実家の歓待、護符のおみやげ

「お帰りなさい、源吾郎」


 開かれたドアから出てきたのは、源吾郎の母・島崎三花であった。一ヶ月半ぶりに顔を合わせた末息子を前に嬉しそうな笑みを浮かべている。何だかんだ言って母も母で源吾郎の身を案じていたのであろう事は源吾郎は把握していた。長兄以外は実家を離れそれぞれ居を構えており、彼ら彼女らは年に数回実家に戻って来るだけだ。とはいえ、立派に成人した兄姉らの来訪と、先月やっと独り立ちした源吾郎のそれは、やはり母の中でも異なった意味があるのかもしれない。


「ただいま、母様」


 普通に声を出そうとした源吾郎だったが見事に失敗した。収まらぬ心臓の拍動に気を取られ、その声はいつも以上に高く、また上ずってかすれていた。

 三花はそそくさと息子に近付くと、気遣うような素振りを見せつつ源吾郎をドアの中へと招いていった。こんな所が俺は不器用なんだ。演劇部で頑張ったんだから、少しはしゃんとした姿を見せないと……そんな事をくよくよと考えていた源吾郎であったが、はたから見れば母に導かれ仲良く家に入る若者にしか見えなかった。


「少し落ち着いたかしら」

「うん……」


 母が源吾郎に声をかけたのは、彼がリンゴジュースを飲み干し、テーブルの上に空のカップを置いたのを見届けてからだ。テーブルの周りには三花だけではなく、父の幸四郎や長兄や次兄もわらわらと集まり出している。

 源吾郎の顔を見て特に喜色を示しているのは父の幸四郎と長兄の宗一郎だった。彼らは最愛の末息子、実の息子のように面倒を見てきた末弟がともあれ元気そうな様子で戻ってきた事への喜びを包み隠さずにいた。


「今回実家に戻ってきたのは、誠二郎と源吾郎だけになるわね。双葉は取材で忙しいんですって。庄三郎は……まぁあの子はいつも通りね」

「双葉は今日も今日とて弾丸取材という事で僻地の絶壁とかに仲間や部下と共に向かっているらしいんだ。庄三郎とも一応連絡がついて、生存確認はできたから、源吾郎は特に心配しなくて大丈夫だよ」


 母の言葉が終わるや否や、長兄の宗一郎が丁寧に長姉と末の兄の状況を教えてくれた。末弟に対して「心配するな」と口にする一方で、その顔には不在の妹弟を案じる気配が見え隠れしている。源吾郎も誠二郎も長兄の表情には気付いていたが、指摘せずただ笑って流すだけにしておいた。宗一郎が妹や弟たちの事を何かと気にかける、いわばシスコン・ブラコン体質である事は源吾郎もいやというほど知っている。


「まぁ、みんな違う仕事をやってるから、連休と言えども皆がばっちり集まるのは難しいと思うよ宗一郎兄様。それに、双葉姉様が取材で飛び回っているのも、庄三郎兄様がアトリエに籠ってパンダみたいな暮らしをやってるのもいつも通りだし」

「……それもそうだなぁ」


 源吾郎の発言に応じたのは宗一郎ではなく次兄の誠二郎だった。五人兄弟の三番目というきょうび珍しい中間子の中の中間子である誠二郎は、何かと我の強い兄弟の中にあって、控えめで大人しい性質の持ち主だった。彼について特筆すべき点は、理系を専攻した事と、兄弟の中で最も人間に近い存在であるという事であろうか。


「俺と源吾郎と宗一郎兄さんはそれぞれ昨日から休みだったけど、源吾郎だって昨日は昨日で用事があったとかでこっちには来れ無かったもんなぁ」

「確か、妖怪たちとの会合があったって聞いたんだよ、父さんは」

「そうそう。地元の妖怪たちとの大切な会合があるって連絡を僕らにくれたよね……して源吾郎、会合の方はどうだったんだい」


 宗一郎が源吾郎に視線と問いかけを投げてよこす。長兄か父母からこの問いかけは放たれるであろうと源吾郎も予測していたので、宗一郎の妙に暖かい視線にも臆する事は無かった。


