天狗は二狐を煽り散らす ※暴力表現あり

 今や源吾郎の対面に萩尾丸は仁王立ちで控えていた。彼は普段の小粋なスーツ姿ではない。自警団が着込んでいる警察官めいた制服や、術者たちが着込んでいるツナギによく似た衣装である。軍服のようなものに似ている気もした。

 しかしそのような衣装であっても、萩尾丸の日頃のイメージを損ねる事は無かった。彼はやはり小粋で、なおかつ寸分も隙のない男であるように源吾郎の眼には映った。

 もっとも、そんな事を悠長に考えている暇などないのだが。


「君が今人質に取っている仔狐が一体どういう身分なのか、きちんと把握しているんだろうねぇ。お嬢さん?」

「今さらそんな、馬鹿馬鹿しい質問をするなんて」


 萩尾丸の言葉もサヨコの言葉もどちらも嘲笑的だった。それをツッコむような度胸のある存在はいない。誰も彼もが、固唾を呑んで両者の動きを見ているだけだ。自分の動きで一匹の妖怪が殺されるかもしれない。その事をひどく恐れているようだった。


「この狐は玉藻御前の末裔に違いないわ! 間抜けだろうと何だろうと、こいつの血統と実力は、利用するに値するの」

「はいブー。お嬢さん、見事なまでにふせいか~いだね」


 タレントやお笑い芸人が出演するクイズ番組の司会のような陽気さで萩尾丸は応じた。しかも相手を小馬鹿にしたように身体を揺らし、ついで腕をクロスさせてバツのマークまで作っている。この動きが不謹慎にもツボに入った者がいるらしく、目を伏せて俯く手合いが何名かいた。

 こんなところでも炎上トークの手腕を見せつけるなんて……源吾郎はそう思うのがやっとだった。日頃の源吾郎だったら感情のうねりがあってしかるべきなのだが、ダガーを喉元に突き付けられた今この状況では致し方ない。


「まぁこいつは確かに玉藻御前の曾孫らしいよ。と言っても今はそんな事はどうでも良い。

――それよりも君らが注目すべきは、その仔狐が雉鶏精一派の構成員、それも紅藤様の直弟子であるという事なんだよ」


 相手に反論の暇を与えずに、萩尾丸は言葉を続ける。


「別に僕自身はその狐の生き死になど特に気にしてはいないよ。いじり甲斐のある弟弟子がいなくなるのはちと寂しいけれど、妖怪とて大半の連中は死のくびきから逃れられないんだからさ、仕方ないじゃないか。

 だけど、僕らのあるじである紅藤様がこの事を知ったらどう出るだろうねぇ? 良いかいお嬢さん。紅藤様を見くびるのはやめておいた方が良いよ。まぁ確かに彼女は正気を宇宙の彼方にぶん投げたとは思えないほど薄らぼんやりとしたマッドサイエンティストに見えるかもしれない。しかし彼女の、弟子たちへの執着、もとい愛着はただ事じゃあないからね。何せ、気に入った相手の生命を掌握するんだって言ってはばからないくらいなんだからさぁ」

「べらべらと糞つまらない事ばかり言って、何が言いたいのかしら」


 サヨコの苛立ちは、吐き捨てるような言葉のみならず、彼女の握るダガーの切っ先からも感じ取れた。源吾郎の皮膚に食い込まんばかりの切っ先は、すっと横に動いたのだ。ほんの数ミリの動きだろうが、それが随分と大きなものである事は源吾郎には解っていた。痒みにも似たような感覚と共に、生温く鉄錆の香りがする液体が滲み出てきたのだ。


「――そいつを殺すのは、君自身の破滅を招くという事さ、お嬢さん」


 萩尾丸の言葉は物々しいが、口調自体は軽やかだった。


「紅藤様は真の意味でのモンスターペアレントだからねぇ。もし君が下らない理由でその仔狐を殺し、或いは傷つけたと知ったならば、確実に怒りに我を忘れ、報復に出るに違いないね。彼女が、我らが雉鶏精一派で最強の妖怪である事は君も知ってるだろ? だが彼女の戦闘員としての威力は君らが考えるほどちゃちじゃあない。

 紅藤様はだね、その気になれば滋賀にいる君の一族郎党を滋賀もろとも滅却する事も出来るんだ。琵琶湖を干上がらせる事も、淡路島から持ってきた石土で埋め立てる事すらも造作ないだろう」

「ほら話も……大概にしな……」


 嘲弄的な笑みを浮かべた萩尾丸に対してサヨコは吠える。しかし彼女の声とダガーの動きからは、苛立ちがなりを潜め僅かな動揺が見え隠れしていた。


「おたくが何を囀ろうとも、もはやこの狐は雉鶏精一派とは無関係なんだよ!」


 苦し紛れに吠えたてたサヨコの言葉に、萩尾丸は眉を上下させただけだった。


「もはやこいつは雉鶏精一派から離脱する事を心に決めている! こいつは私の婿になり、雉仙女からは手を切ると、そう誓ったばかりだ!」

「物的証拠はあるのかい?」


 萩尾丸の問いかけにサヨコは言葉を詰まらせる。そんなものは未だ存在しない事は源吾郎もサヨコも心得ている。何せ源吾郎がぱらいその系列店の店長になると決めたのは数分前の事なのだ。それも口述のやり取りのみだ。

