#13 走る閃光、刑事たち

 ゆっくりと降下したエレベーターのドアが開くと、すぐ目の前に赤と青の布がぶら下がった入口があり、青のほうが男性用らしかった。中に入るとそこは脱衣所で、温泉の硫黄臭い匂いが充満している。

 うん、これだ。私は服を勢いよく床に脱ぎ捨て、それから改めてくしゃくしゃになったそのギャルソン・ガウンを拾って籠に入れた。外した偏光グラスは服の上に、緑色のスティックキーは服の下に埋めておいた。

 ガラス戸をカラカラと開くと、目の前が湯気で真っ白になった。四角く切り出した石材を円形に積み上げて並べたような湯船は案外小さくて、一度に入浴できるのは五人程度のようだったが、幸い先客はいなかった。展望浴場というほどではないものの、まずまず大きな窓の向こうに温泉街の通りを見渡すことが出来る。


 透明な湯に浸かっていると、肌の表面が無数の泡で覆われた。これが炭酸泉という奴なのだろう。なるほど、血液の巡りが促進されているようで、長旅の疲れもこの湯に浸かっていれば取れてしまいそうだ。

 体を起こして窓の外を見ると、辺りはすでに夕暮れの紫色に染まりつつあった。通りの向こうに建つプラチナグレードホテルの無数の窓が、暖かそうな光を放っている。

 私は湯船に体を預けて、重耐候アーケードの内部が次第に暗くなっていく様子を眺めた。夜の時間帯になっても、人工太陽板は完全には消灯されず、わずかな出力でぼんやりと白い光を放つように設定されている。それが言わば月明かりとか星明りとかの代わりで、通りが完全に真っ暗になることはない。


 誰も現れそうにないので、「荒野の果てに」という歌を口ずさんでみたりする。厳しい南方の地を旅する者に古くから愛されてきた歌で、その旅の辛さと喜びが歌詞には織り込まれている。

 吹けよ嵐、荒野の果てまで俺を運べよ、と機嫌よくやっていたその時、窓の向こうで閃光が走った。反射的に私は両手で目を覆う。視界を焼いたその強烈な光で、瞼の裏が真っ白に見えた。雷光? 本当に嵐が? いや、そんなはずはない。ここはアーケードの中なのだ。

 ドン、と頭上で重い爆発音が響いた。建物がブルブルと震え、湯が波立つ。両目から手を放し、どうにか目を凝らして窓の外を見ると、きらきらと光るものが空から降り注いでいた。ガラス片だ。

 これは、ただ事ではない。湯から上がって脱衣所に駆け込み、身体の水分をろくに拭き取りもせずにガウンを羽織った。


 エレベーター横の非常用階段を駆け下りて、フロントへと向かう。カウンターの向こうでは、青い顔をした年配の男がどこかへ電話を掛けていて、若い男女数人の従業員たちが半ばパニックに陥った様子で何かを口々に言い合っていた。

「どうした、何が起きた」

 私が声を掛けると、

「あの、分かりません。何かが、ドカンと言いました」

「すごく大きな音で、もう私、びっくりしてしまって……」

 と、みなしどろもどろになっている。これではどうにもならない。

 彼らを無視して、私はカウンター横の事務室に飛び込んだ。そこには思った通り、火災検知機械の警告表示盤が設置されていた。

 パイロットランプが赤く点灯している、その部屋番号を目にした私は、さすがに血の気が引くのを感じた。ランプの横には、「四○四」という文字があった。私の部屋ではないか。


 電源は生きているようだったが、念のためエレベーターに乗るのは避けて、私は階段を四階へと駆け上がった。鉄扉を開いて廊下に駆け出すと、辺りにはうっすらと煙が漂っていて、焦げ臭い匂いが充満している。

 しまった、スティック・キーを持ってくるのを忘れた、と一瞬思ったが、そんなものは必要なかった。たどり着いた四○四号室のドアは、吹き飛ばされて、廊下に横たわっていたからだ。

 炎が出ていないことを確認して、私はたっぷりと湿り気を含んだガウンの袖で口を押えながら、室内をのぞき込んだ。

 窓のガラスが、全て無くなっていた。そして、部屋の真ん中に置かれていたはずのベッドも消滅していた。ベッドがあったはずの場所には、白い灰が真四角に、ベッドそのままの形に山と積まれていたのだった。


 間もなく、アーケードの管理者である南方諸街区管理機構SLCMの保安部隊が駆けつけてきた。羽ヶ淵傘下の警察組織である。犯罪の捜査は、南方諸街区が有する準自治権能サブ・オーガンの範囲外となっていた。私もまた、羽ヶ淵本社の第四調査部から委嘱を受けた特命調査官SSMSであるわけだが、ここでその身分を明かすわけには行かない。

 私の素性も知らず、横柄な態度で個人属性票ユニークカードを確認した彼らだったが、属性情報に記されたΣ‐PIAのライセンス表示を目にして若干態度を改めたようだった。


「恐らくは、警告、でしょうな。あなたが部屋に不在であることは、確認していたはずです」

 と言ったのは、刑事案件探索員デカの肩書を持つ、初老の男だった。

 彼の説明によれば、ベッドを灰にしたのは、走査型コヒーレント光発生器によって反復照射された高出力の熱光線だということだった。

 照射元は向かいのプラチナグレードホテルの一室らしく、ちょうどその時刻に電力使用量の瞬間的なオーバーによる館内停電も発生している。

 保安部隊が照射元と特定された空き部屋に踏み込んだ時には室内はもぬけの殻で、周囲が黒く焼け焦げたコンセントだけが痕跡を残していたという。


「よほど大きな案件に関わっておられるのでしょうな、あなたは。遣り口が大掛かりすぎる」

「仕事柄、色々あるわけでしてね。あなた方と同じですよ」

「色々ある、確かにこの辺りではね」

 デカはにやりとしてみせた。

「まあ、せいぜい気をおつけなさい。こちらも一応、捜査は行いますが。我々の力は半分も及びませんのでな、ここでは」


(#14 「万事、予定通り」へと続く)

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