ってあったのだった。今度来るときのための前払いさ、などと調子のよいことを言って。

 急に、足取りが軽くなる。あそこへ行けば、絶品モンブランが好きなだけ食べられる。まだ開店前だろうが、なに、構うものか。あの親父の朝は早い。

(了)


* 完結までお読みいただいた皆様、本当にありがとうございました *

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【完結】南方深部における、ゼロ・コーネル氏の仕事と冒険 天野橋立 @hashidateamano

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