「ああ、それが術者の跡取りになるって言う女の人と知り合いになったんだ」


 おおっ、とかああっ、というやや気の抜けた声が、兄たちの喉から漏れた。宗一郎も誠二郎も人間としての生き方を選んで久しい。しかし兄たちも妖怪の暮らしや妖怪に関わる術者の事もある程度は知っていた。

 驚く二人の兄に驚きつつも、源吾郎は説明を続ける事にした。猫耳パーカーを身にまとったマイペースな鳥園寺さんと、彼女に仕える巨大なオウムのアレイの姿が、脳裏にくっきりと浮かび上がっていた。


「主催者の住吉さんが、新しく越してきた術者の娘さんがいて、向こうもそんなに年が変わらないみたいだから話し相手になってくれって言われたんだ……向こうの人は鳥園寺って言うお屋敷の一人娘で……末っ子だったけど色々あって当主になるように修行を始めたって話をしてたんだ。お嬢様だからかな、割とマイペースで、案外度胸のありそうな女性だったよ」

「……その娘とはお友達になれそうかしら、源吾郎?」


 意味深な笑みを浮かべながら問いかけたのは母の三花だった。唐突な言葉に目を白黒させていると、母は少し真面目な表情になって言葉を続けた。


「妖怪として生きていく以上、人間の術者たちと関わる事があるのも致し方ない話だものね。悪しき考えに囚われた者たちには気を付けなければならないけれど、悪しき考えを持たない、真面目に善良に働いている術者たちと私たち妖怪は、むしろ相互に交流がある方が何かと良い事も多いのよ……

 話を聞く限りでは特に心配する事は無さそうね。鳥園寺家の事もお母さんは知ってるし。それにしても初回の会合で当主候補の娘と仲良くできるなんて流石ねぇ」


 母の言葉を聞くうちに、源吾郎は照れ臭さを隠すためにほんのりと笑った。「仲良く」という単語を聞いた時に、相手が女性だったために源吾郎はよせばいいのに邪推してしまったのだ。色事とかとは無関係に、ある種の政治的駆け引き的な部分で、術者と仲良くなったことが良い事であるという旨の内容を、母は源吾郎に伝えたかったらしい。

 母の口からと出てきたのも、何とも意味深であるとも源吾郎は思っていた。大人はよく聞き分けのない幼子に対して「そんなんだったらサーカスに連れていかれるよ!」とたしなめるそうなのだが、島崎家の場合ではサーカスではなくてだったのだ。今では、それが単なる脅し文句ではない事を源吾郎は知ってしまったわけなのだが。まぁ、母の場合は父と弟妹が術者な訳であるから、源吾郎たち以上に術者には詳しい事になる。


「ああでも母様。仲良くなったって言っても向こうもお酒が入っていたから気軽に話しかけてくれただけかもしれないんだ。まぁ、職場も近いし連絡先も交換したから、今後も顔を合わせる事はあるかもしれないけど」


 源吾郎はそこまで言うと、鳥園寺さんの事を話すのを打ち切りたい気分になった。あんまり女の人の事を考えるのが恥ずかしくなってきたためである。源吾郎はズボンのポケットを探り、中に入れていたものを取り出してテーブルに置いた。


「それより、ささやかだけどお土産を用意したんだ。母様も父さんも兄上たちからも入社祝いを貰ったから、そのお返しにさ……あ、でも色々あって人数分無いんだけど」


 言い訳めいた言葉を重ねつつも、源吾郎は鳥の絵が描かれた包装紙を解いた。中から出てきたのは一つの玉が五色の組紐で連なるストラップ四本である。デザインこそ違えど、薄紫のこの玉をあしらったアクセサリーは、鳥園寺さんや珠彦が持っていた物と同じである。

