第38話 僕が逃げ出した話

「ちょ、ちょっと待って、流石に僕がここを出るのはマズいんじゃ」


「大丈夫だ。見てろ」


 不敵に笑ったヒスイが、部屋の中に手をかざす。

 え、まさか。


「――夜の影、水面の獣、霧中に潜み惑わす者よ、求む瞳に惑いを映せ――ファントム」


 彼女の詠唱と共に、薄暗い部屋の中にモヤっとした人影が現れた。幻影の魔法だ。それは僕の影を立たせたような姿をしていて、真っ黒。言ってしまえば辛うじて『人』に見える程度だったけど、この薄暗さなら誤魔化せるかもしれない。


「見た目は怪しいけど、これをベッドに寝かせておけば……って、なんだよその顔は」


「僕より小さい子が……魔法、使えるんだな……」


「え? 何お前、魔法も使えないの?」


 ヒスイの顔がニヤッと歪む。

 この顔は勝ち誇っている顔だ……!


「えええ、私でも出来るんだぞ? 出来ないのか? こんなの簡単だぞ? なんなら年下の私が教えてやろうか?」


「ぐぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬ」


 僕が歯ぎしりをしている間に、幻影はフラフラと歩き、ベッドにもぐりこんだ。あれなら確かに、明日の朝までバレないだろう。


「さて、時間が無い、行くぞ」


「え、このまま?」


「まさか。私は誰かと違って『魔法』が使えるんだぞ?」


 ヒスイは胸を張ってニヤリと笑った。


「ぐぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬ」


 悔しい事に今は彼女に頼らざるを得ない。歯ぎしりをする僕にヒスイは『隠ぺい』の魔法をかける。見た目には何の変化もない。……ちゃんと出来たのだろうか。嫉妬と不安を混ぜながら、歩き始めた彼女についていく。


「いいか、タブーは声を出して私以外に気づかれる事、そして私以外の誰かに触ることだ。それ以外は何をしてもバレない」


「本当かなぁ……げふぅ!?」


 不満を口にした僕の腹に、すかさず彼女の肘がめり込んだ。


「声を出すな」


「……!!!!!!」


 僕は全身で怒りと不満を訴えた。

 だが先を行く彼女は振り向きもしない。

 こんにゃろう……!


「そろそろ人の居る場所に出る。気を付けろ」


「……」


 ヒスイの言葉を受けて、心臓がバクバクと弾む。魔法をかけてもらっているけど、さっきの幻影の魔法が少し微妙な出来だったから、正直なところ姿を晒すのは不安だった。でも信じるしかない。静かに深呼吸して、暗い廊下を……抜ける。


「戻ったか。ガキの様子はどうだった」


「……」


「ベッドに入ったまま動かなかった。飯もそのままだ。寝てるのかもしれない」


 明るく広い部屋に出ると、ヒスイは見張りらしき男と話す。僕はヒスイのすぐ後ろに立っていたけど、男は僕に全く気付かない。凄い。まるで透明人間にでもなった気分だ。ふむ、よし、どれどれ。


「……っ! ……! ……っ!(踊っている)」


「………………ふぁぁーあ。私はもう寝るぜ。今日は疲れた」


「ッ!? ……!(悶えている)」


「おう、ゆっくり休め。2日後にはお祭りだ」


「またな」


 歩き始めたヒスイに対して、鼻を抑えて悶える僕。ヒスイのやつ、欠伸をするフリをしながら僕の顔に裏拳を入れてきやがった! にゃろう、やられっぱなしでなるものか!


「あふぁ!?」


「? なんだ、変な声を出して」


「い、いや、欠伸だ。気にすぅうん!」


「変な欠伸だな」


「疲れてるせいだ! っじゃ、じゃあな!」


「ああ。しっかり休めよ」


 駆けだすヒスイの後を追う。そのまま建物を出ると、辺りはオレンジに染まっていた。思いのほか時間が経っていた様だ。ヒスイはその後も走り続けた。


 更に追いかけること数分。コハクさんに捕まった場所の様な、古びた建物が並ぶ地域に入る。そしてとある路地を曲がった瞬間。


「死ね!!」


 待ち構えていたヒスイの全力のストリートが襲い掛かる。だが甘い。僕は賢いんだ。君がどこかでやり返してくる事は解っていたのさ! 僕はすかさず雷身のスキルを発動!


 ――すると、ぽふんとボタンが現れた。


「あ」


 切り替えるの忘れてるやん。


「ッが、ふ――!!」


 次の瞬間、僕の体はくの字に折れた。

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