史実と真相のはざま――玉藻御前の娘たち

「いえいえとんでもない」


 数秒後に我に返った源吾郎は、雪九郎の謝罪に謝罪で応じた。


「むしろこちらの方が申し訳ないです。わざわざ複雑な家庭環境を喋るように、僕が仕向けた形になってしまって……」


 源吾郎はそもそも日頃より自分好みの女子たちを侍らせ傅かれるハーレムの構築を夢想してはいる。しかし雪九郎の実家の環境を聞き、その事を棚上げして驚き戸惑ってしまったのだ。

 それから源吾郎は、何故か自分の実家の事について思いを馳せていた。年若い末息子の眼から見ても、両親の夫婦仲は良好だった。厳密に言えば父が母にベタ惚れで、母はそんな父を憎からず思っている、と言う若干の温度差はあるにはあるが。

 ついでに言えば父は母の弟妹達、要は源吾郎の叔父や叔母にも「三花姉様の夫」として認められている。そうでなければ、そもそも四十年の長きにわたって平穏に結婚生活も続かないだろう。


「まぁアレだ島崎君。名家にゃあ名家の事情があるってものさ」


 雪九郎に代わって口を開いたのは萩尾丸だった。彼の口許には、猫めいた歪んだ笑みが拡がっている。


「大妖怪となれば、元々が野良であっても縁組だとか側室だとか当人が望む望まぬに関わらず、色々な係累が生まれるものなのだよ。雪九郎様のように、どちらの先祖もやんごとなき系譜に連なるのならばなおさらね。

 して思うとだな、島崎君。君の系譜……白銀御前様に連なる系譜は単に通常とは異なる動きを取っているだけに過ぎないのさ。何せ彼らは血統を誇って繁栄するどころか、むしろその出自を恐れてひた隠しにし、目立たぬように生きる事に多くの労力を費やしているのだからね」


 確かにそうかもしれません……萩尾丸の言葉に源吾郎は頷くほかなかった。

 白銀御前の子孫たちで、おのれの血統を大々的にアピールしているのは源吾郎だけである。源吾郎の縁者で術者である苅藻やいちかは玉藻御前の孫である事は知られている。しかしそれは当人たちの宣伝というよりも、むしろ不可抗力に近い状況なのだそうだ。


「源吾郎君の家族は、玉藻御前様の血統である事は隠しているんだね」


 萩尾丸の言葉が終わって数秒ほど経ってから、雪九郎が問いかけてきた。目を丸く見開き、驚きの念を示している。


「君も玉藻御前様の末裔だから、君の一族がこの土地を収めていて、当主の座を継ぐために雉仙女様の許で修行していたのかなって思ったんだけど……」


 不思議だと言わんばかりに首をかしげる雪九郎を前に、源吾郎は妙な気分になっていた。きっと当主の座という話が出たのは、雪九郎の実家がそうだったからなのだろう。その事はうっすらと理解できる。妖怪たちの血族の中で当主を立てる家系がある事も知っている。

 しかしそれでも、当主という言葉はぼんやりと浮かび上がり、源吾郎の中に同化しようとはしなかった。

 それはある意味当然の話でもあった。当主がどうとか家を継ぐという話題が、親族たちの中で出てくる事などなかったためだ。そもそも血族を繁栄させる事よりも波風立たぬように生きていく事に注意を払っているような面々ばかりなのだから。

 血縁者同士で寄り集まって親族会議を開く事もあるにはあるが、そうでない時は付かず離れずの関係を保ち、ひっそりとしかし自由に生きていく。それが白銀御前の系譜に連なる者の生き様だった。

 もちろん源吾郎も、そういう血族の生き方に馴染んでいた。発言権を抜きにした妖力面では白銀御前に次いで強いものの、一族のリーダーとして兄姉らのみならず曲者の叔父たちをおのれが従える状況など、全くもってイメージできないのは無理からぬ話だ。


「島崎君が修行を始めているのは、この雉鶏精一派の幹部となり世界征服を目指しているのは、あくまでも彼自身の意思によるものなのですよ雪九郎様」


 ぼんやりと物思いにふける源吾郎に代わり、萩尾丸が説明を始めていた。いつもの、何かを小馬鹿にしたようなニヤニヤ笑いを浮かべながら。


「先程申し上げました通り、彼らの一族は祖である白銀御前様からして目立つのを嫌っているようなメンバーばかりですからね。ここにいる島崎君は、たまたま野望を持ち合わせただけに過ぎませんよ。まぁ、ある意味妖怪らしいのかもしれませんね」