 テーブルに置いたストラップに、四人は少し顔を近づけて凝視した。やはりというべきか、驚きと感心の色を最も強く見せているのは母だった。


「まぁ、これはまた立派な護符じゃない」

「え、このミサンガみたいなのって護符なんだな、母さん」

「そうよお父さん。護符ってお札みたいなイメージがあるかもしれないけれど、私たち妖怪の間では、むしろこうした玉や宝珠みたいな形の護符って結構ポピュラーなのよ。厳密には、妖力を玉状に固めて丸めたものだけどね」


 珍しそうにストラップの一本を摘まみあげる父に対する説明を終えると、母は視線を動かし今一度源吾郎に視線を向けた。


「それにこの妖気は雉仙女様のものよね」

「あっ、うん。そうなんだ。これは向こうの研究センターで、紅藤様と俺たちで作ったんだ。玉は紅藤様が用意して、俺たちは組紐をより合わせて玉につなげたんだ」


 即座に玉の作り主を言い当てた三花に対してややへどもどした源吾郎だったが、素直にこのストラップの来歴を語った。源吾郎は実は、戦闘訓練後から連休に入るまでの数日間、座学が終わると紅藤や萩尾丸の部下である若手の妖怪らと共にこのストラップの作成に励んでいた。

 紅藤がなぜ手ずからアクセサリー型護符を量産し、それらが鳥園寺さんや源吾郎の手に渡っているのか? 話の始まりは、源吾郎が珠彦と激闘(?)を繰り広げた戦闘訓練にさかのぼる。

 戦闘訓練の前後では、細々とした変化が源吾郎の周囲で発生した。取るに足らない存在と思われていた珠彦が、源吾郎とほぼ互角の戦闘を行えたことで評価が上がりまくった事とか、強そうで偉そうで鼻持ちならないと思われていた源吾郎が、戦闘面では結構ショボい事が判明して却って親近感を抱く連中が出たというのが解りやすい変化であろう。

 妖怪たちの意識変化は主に珠彦と源吾郎に対する評価に関わるものであったが、訓練の折に珠彦が身に着けていたペンダント型の護符に関心を抱く者も多かった。下級妖怪では大怪我どころか生命に関わるかもしれないような猛攻撃から、持ち主をほぼ無傷で護り抜いたのだ。萩尾丸の部下たち、下級妖怪と呼ばれる妖怪よりもか弱い者たちの多くは、自分もこの護符が欲しいと思った。その願いはすぐに紅藤に届き、彼らに護符を提供するために彼女は惜しげなく動いたのである。


「人数分無くてごめん。だけど向こうも欲しがる妖が多かったから、俺が家族の人数分確保するって言うのはできなかったんだ。もしよければ使ってよ。物凄い効果がある訳じゃないって紅藤様は仰っていたけれど、それでも……」

「大丈夫よ、源吾郎」


 もごもごとした説明を遮り、明るい声で母が応じた。


「雉仙女様は、それこそ大妖怪レベルの攻撃を防げるような品でなければ『しょうもないおもちゃ』だって言い放ってしまうようなお方だって事は母さんも知ってるわ。

 もしかしたら、この護符を作るときも、雉仙女様は『取るに足らないガラクタ』だと思っておいでだったかもしれないわ。だけどそれでも、私の見立てではこの護符でも十分な代物だと思うわ」

「あはは……ともかく母様に喜んでもらって嬉しいよ」


 源吾郎は母の鋭い指摘に思わず苦笑いを浮かべた。母がどれだけ紅藤の事を知っているのか源吾郎には定かではない。しかしさも見てきたかのように語るので、母の眼力の鋭さに驚き、ついで笑ってしまったのだ。

