天狗相手の野狐問答
研修内容の変更という業務連絡から解放された源吾郎は、指導員である青松丸ではなく萩尾丸の許に真っ先に向かっていった。彼に言っておきたい事が出来したためである。
「萩尾丸先輩、少し良いですか」
萩尾丸は廊下にいた。彼が通話を終えるのを見計らってから、源吾郎は声をかけたのだ。
頬の筋肉が強い感情で痙攣するのを源吾郎は感じていた。先の煽りトークを源吾郎は非難しようと思っている。すんでのところで紅藤に真相を感づかれる事は無かったと思っているが、萩尾丸と源吾郎の言葉一つで真実があらわになってしまう所だったのだから。
「僕のところまでわざわざやって来るなんて珍しいねぇ島崎君」
源吾郎の存在と声を認めた萩尾丸はうっすらと笑みを浮かべていた。
「君は今青松丸さんの許で色々と勉強しているんだろう? 僕に何か用があるのかな? 僕も僕で本部と本社に向かわないといけないから、手短に頼むよ」
第六幹部であり尚且つ御自ら組織を率いる立場である事を、萩尾丸は腕時計を見せびらかしながら源吾郎に告げた。源吾郎が入社を機にホームセンターで購入した代物に較べてうんと高価そうだった。
「萩尾丸先輩は、全くもって良い性格の持ち主ですねぇ」
言葉だけを素直に受け取れば、源吾郎は萩尾丸を褒めているように捉える事も可能であろう。源吾郎はしかし、この言葉に目一杯の皮肉を込めていた。
源吾郎自身はプライドが高くついつい尊大な言動になってしまう事はあるが、好んで皮肉を口にするような手合いではない。しかしながら、今回ばかりは萩尾丸に皮肉を言ってやりたいと思ったのだ。何しろ彼は、ぱらいそでの源吾郎の不祥事を紅藤に告げようとニヤニヤしていたようなものなのだから。
「おやおや島崎君。この連休中で、いや王鳳来様や雪九郎様に出会ってから精神的に成長したみたいだねぇ」
萩尾丸は源吾郎の皮肉をものの見事にスルーした。それどころかやや大げさに両腕を広げ、晴れやかな笑みを浮かべて逆に源吾郎を褒めるような言葉を口にしたのだ。
萩尾丸には皮肉は通じなかった。聡い彼の事だから、稚拙ながらも源吾郎が皮肉を言い放った事には気付いているだろう。気付いたうえでこの態度、皮肉に皮肉を重ねる態度に出たとしか、源吾郎には思えなかった。
「君ってば事あるごとに『俺は凄いんだから褒め称えろ』みたいなアピールをかましてきたけれど、遂に君以上に優秀な存在がいる事を認めてくれたんだね。いやはや、兄弟子として教育した甲斐があるよ」
先輩は俺の教育指導に関与していましたっけ……? そんな疑問が脳裏をかすめたが、源吾郎はツッコミを入れたりはせず萩尾丸を見上げていた。萩尾丸が教育指導に関わっていたかどうかは今回問題ではない。
「別に僕は、先輩を褒めるためだけに呼び止めたんじゃあないですからね」
「それもそうだろうねぇ」
源吾郎の声には鋭さが混じり始めていたが、やはり萩尾丸は動じない。
「萩尾丸先輩、先程の研修カリキュラムの変更の件ですが、別に連休中の事までわざわざ言及しなくて良かったんじゃあないんですか?」
「どうしてそう思うの?」
源吾郎の主張に対して質問で返す萩尾丸の瞳はあくまでも澄み切っていた。腹黒く炎上を容易く行う大天狗であると知っているのに、純粋な好青年と相対しているような気分になり、源吾郎は思わず首をひねっていた。
「どうしてもこうしても、話す必要なんてないじゃないですか。僕には先輩が決めた研修内容を拒絶する権利すら無い訳ですし、紅藤様も萩尾丸先輩の事を信頼なさっている訳ですよね。それならば、わざわざクドクドと詳細を話さなくても良かったはずですが」
「詳細も何も、僕は君が連休中に立派な活躍を行ったと言っただけだけど」
そう言い放つ萩尾丸の面は既に笑みで歪んでいた。
「紅藤様の仰る通り、後ろ暗い事が無いのならそんなに変におどおどしなくても構わないだろう。君は単に、苅藻君の命を受けて動いただけなんだから」
それは真実とは違う。源吾郎はそう思ってしまったから、萩尾丸の言葉に頷けなかった。そこで頷けばうやむやになったままにできるだろう。しかしそれは源吾郎の望みでもなかった。
そもそも自分が何を望んでいるのか。それを見失いかけるほどに源吾郎は困惑していた。恥をかかされたから萩尾丸に反駁したかったが、真実が明るみになるのも怖かった。今この廊下には紅藤がいないからバレないだろう、と言う考えは通用しない。紅藤は様々な術を知っている。術で眼を培養して、監視カメラの代わりに使う事もあるくらいなのだ。うかつな事を口にすれば、それこそ筒抜けになってしまうだろう。
萩尾丸は、黙って源吾郎を見下ろしていた。源吾郎が心中に抱く逡巡を目ざとく見抜いていたらしい。
ややあってから、彼は優しげな笑みを見せた。
「紅藤様に本当の事が露呈するのを君はひどく恐れている……だからこそこの僕に執拗に咬みついてきたんでしょ? だけど安心すると良いよ」
