第8話 僕が魔王に抱き着かれた話

 袋の中に吸い込まれた僕は、闇の中を落ちていた。落ちていた、というのはそう感じただけで、実際にどうかは解らない。ともかく長い間、落下しているという感覚だけがあった。最初は悲鳴を上げ続けていた僕だけど、それにも疲れてくる。


 やがて僕は悟りを開いた。


「ボタン押すか」


 判断から実行まで、実に1秒である。かつてこれほどに躊躇なくボタンを押したことがあったろうか。いや、ない。


「っ!?」


 押した瞬間、世界がぱっと明るくなる。闇に変わって広がったのは、木製の室内だった。

広さは二十畳くらいだろうか。ダークブラウンと白を基調にした、とてもオシャレな空間だ。見ていると前世の世界を思い出す。


「お家……かな?」


 部屋の中央にはガラステーブルが一つ、それを挟む様に黒皮のソファーが二つ置いてある。右に目を逸らしていくと大きなテレビがあった。なんだか立派なスピーカーが両脇を固めていて、更にその両脇には中身がギッシリ詰まったDVDラックがある。


「サンタさんは映画が好きなのか」


 左を見るとオープンキッチン。テレビやドラマで出てきそう(この世界には無いけど)な、白と黒でデザインされたシャープな物だった。お高そうである。でも使用感がない。台所にあっても良さそうなアレコレが全くない代わりに、電気ケトルとカップ麺が一つ置いてあった。


「サンタさんは料理が苦手なのか」


 見渡していると、右手に窓を見つけたのでそちらに行ってみる。覗けばここが何処なのか解るだろう。そして僕が窓をのぞき込むと。


「…………Why?」


 そこには宇宙が広がっていた。

 いや比喩とかじゃなくて。本当に。果ての無い闇がどこまでも広がっている。瞬く星々が立体感を持って散在している。どう見ても宇宙にしか見えなかった。


「わー。ヨルムンガンドが泳いでるー」


 遠くで巨大な蛇が優雅に体をうねらせている。それ以外にも沢山、変な物や変な生き物が浮かんでいた。どれも空想上の何某に見えるのは気のせいだろう。うん。


「これはどうしたものか」


 帰るにしても、外には出ちゃいけないだろうしなあ。どう見ても死んじゃうもの。空気とかも心配だけど、そもそも化け物の海に飛び込むのが無理。さあどうしたものかと悩んでいると、背後からパタン、と扉の開く音。


「ん?」


 反射的に僕がそちらを向けば。


「なっ……なっ……」


「え」


 頭にタオルを被せた、全裸のサンタさんが居た。

 僕はフリーズする。こんな展開をマンガなどで見るたびに「早く目を逸らせよ」などと思っていたものだけど、いざ目の前にすると動けないです。本当に。頭が真っ白になるよ。目の前にある物が何か理解できなくなる。「やっくとくぅー!」とか思う事も出来ない。無よ。無。


 なるほどね、これが『パニック』って奴か。


「めっ」


「め?」


「目を背けんかー!!」


 僕の顔にタオルがぱちーん、と当たった。

 衝撃で僕の思考も戻ってくる。


「デスヨネー」


 微かな温もりと湿気が顔面に広がっていく中、僕は今見た光景を反芻する。……なんか今、サンタさん縮んでなかったかな? 僕が空を仰いで見たサンタさんは成人女性な体格をしていたけど、今のは凄く小さい、幼女とも呼べる体形だった様な。


「どれどれ」


「見るなーッ!!」


「へぐっ」


 タオルを外した瞬間、タオルが飛んできた。

 僕の行動を読んだ……だと?


「ええい、力を失った瞬間に変態が忍び込んでくるとは! なんたる不幸じゃ!」


 パタパタと足音が遠ざかっていった。

 ああ逃げられてしまった。当然だけど。

 はたから見れば完全に変態だもんな僕。


「まあ無事だったみたいで良かった良かった」


 タオルを外すと、開けっ放しになったドアが目に入る。服を取りに行ったのだろうか。ならここで待っていることにしよう。残念ながら帰り方も解らない。


 ……10分後。


「あ、戻ってきた」


 サンタさんは白くてもふもふした服を着ていた。なんだかサイズが大きい。手が袖に隠れているし、なんなら上着からスラリと足が伸びているので、ちょっとえっち。にしてもそか、普段着は赤い服じゃないんだなあ。まあ顔は真っ赤だけど。


「お、お、お、お前は誰じゃ!」


 ずびしっ、と僕に指をさし訪ねてくる魔王サマ。やっぱり小さい。これはつまり、魔力を使い果たして縮んだという事だろうか? 困った事にとても可愛い。パッチリとした青い瞳と、人形の様に整った顔、肩で揃えられたシルバーブロンドという出で立ち。なんだか前世のロシア人を思わせる風貌だった。


「~~~~」


 いけない。和んでいたら睨まれてしまった。

 ちゃんと質問に答えないと。


「えーと、僕はクロス……」


 待て。この世界じゃ僕は彼女と同名じゃないか。ややこしいな。名前だけ名乗る事にしよう。


「クロスです」


「ほう。なんじゃ、親近感を覚える名じゃのう」


「あなたはサンタクロスさんで良いですか?」


「ああ、それは通り名の一つじゃ」


「え?」


 サンタさんじゃなかったのか。じゃあ名前は被らないじゃないか! やってくれたなあのバカ神!


「渡った世界で可愛い服を着た者がおったのでの、友人の勧めもあって、ちょっと名前を借りておった。本当の名前はルヤタンという」


「ルヤたん?」


「今凄く馬鹿にされた気がしたのじゃが」


「気のせいでは?」


 ルヤたんは察しが良い様だ。気を付けよう。


「っで、お主はどうしてここにおる!」


「ああ……えっと、貴方を助けようと思って追ってきたんですが、袋に吸い込まれちゃって。気が付いたらここに」


「儂を……助けようと?」


 きょとん、と僕を見つめるルヤタン。

 心なしか怒りは消えた様な気がする。


「まさか、あの霧を生み出したのもお前か?」


「え? ……えっと、まあ、そうですね……」


 肯定して良い物か迷いつつも頷いてみせる。ルヤタンはぽけーっと僕を見つめていた。敵意は無くなってるけど、何を思われているんだろうか。様子を伺っていると、彼女はいきなり僕に駆け寄り、そして抱き着いた。


「!?」


「お前は命の恩人じゃ!」


 いやいや僕にとって命の恩人は、貴方なのですが?

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