「そういう事だったんですか……」

「そういうもこういうも、萩尾丸君の言うとおりだとわたしは思うわ」


 妙に驚いている雪九郎に対して、王鳳来は落ち着いた調子で頷いている。


「だって雪九郎。じぶんの親族がこの地にいるって事を、いまさっき知ったばかりでしょう? 白銀姫やその子供たちが、それこそ世界征服をねらうくらい野心家だったら、それこそ牛魔王君や玉面公主ちゃんのところにあいさつに来ているんじゃないかしら? しかも、玉面公主ちゃんと白銀姫は他人じゃなくて姉妹でしょ?」

「確かにその通りですね」


 雪九郎が納得の声をあげる中、源吾郎は目をしばたたかせながら王鳳来を凝視していた。無邪気で天真爛漫な少女めいた言動の彼女から放たれた推論の鋭さに、源吾郎は舌を巻く思いだったのだ。自身を莫迦と称していたのも耳にしていたから、源吾郎もついつい油断して単純な思考回路の持ち主だろうと思い込んでしまったのである。

 いや、単純な考えの持ち主、物事の本質を見定める事が出来たのかもしれないが。


「白銀御前様とその子孫たち……島崎君の件は、全くもって王鳳来様の仰る通りですわ」


 紅藤が落ち着いた口調で言い放つ。その声には恭順の意がありありと籠っていた。


「実を申しますと、私はかつて白銀御前様を仲間に引き入れようと画策した事があるのです。結局のところ話し合いは平行線をたどり一戦を交える事となったのですが……その際にあのお方と盟約を結んだのです」


 思わせぶりに言葉を切った紅藤は、源吾郎をちらと見やった。


「白銀御前様の子孫の中で、雉鶏精一派に、この私に付き従う事を望む者を弟子として引き入れても構わない。あのお方はそう仰ってくださったのです。当時あのお方も私たちに思うところがあったらしく、引き入れる弟子は一人だけですとかチャンスは一度だけですとか幾つもの制約を設けておられたのですが……結局は私の手許に彼が来てくれたという次第です」


 白銀御前との盟約を語る紅藤は、不気味なほど活き活きとしていた。研究のために雉鶏精一派を盤石なものとしたいと思っている紅藤にしてみれば、白銀御前との出会いやその後に生じた戦闘などは、興奮を伴う思い出なのかもしれない。

 ところが王鳳来は、少し機嫌が悪そうに片方の眉を吊り上げただけだった。


「ねぇ紅ちゃん。白銀姫と一戦をまじえたって、ケンカしたってことなの?」

「喧嘩と言うよりも戦闘、闘いですね」

「ダメじゃない紅ちゃん。ケンカや闘いなんて……」


 どうにも避けられない闘いだったのです。紅藤は諦観を漂わせて呟いただけだった。しかしながら、萩尾丸を筆頭に源吾郎の先輩たちは驚き呆れる始末である。


「あの頃は私もまだ若かったですし、交渉術も今以上に苦手でしたから……白銀御前様も気が立っておいでだったので、それなら力押しで白黒つけた方が手っ取り早いだろうと思い、一勝負訳でございます。若気の至りだと思って頂ければ問題はありません」

って、紅藤様……」


 じっとりとした視線を紅藤に投げかけるのは、一番弟子の萩尾丸だった。


「若気の至りだか何だか解りませんけれど、よくぞまぁ白銀御前様ほどのお方を前にして、説得できないからそれじゃあ闘いましょう、なんて考えが浮かんできますねぇ……脳筋マッドサイエンティストの称号は伊達じゃないってやつですかね」

「結果的にあのお方を傷つけたわけじゃあないから大丈夫でしょ? 話し合いがちょっとじれったかったから、ちょっと闘う方が手っ取り早いかなって思っただけなのよ、私も。後で峰白のお姉様に怒られちゃったけどね」

「そりゃあ、峰白様もご立腹なさるでしょうに……」


 萩尾丸の言葉には皮肉も多分に含まれていたが、紅藤は特段気にする様子はなく、普段の明るいながらもつかみどころのない様子で応対している。心なしか、萩尾丸の方がしんどそうにさえ見えるくらいだった。

 

「……まぁいずれにせよ、白銀御前様が名声や権力に興味を持っていなかった事は確かな事実ですわ。何がしかの権力や力を欲しているのであれば、我々に協力的であれ敵対的であれ、彼女の力で一大勢力を築き上げる事は可能なのですから」


 源吾郎は紅藤の主張を聞きながら萩尾丸の様子を静かに観察していた。白銀御前の話題が出てから、萩尾丸は明らかに落ち着きを失っている。厳密には紅藤が白銀御前と闘ったという過去の出来事に戸惑いうろたえているように見えた。いつも大体落ち着き払っている萩尾丸がうろたえているというのも中々珍しい光景だった。