 萩尾丸は三十五秒ほど様子を窺っていたが、やおらゆっくりとした動きで胸ポケットをまさぐり、紙片を取り出した。源吾郎の眼が見開かれた。彼が取り出した書類には源吾郎も見覚えがあった。


「ご覧よお嬢さん。これは紅藤様とそこの狐が取り交わした誓約書だよ。まぁこれは、原本じゃあなくてコピーだけどね。我らがマッドサイエンティストが、まさか単なる口約束だけでそこの狐を雇っていると思ったら大間違いさ」

「そんな紙切れを物的証拠って言うつもりかい。全くもって笑わせる」


 サヨコは負けじとすごみ始めた。彼女が得意げに顔を歪めているであろう姿を、源吾郎は何故かイメージしていた。


「そんなおためごかしのビジネス文書くらいで、私らがたじろぐと思ったのか? そんな薄っぺらい紙切れとは異なる縁で結ばれていると、この狐は私に言ったんだ。で繋がっている、とな」


 言い切ると、サヨコは少しだけダガーを下にずらしてから源吾郎にささやいた。


「ねぇ、そうだったわよね島崎君。私の事を妻にしたくって、二世の縁って言ってくれたのよね」

「はい……そうです」


 急激に甘ったるくなったサヨコの言葉に頷いたのは、何も源吾郎が恐怖に屈しているためだけでもなかった。ダガーを突き付けともすれば自分を殺そうとしているサヨコは怖かった。だけど、嫌悪とか憎悪に直結したかというとそれはまた別問題だった。

 萩尾丸は全くもって驚いた様子は見せなかった。むしろさも面白げに顔を歪め、そして盛大に笑い出したのだ。抱腹絶倒というほかない程の笑いぶりだ。周囲の妖怪及び人間の術者の中には、彼を白い目で見る者もいた。だが萩尾丸は全く気にしていない。


「いやはや……中々面白い事を言うじゃないかお嬢さん。君さぁ、こんなところで悪事の片棒を担いでくすぶっているよりも、芸人を目指して大阪にでも行ったらどうだね? オプションでそいつも連れて行けば、夫婦漫才でも何でもできるだろう。

 ビジネス文書よりも二世の縁、夫婦の縁の方が強いって言いたかったんだね。それでこの僕がひるむと思ったんでしょ。ねぇそうでしょ? しかーし残念でーしたー! そんな事じゃあ僕はビビったりしませんよぉ~あ、ついでに言うと紅藤様もノーダメージだろうね。

 てかさ、てかさ君ら本当に馬鹿過ぎじゃね。夫婦は二世の縁って言葉を知っている事は評価してあげるよ。だけどさ、君らって言葉を知らないのかい?」

「…………ッ」

 

 主従は三世の縁。この言葉に源吾郎はサヨコ以上に衝撃を受けていた。萩尾丸は弟弟子の動揺など無視し、言葉を続けた。


「要するにだね、紅藤様と島崎君の結びつきは、お嬢さんとの結びつきよりって事だよ。そこんとこ解る? オッケーかな」

「この、よくもぉぉ……!」


 喉の奥でうなり声をあげたかと思うと、サヨコが動いた。もはや彼女は萩尾丸の術中に収まってしまったらしい。ただでさえ炎上トークの伝道師のごとき存在なのだ。その煽りっぷりはそんじょそこらの連中とは段違いだろう。しかも隙のない紳士といういで立ちからは想像もつかぬような軽薄な言葉と動きは、文字通り怒りのギャップ燃えを誘発するのに効果抜群のようだ。

 もっとも恐怖が臨界点に達して妙に冷静な心地になっている源吾郎にしてみれば、ピンチである事には変わりない。いやむしろ状況は悪化したといえよう。破れかぶれになったサヨコは、今まさに源吾郎の喉元にダガーを突き付けようとしている。いかな妖怪の血を引いていると言えども、きっとここで源吾郎は死ぬだろう。死んだら萩尾丸先輩の許に化け出てやる……ある種妖狐らしい考えを胸に抱きつつ源吾郎はきつく目を閉じた。


「きゃっ」


 小さな悲鳴がほとばしり、何かが床にぶつかる音が響く。銃でも発射されたような音ののちに何かが砕ける音が聞こえた。


「…………?」


 源吾郎はゆっくりと目を開いた。突き付けられた刃物も、サヨコがぴったりとくっついている気配もない。彼女は、源吾郎の斜め後ろでダガーを持っていた右手をさすっている。彼女が持っていた恐るべきダガーは見当たらない。源吾郎の斜め前に、その成れの果てがあるだけだ。ダガーは粉微塵にされ、何故か無数の花びらを持つ奇妙なオブジェに生まれ変わっていた。


