第6話 僕が魔王に感謝した話

「ッく、仕方ないのじゃッ!」


 赤き魔王は何かを決心し、広げていた袋を閉じた。無論、僕たちは緩やかに落下する。幸いそれほど高い位置まで浮いていなかったので、素直に着地することが出来た。


「っと、これで吸い込まれる事はありませんわね!」


「うん、後は生きるか死ぬかだね!」


「深刻になってますわね?」


 もはや僕たち二人のデッドオアアライブではない。周辺住民はおろかこの地域の生物全てのデッドオアアライブである。


「ちなみに、エリナはあの魔法をキャンセル出来ないの?」


「あー…………無理ですわ」


「がんばれー!!! 魔王超がんばれー!!!」


 さて、そのころ魔王は。


「まさか流れ着いた世界で、今まで溜め込んだ力を全て使う事になるとはのぅッ――!」


 なんだかひっ迫した声色で、空に向けて袋を広げていた。すると袋からポコン、と巨大な蛇? の頭が飛び出す。それがどれほど巨大かと言うと、眼だけで魔王の体より遥かにデカい。というか蛇なのかー。


「トナカイじゃないのかー」


「どうしてトナカイなんですの?」


「あー。この世界にはサンタ居ないもんね」


「?」


 首を傾げるエリナから目を逸らし、再び空を見る。袋をぐりぐりと押しのけ、巨大な蛇がその胴を晒していた。


「ヨルムンガンド! その力を尽くし、空の脅威を殲滅するのじゃ!」


「ヨルッ!?」


「どうしましたのクロス。変な顔をして」


「今あの魔王様、ヨルムンガンドって言ったよね?」


「言いましたわね。それって何ですの?」


「世界を冠する大蛇だよ! または海の化身。時には尾を食む姿から永久と無限、創造と崩壊、生と死の象徴にもなってる。まさか実体があるなんて……」


「? 言ってる事が良く分かりませんわ」


 知識は前世の記憶(中二病)の物だけど、驚くべき事に、なんとヨルムンガンドは、転生したこの異世界にも存在する。


 世間一般に知られている訳ではない。その名が載っていたのは禁書庫のとある一冊のみだった。他に大聖堂の壁画にも存在する。壁画を包むフレームだと思っていたソレは、よく見ると頂点に蛇の頭と尾があったのだ。壁画には名前が載っていないけど、尾を食み『絵画全体/世界』を包む巨大な蛇、なんてヨルムンガンドで間違いないだろう。


 でも教会の人間も名前は知らなかった。長い年月を経て、名前が忘れ去られたのかもしれない。大聖堂自体、建てられて500年は経つと言われている。ヨルムンガンドに信仰があった訳でも無い様だし、それだけの時間が経ってしまうと仕方ないのかも。


 なんにせよ、彼の存在はこれ以上なく僕の胸を高鳴らせるのだ。


「凄いなぁ……! 凄いなぁ……!」


「クロスの眼が輝いていますわ」


 ヨルムンガンドは体を袋の中に残したまま、空に拾がるオーロラへ体当たりをかました。オーロラは水面の油分の様に揺らいで消えていく。触れたものを全て溶かすとされる魔法は、しかしヨルムンガンドの体表を溶かすには至らなかった様だ。あれが『世界と永遠』を冠する存在たる由縁なのだろうか……格好いいなぁっ!


「凄い! オーロラが消えた! ありがとう魔王サマ!!」


 僕が空に向かってバンザイして喜んでいる横で。


「ああ、私が頑張って出しましたのに……」


 エリナはしょんぼりとしていた。


「……」


 ねえエリナ。僕は君こそが魔王じゃないかと疑っているよ。


「……ッ、流石にもう……限界じゃぁ……」


「あ。蛇が消えましたわ」


「ほんとだ」


 果てしなく長い体を空いっぱいに広げていたヨルムンガンドが、静かにその姿を消していく。後にはいつも通りの真っ青な空が広がった。……ああ、この何でもない空がこんなにも愛おしく感じるなんて。平和って素敵だ。平穏って尊い。


「あ。魔王が落ちてきますわ」


「ほんとだ」


 蛇を出すことに全力を使い切ったのだろうか。

 赤い魔王は袋を握ったまま頭から真っ逆さまに落下した。


 あれは……マズイのでは?


「なんとかしなくちゃ!」


 流石にスプラッタシーンは観たくない。前世では僕の死の原因だった赤き魔王だけど、今世では命の恩人だ。というかそもそも悪いのは彼女ではなく、あのクソッタレな神だった。助けない理由が無いだろう。


「よし」


 僕はすかさずボタンを具現化する。僕自身の危機という訳ではないが、恩人を失う事は、僕の精神の危機と言えるだろう。ならきっとボタンは発動する!


「頼むぞ、僕のチート能力!」


 ――ぽち。

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