「大叔母様がもし野心家であったならば、確かに一大勢力をお作りになっていてもおかしくないでしょうねぇ」


 またしても微妙な空気になった中、雪九郎がおのれの考えを口にした。彼もやはり、紅藤と白銀御前の闘いという物に不穏な気配を感じ取ったのだろう。先程よりもこころもち大きな声だった。


「こんな事を申してしまっては厭味のように聞こえるかもしれませんが……わが祖父母の、わが一族の権力と知名度は割合大きいですからね。何しろ祖父は斉天大聖孫悟空様に大哥あにうえと呼ばれる間柄だし、祖母ももちろん玉藻御前様の娘である事もそうですが、曾祖父の一人娘だったので莫大な遺産と土地を受け継いでいた訳ですし……」

「玉面公主ちゃんのおとうさんの万年狐王様は、強くて賢い狐だったのよ」


 雪九郎の祖父母の説明が終わったところで、王鳳来が言い添える。


「強くてりっぱな子供をのこそう、と思って玉藻御前の姉様は万年狐王様に近付いて、それで玉面公主ちゃんをもうけたの。子供だけじゃなくて、万年狐王様と結婚できたら、姉様もわたしたちも良い身分におさまる事ができて、酒池肉林もできるって事でね」


 王鳳来が語る玉面公主の出自は、中々に源吾郎の好奇心をそそるものだった。玉面公主と言う存在を西遊記にてあらかじめ知っていたし、何より彼女が大伯母であるからだろう。そんな中、王鳳来は心底困ったような、途方に暮れたような表情を浮かべた。今まさに困難に直面していると言わんばかりの表情である。


「だけどね、万年狐王様に姉様のたくらみは見破られてそのままわたしたちは追い出されたのよ。娘の玉面公主ちゃんはあとつぎだからって万年狐王様がそのまま引きとってしまったの」

「ああ……」


 源吾郎は思わず声をあげていた。様々な想いが脳内で交錯した結果の行動だったのだが、すぐにおのれの行動を浅はかだと感じるに至った――間の抜けた源吾郎の声に反応し、王鳳来と雪九郎が源吾郎に視線を向けたためだ。

 どうしたの。両者の視線は、言外に源吾郎にそう問いかけていた。


「あ、いえ……玉面公主様の事は西遊記などで知っておりましてね。あの話の中にも、玉面公主様は親から莫大な遺産を受け継いだとありましたので、まさしくその通りだと思った次第ですね」


 源吾郎は思った事を素直に口にした。西遊記は人間たちにはある種の物語だと見なされているし、源吾郎も多少は脚色のあるものだと思っていた。しかし八頭怪の話も含め、案外実際に起きた事も網羅しているのだと思い知ったのだ。

本当は曾祖母である玉藻御前が親権争い(?)に敗けた事も気になってはいたが、そこはまぁ触れないでおこう。


「確かに、西遊記に書かれている事の中で、祖母の来歴は本当の事になるかな」


 雪九郎は面白い物でも見聞きしたと言わんばかりに目を細め、穏やかな調子で源吾郎たちに語り掛ける。


「だけどあれも、やっぱり人間や巷の庶民妖怪向けにアレンジされてあるところもあるんだよ。あの話の中では、祖母は猪八戒に殺された事になっているけれど……

あれは大嘘さ」

「そう……だったんですね」


 一、二度瞬きをしたのち、源吾郎が慎重に呟いた。それを見て、雪九郎は大きく頭を揺らして頷く。


「何しろ祖母は今でも健在で、屋敷の女主人として面白おかしく暮らしているらしいんだ。実際に、祖母の屋敷に猪八戒は攻め入ったけれど、歯向かってくる使用人たちを蹴散らしただけで、観念した祖母には手を出さなかったんだってね。僕も兄弟たちも子供の頃から聞かされた話なんだけどね。あたしはやはり魅惑的だから、天蓬元帥殿も殺すのをためらってくれたってね。

 もっとも、相手が脳筋な孫悟空や真面目な沙悟浄ではなくて、色好みの猪八戒だから、ある意味眉唾物かもしれないけれどね」

「ま、まぁ……玉面公主の大伯母様も、玉藻御前様の血を引いている訳ですしね」


 たどたどしく言葉を紡ぎ、源吾郎は微笑みを作った。玉面公主の方が、自分の祖母である白銀御前よりもうんと玉藻御前に近い女狐なのかもしれない。未だ実際に出会った事のない玉面公主に対してそのような感想を抱いたのだった。

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