「ふっ、ふふふふふ」


 射抜くようなサヨコの視線を享けながら、萩尾丸は朗らかに笑う。彼の右手は、子供がするように指鉄砲の形をとっていた。


「勝負ありだねお嬢さん。まさか、僕が君をただイラつかせるためだけに楽しい楽しいお喋りにかまけていたと思っていたのかい? まぁ、君もそこの狐もいじる事が出来たから面白かったけど」


 サヨコが半ば源吾郎を押しのけるような形で前進する。萩尾丸の顔からは笑みが消える。冷え冷えするような瞳で彼女を見つめるのみだ。


「人質はもう意味をなさない。ここから先は君と僕とのタイマン勝負になるね……まぁ、君が無駄に歯向かって、僕が嫌々君をフルボッコにしなくてはならない。そういう展開を望むのなら」

「…………」


 サヨコはもう何も言わない。萩尾丸を注視するその瞳が、きらりと輝くのを源吾郎は見た。


「ま、待って下さい萩尾丸先輩……!」


 真っ先に動いたのは萩尾丸でもなければサヨコでもない。他ならぬ源吾郎だった。自由の身になった源吾郎は、二歩ばかり前に進みだし、尻尾を広げてサヨコの姿を萩尾丸から覆い隠した。

 サヨコの瞳を見た時に、源吾郎はなすべき事を悟ったのだ。


「茶番はもう終わったんだ。非戦闘要員は大人しくしたまえ」

「サヨコちゃんは……彼女は悪くないんです!」


 源吾郎の叫びに、萩尾丸は虚を突かれたらしい。ぱらいそに到着してから、彼が驚きの表情を見せるのはこれが初めてだった。


「この茶番を考えたのは僕なんです! 僕が彼女を唆しただけなんです。だから、だから彼女は見逃して下さい……!」


 源吾郎の尻尾は奇妙にうねっていた。その動きの支離滅裂さは、彼の心情をそのまま反映していたと言ってもいいだろう。

 興ざめしたと言わんばかりの萩尾丸を、源吾郎は正面から見据えていた。何がどうあっても、彼女を護らねばならない。錯綜した心の中で、それだけが明らかな事のように源吾郎には思えたのだ。


「もしどうしても彼女が赦せないというのなら、僕と――」

「全くもってお馬鹿さんね、島崎君は」


 萩尾丸に戦闘を申し込もうとした、その源吾郎の言葉を遮ったのはサヨコだった。ご丁寧にも彼女は言葉だけではなく、源吾郎の尻尾の毛を引っ張って気を引いたのだ。

 振り返ってすぐにサヨコと目が合った。彼女は、夢から醒めたような表情で源吾郎を見つめている。


「ちょっと褒めてあげただけで結婚するとか何とか言っちゃって、本当にお馬鹿で間抜けな子よね、あなたって」

「サヨコちゃん……何を言って……」


 冷水を頭からかけられたような気分で源吾郎は呟いていた。サヨコはそんな源吾郎を見て、儚く微笑んだ。


「――単なるカモだと思っていたのはまごう事無き真実よ。だけど、今こうして私を庇おうとしたその姿が、今まで見てきたあなたの中でだったわ」

「…………」


 サヨコの謎めいた言葉を理解しようとしている間に、サヨコは前に進み出ていた。萩尾丸はうっすらと笑みを浮かべるだけだ。日本生まれの妖狐であるはずなのに、サヨコは欧米人ばりに両手を上げ、無抵抗である事を示している。


「策が破れてしまった以上、私自身はもう抵抗しないわ。あなたの実力は私では……いえボスですら敵わないでしょうから」

「物分かりの良い女で良かったよ」


 萩尾丸は言うと、源吾郎にちらと視線を向けた。


「そこの間抜けにもあれば良かったんだけどねぇ」

「そんな事を言わずとも、あなたは彼の兄弟子なんでしょ? 無知だけど素質も性格も悪くないんだから、きちんと教育してあげなさいよ。さもないとまたつまらない女に引っかかってしまうわ」


 サヨコはそのまま大人しく萩尾丸の傍に行き、そしてそのまま自警団の一人に引き渡された。その際に彼女は器用にも、歩きながら尻尾を生やした少女の姿から、直立する狐という、半人半獣の姿へと変化していた。

 半ば本性をさらしたサヨコの姿を、源吾郎は口を閉じるのも忘れて凝視していた。サヨコは可憐な少女などではなかった。脂っ気の抜けた毛皮と、古狸顔負けのでっぷりとした肉体を誇る、まごう事無きオバサン狐だったのだ。

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