第28話 Another side:ジルベルト・オーガー

「……明日から忙しい。よく休んで体力を回復させておけよ」


 ジルベルトはクロスにそう言い残し、宿を離れてクリームの酒場を目指す。分かれ際にクロスが不服そうな顔をしていたのが気になったが……しかし頭の悪い子じゃない。自分が魔王に対抗できないことも解っている筈だ。


「幼くとも男の子か。『お前は戦えない』と言われて、腹が立たない方がおかしいよな」


 知らず笑みがこぼれる。

 クロスを見て幼い日の自分を思い出したのだ。

 それと同時に、拭えぬ罪も。


「……年を食ったな。いちいち、思い出で感傷に浸っちまう」


 こういう時は酒が良い。酒で頭を緩めていれば、余計なことを考えなくて済む。


 ジルベルトは未だ人々が満ちる賑やかな街を、ゆっくり歩んでいく。時折すれ違う人間が、彼の背中を二度見する。今時は傭兵ですらこんな大剣を使わない。物珍しいのだ。重い・斬れない・嵩張る、なんて時代遅れの塊みたいな武器である。


 幸いなことに、この街ではジルベルトの知名度は低い。この程度で済んでいることに感謝すべきかと考え、長距離の移動で体が軋んでいる彼は、酒場へ向かう足を速めた


「いらっしゃ……い」


 若い女性の元気の良い声は、しかし視界に大剣が入ると尻すぼみになった。ジルベルトは『いつものことだ』と自嘲し、賑わっているカウンター席へと向かっていく。するとカウンター内の店主らしき老人も大剣に気付き、顔を歪めた。


「悪いんですが、うちは傭兵様の入店はお断り願ってまして」


 掛けられた言葉は酷く冷たい。


「そんな邪険にしないでくれよ。俺は傭兵じゃないし、厄介事を起こそうって訳でもない」


 そう返しても、ジロリと睨みつけられる。口だけじゃ信用できないという顔だった。それもそうだと考えた彼は懐を漁り、王宮から発行された『英雄印』を男だけに見せる。嫌悪に歪んでいた顔は一変して、驚愕に変わっていった。


「信用してもらえるかな」


「これは失礼を……!」


 頭を下げようとした男を、素早く止める。


「騒ぎにはしないでくれ。素性を晒したくない」


「……もしや例の予言について?」


 察しの良い店主で助かる。

 俺は静かに頷き、話を続けた。


「最近この街で起きているという『連続失踪事件』について、知っていることを教えて欲しい」


「失踪事件、ですか? 草原の雷ではなく?」


 草原の雷……確かこの周辺に出るという狼の魔王だったか。一帯の獣の王となり、魔獣どもをうまく治めていると聞く。それなりに力を持った存在だという話だが、放っておいても大きな被害は出ないだろう。恐らく『倒してしまった方が不利益になる』類の魔王だ。


「ああ。事件について知っていることがあれば、全て教えてくれ……それと、テキーラを」


 店主はやや腑に落ちない様子だったが、しかしグラスをコトリと置いた後、素直に話を聞かせてくれた。手に入れた情報はこうだ。


・頻度は月に3~4人ほど。夜に街の中で姿を消している。

・死体は全く発見されず、事件の痕跡すら出てこない。

・消えるのは十代の若い女性ばかり。


「そんな所ですかね。私もそれほど詳しくないので」


「失踪者の女性に共通点は?」


「私も誰が居なくなったのかなど把握しておりませんが……そうですね。位の高い人間は見かけていないかもしれません。私の知る限り、移民や貧民層が多い様な気がします」


「だから大騒ぎになっていない、と」


「クリームの街は階級主義的な思想を持つ人間が多いんでね。中級以上の人間たちは、下級の人間たちがどうなろうと関心は持ちません」


 彼には店主の声が、まるで「彼らは自分たちさえ良ければそれでいいのだ」と聞こえた。あながち間違ってもいないのだろうが。


「……国の懐の深さにも、弊害はあるか」


 国は地方を貴族に治めさせている。そして治世に関して厳密に口を出したりはしない。ただ最低限に定めた国の法を守らせ、一定の税を収める義務を課しているのみだ。故に領地によってその性格は大きく変わる。それが競争を生み出し、優れた環境を生み出すこともあれば、このような歪みを生むこともあった。


「何が悪いという話ではありませんよ。この街はそういう仕組みだ、というだけの話です」


「不満が顔に出ているぞ」


 グラスを片手に皮肉を飛ばす。店主は目を閉じたままだ。肯定もしなければ、否定もしない。沈黙の使い方を良く知っている男だった。


「ありがとう。助かったよ」


 程よく酒を回したジルベルトは店を後にし、続いて街を散策した。繁華街からは離れ、些か足を踏み入れにくい地域を歩く。表通りの華やかさとは一変して、路地の住民の眼は暗く濁っている。


 路地では体当たりをしようとする子供がいたり、娼婦が声を掛けてくるだけで、これといった成果が得られなかった。一応、最近失踪したと噂の女性の家まで行ってみたが、既に新しい人間が住んでおり、荷物の一切を棄てられていたので手がかりもクソもなかった。


「流石に、一日目じゃこんなものか……」


 ため息を吐いて路地を離れる。メインストリートまで戻った所で、ふと『草原の雷』の事を思い出した。街の人間が騒いでいないし、害のない存在だとは思うが……酔い覚ましも兼ねて、一応どんなものか見ておこう、と宿に向かっていた足を街の外へ向ける。


 見上げた空には大きな月。これだけ明るければ、街の外でもそれなりに視界を確保できる。門を潜り街から出た所で、ジルベルトは探知の魔法を使った。まずは街の半径1㎞圏内を確認する。


「流石に……反応なしか。もう少し範囲を広げてみよう」


 探知範囲を五倍に広げる。すると小さな子供の様な反応が2つ現れた。こんな時間に妙だなと思ったが、しかしそれよりも、別の場所で異常に密集している獣の反応が気になる。


「魔獣の群か。放っておくには多すぎるし、近すぎる」


 探知を獣の位置に固定し、そこへ向けて駆け出す。魔獣はそもそも群れない。群れる場合は大概、良くないことが起こる。


「……まさか、一帯の王が変わったのか?」


 草原の雷が死んだのなら、次点で大きな力を持つ魔王が台頭するだろう。そこですんなり一帯の王が決まるなら良いが……そうでない場合、魔王同士の争いが起こりかねない。嫌な予感がした彼は、更に足を素早く回した。せめてスキルを使わない程度の相手なら良いのに……なんて、もちろん叶わぬ願いだ。


「デカいな……熊の魔王か?」


 飛び込んだ群れの中心には、新たな王が存在した。3mをゆうに超える巨体。銀色の硬質化した体毛を鎧の様に纏い、優雅に四足で歩み寄ってくる。彼はジルベルトの姿を認めると、威嚇すらせず、すぐさま攻撃へと移った。


「――ッチ、とんでもない体だ」


 ジルベルトへ向けられた右腕が彼を捉える事は無かったが、代わりに大地を大きく抉り取った。当たれば人間などひとたまりもないだろう。


「参ったな。明日の調査は諦める事になりそうだ」


 彼は覚悟を決め、背中の大剣を片手で構えた――瞬間。刀身は黒い何かに覆われ姿を隠す。対峙する熊はビクリと震えたが、しかし意を決したように、次の瞬間にはジルベルトへ襲い掛かった。彼はぐっと膝を沈め、大剣を振りかぶり、そして唱える。


「――Evigilans nigrum呼び起こす闇――」


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