 実を申せば、紅藤の妖力を用いた護符作成には、末端である源吾郎や萩尾丸の部下の数名が実際に作業するまでにひと悶着あったのだ。別に紅藤が護符の作成を渋ったり嫌がったりしたという訳ではない。むしろ彼女は若くか弱い妖怪たちの要求にノリノリで応じようとしていた。それこそ、九尾や酒呑童子などの大妖怪クラスの攻撃も弾くような護符を作り、希望者たる萩尾丸の部下たちに無料配布しようと思っていたほどだ。

 そんな紅藤に待ったをかけたのが、紅藤の一番弟子にして第六幹部の萩尾丸だった。営業戦略の才に秀でた彼の眼には、超一級品の護符を作り、あまつさえ無料で配布するという紅藤の行為は単なる暴挙と映ったのであろう。

 紅藤と萩尾丸は師弟と言えど全く異なる意見を持っていたので当然のようにもめた。上等な品をか弱い妖怪たちに提供したいという紅藤の意見と、価格のバランスを考えずに一級品をばらまくのは後々の経営に響くから適正価格で売り出すべきという萩尾丸の意見が相容れないものであるのは中学生でも解る話だった。源吾郎や青松丸と言った他の研究センターの面々は、冷静にしかし容赦なく論戦を続ける紅藤と萩尾丸の姿をなす術もなく眺めるほかなかった。研究者と営業マンは全く異なった行動原理で活動しているために、彼らが意見をぶつけ合うと収拾がつかなくなるという事を源吾郎は実地で学べたのだった。

 結局のところ、萩尾丸の意見が通り、紅藤が大分譲歩する形で事は収まった。弱めの中級妖怪から下級妖怪レベルの攻撃を防げるだけの、簡易な護符を数万円の「廉価」で販売するという所で手を打つ事と相成ったのである。「お粗末」なクォリティーの護符しか作れない事には紅藤も色々言いたそうだったが、それでも皆に手に入りやすい価格設定ではあった。彼女が作成した護符の場合、競合他社では数万円で手に入るような代物ではないからだ。


「本当に、珍しいお土産を僕らのためにありがとうな、源吾郎」


 宗一郎は源吾郎に対して優しくほほ笑んでいた。


「二つは父さんと母さんに一つずつ渡すとして……僕の分は大丈夫だよ。僕は知っての通り会社で割と平和に暮らしているからね。これは双葉に会った時に渡しておくよ。オカルトライターって事であちこち危ないところに行っているから、むしろ僕よりも妹が持ってた方が役立つんじゃないかな。それに妖怪が作った護符って聞いたら喜びそうだし」


 長兄の話を聞いていた誠二郎は、護符の一つを手にすると、そのまま源吾郎に差し出した。その右手に握らせると、彼もまた眼鏡の奥で瞬きをしつつ口を開いた。


「俺もその護符が無くても大丈夫。だからそれは庄三郎に渡したらどうかな? 何か大変な事から護る力が必要なのは、俺よりもむしろあいつの方だから」

「……庄三郎兄様に護符を渡すのは良いとして、わざわざ俺に託すのはどうしてです?」


 護符を握りしめないよう手のひらを開いたまま尋ねると、誠二郎は気まぐれな猫のように笑いながらよどみない口調で応じた。


「いやさ、兄弟の中で源吾郎が一番庄三郎と接触があるだろ。あいつも何か入り用があれば、俺たちよりも源吾郎に何かと連絡しているみたいだし」

「誠二郎兄様がそう言うのならば、これは庄三郎兄様にお届けしますよ」


 源吾郎は護符と誠二郎の顔を交互に眺めながら密かにため息をついた。庄三郎については実兄ではあるが積極的に会いたいと思っている相手ではない。しかし護符を届けるという任務を請け負った以上、近いうちに庄三郎が籠るアトリエを来訪せねばならないだろう。

 別に小さな護符だから、郵便や宅配便を使って届けても構わないのかもしれない。しかしそれだとモノがモノだけに盗難の恐れがあるのでは……? などと源吾郎は用心してしまっていたのだった。


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