第44話 Another side:デリオ・クリーム
デリオ・クリームはその日もいつもの様に業務をこなし、一日の疲れを癒そうと執政区内にあるバーへと足を運んでいた。大きな店ではなく、有名な訳でもない。だが用意されている酒は彼の好きな銘柄が多く、またシンプルな内装も彼好みだった。
40の半ばを超えて未だ独り身である彼は、仕事を終えるとこの店に来る事を日課にしている。年上のマスターともすっかり顔馴染み。仕事には一切触れず、彼とオチのない下らない話を交わすのも楽しみの一つになっていた。
「こんばん……は」
店に入ったデリオはカウンターに立っている人物を見て固まった。
マスターではない。見たことのない店員がグラスを拭いている。髪を肩で切りそろえた、茶髪でスレンダーな若い女だ。綺麗な顔をしており、思わず目を引かれてしまう。
「いらっしゃいませ」
にこやかに挨拶をされて、反射的に頭を下げる。
まるで少女の様に涼やかな声だ。
誰だ? 記憶を漁るが思い当たらない。
彼の物覚えは異常に良く、一度会った人間の顔は忘れないという特技があった。そんな彼が知らないとなると、行政区の人間ではない。では店主の身内だろうか。
「君は新人かい? マスターは?」
「今日は体調を崩された様で、私が商業区から助っ人に。どうぞ。座って下さい」
グラスを置いた女はカウンター席を勧める。昨日はいつも通りだったが……風邪でも引いたのだろうか。訝しみながらもデリオはカウンター席へ腰を下ろす。
「いつも……と、ギリオンを頼むよ」
「かしこまりました」
上品に一礼をすると、女は手慣れた様子で用意を始めた。どこに何があるのかも知っている様だ。手順に迷いがない。シェイカーを振るその様子もサマになっているどころか、見惚れるほどの技量だった。マスターよりも上手いかもしれない。
「どうぞ」
「ああ……ありがとう」
差し出されたグラスには、いつもの美しいブルーが煌めいている。ゆっくりと口に運べば、マスターが作った物と変わらない味が舌を転がっていく。デリオはそれで気を許した。
「美味しいよ」
「ありがとうございます」
小さく礼をする女。やはり動きが上品でどこか貴族らしさを感じる。この街の貴族はデリオとその系譜の一族のみ。彼女が身内ではないのは確かだが……何処かからこの街に流れてきたのだろうか。彼女に興味を抱いたデリオは、酔いに任せていくつか質問をしていった。
「――そうか、あの……大変だっただろうね」
「そうですね……私も沢山の物を失いましたが、今はこうして新しい生活を始めています。慣れると悪くはありません」
彼女の話によると、やはり貴族の血を引いていたらしい。
とある大罪を犯した貴族に連なる子だったらしく、家も権威も、家族すらも失くし、命からがら逃れてきたこの街で細々と生活をしてるのだという。
「君が何かした訳でもなかろうに」
「仕方ありません。この国において、一人の罪は一族の罪ですから」
物悲しく語る彼女にデリオは益々、同情した。貴族の苦労は良く分かる彼だ。まだ若い彼女が途轍もない苦難を強いられたのは容易に想像できる。
「すまない、もう一つ貰えるかな」
「畏まりました」
再び美しい所作を眺め、感動する。味もさることながら技量も素晴らしい。それでいて若く、美貌もある。酔いも手伝ってデリオは彼女に大きな魅力を感じていた。独り身で孤独に慣れていた筈の彼が、その痛みを思い出してしまう程に。デリオは魅了されてしまったのだ。
酔いが回る程に、彼女との会話も弾んだ。魅力的な異性との淀みない会話は、彼に久しくなかった素晴らしい刺激であり、いつもなら帰る時間になっても彼は居続け、結局閉店と共に店を後にした。
「しばらく、君がこの店を?」
「マスターが回復するまでは」
酔いが覚めそうな程に嬉しい返答だ。
見送られた時の言葉がその日、彼にとって一番印象に残る会話になった。
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