萩尾丸の最後の言葉を耳にした源吾郎は、はっとして視線を上げた。優しく穏やかな笑みを浮かべる萩尾丸の事を、源吾郎はこの時初めて感じの良い好青年だと心の底から思った。萩尾丸は、研究センターの中ではぱらいそでの一件を知る唯一の存在だ。
安心すると良い。その言葉は源吾郎を庇い立てるための文言なのだろう。
ありがとうございます。心からの感謝を示そうとした源吾郎に対し、萩尾丸は笑みを浮かべたまま言い添えた。
「――本当の事を言えば、紅藤様は全てご存じなのだよ」
「え、そんな――」
ショックで倒れるのではないか、と言う考えが源吾郎の脳裏をよぎったがそんな事は無かった。だが倒れる事を考えるほどには衝撃的だった。
「とはいえ、紅藤様は直接君を叱責するつもりはないみたいだね。君にとってはありがたいかもしれないし、もしかしたらなすべき事を放棄しているだけに思えるかもしれない。別にあのお方は、師範としての務めを投げ出した訳でもなければ、君の心中を慮って敢えて何も言わない訳でもない。あのお方は、紅藤様は君の事を弟子としてあの方なりに愛しているのは真実だよ。しかし――あのお方には自分の弟子が傷つくであろう事が耐えられないだけなんだ。まぁあれだ、ちょっと身勝手な理由かもしれないね」
源吾郎はぼんやりと萩尾丸の話を聞いていた。紅藤が知っている事、紅藤が怒らない事、怒る事で源吾郎を傷つけないか気にしている事……そこまで考えている間に、源吾郎の脳裏にある考えがひらめいた。
源吾郎は半歩ばかり近付き、萩尾丸を見上げた。その顔には先程まで浮かんでいた怒りや逆恨みの色はない。純粋な称賛の色だけが、源吾郎の面に浮かんでいるだけだった。
「申し訳ありません萩尾丸先輩……紅藤様の優しさをくみ取って、敢えて汚れ役を担っていたなんて今の今まで見抜けませんでした」
「いや別に、僕が君をいじっているのはそういう役割もあるけれど……それ以上に面白いからやってるだけなんだけどなぁ」
萩尾丸はちょっと呆れたような表情を浮かべると、源吾郎の肩をそっと叩いた。
「さてどうするんだい島崎君。紅藤様に洗いざらい告白するんだね?」
この問いに源吾郎は素直に頷いた。
※
萩尾丸の宣言通り、源吾郎はぱらいそでの一件を紅藤に話した。虚構の話ではなく真実の話の方をだ。紅藤は多少は驚いた様子を見せていたが、萩尾丸の言葉通り怒り出したり叱責したりする事は無かった。ただ、薬物汚染を辛うじて免れた所ではひどく安堵した様子を見せていたし、八頭怪の話が出た時には、不安の色をその瞳に映し出していた。
「……島崎君。もしよければ研究センターに寝泊まりしたらいかがかしら」
研究センターに寝泊まり。紅藤の言葉に源吾郎は目を丸くした。併設する工場に勤める妖怪たち術者たちの中には、近所の社員寮に暮らす者もいるという。研究センターも紅藤や青松丸が寝泊まりしたり居住区があるという話はうっすらと聞いていた。
しかしまさか、源吾郎自身が研究センターやその居住区で寝泊まりするようにと提案されるとは思ってもみなかった事柄だった。
「八頭怪にも目を付けられているかもしれないから、そうなったら私の管理下……いえ目の届く所にいた方が島崎君も安心かなと思ったの」
「…………」
ひな鳥の身を案じる親鳥のような眼差しを受け、源吾郎はどう答えるべきか考えあぐねていた。紅藤の近くに居を構えた方がいざという時の安全度が高まるのは事実だ。しかし源吾郎とてアパート暮らしに馴染み始めた所だ。と言うよりも、短いひとときとはいえ誰にも干渉されない牙城は手放せない。そうでなくても紅藤はプライバシーの概念をガン無視するようなお方なのだ。研究センターで暮らすのは安全かもしれないが、引き換えに失うものが大きすぎると源吾郎は感じていた。
そのような逡巡は紅藤と傍らにいる萩尾丸には十分に伝わっているようだった。
「大丈夫よ。私たちは砂風呂だからお風呂もお湯のお風呂とかも用意できるし、島崎君が急な病気や事故で大変なとき以外は術で監視しないようにしておくから」
「ま、まぁ……考えておきますね」
気のない返事を返した源吾郎だったが、紅藤はやはり朗らかに笑うだけだった。
「まぁ紅藤様。しばらくの間は島崎君もアパート通いで良いんじゃあないでしょうか。まだ若いし色々あるでしょうけれど、それなりにタフですから」
「それも、そうね」
萩尾丸の言葉に紅藤はさも納得したように頷いている。
――ああ、やはり強くなるための道は険しいのだろうな。遠くから聞こえるホトトギスの鳴き声に耳を傾けながら、源吾郎は密かに思ったのだった。
九尾の末裔なので最強を目指します【第一部】 斑猫 @hanmyou
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