いざ雉鶏精一派総本部へ

「島崎君。今日は朝から本部で幹部会議があるの」


 紅藤の弟子になって二日目の朝。紅藤は研究センターにやって来た源吾郎の姿を見るなりそんな事を言った。よく見ると、彼女は白衣姿ではなく、パンツスーツ姿だった。


「もちろん、話題は島崎君の事がメインになるわ。玉藻御前様の末裔、ゆくゆくは幹部になるかもしれない妖怪ですからね。皆あなたに興味を持ってるのよ。頭目である胡琉安様も興味津々よ」

「胡琉安様が……興味津々」


 両の瞳を輝かせながら源吾郎が復唱する。源吾郎自身も雉鶏精一派の頭目である胡琉安の事は気になっていた。師範が今仕えている男であるという事だし、それ以前に胡喜媚の縁者でもある。曾祖母である玉藻御前様は胡喜媚様と義姉妹の関係となったという事だが、俺も胡喜媚様の血縁者である胡琉安と仲良くなれるだろうか。源吾郎はそんな無邪気な事を考え始めていた。



 これから向かう雉鶏精一派の本部は、県庁から少しばかり離れた、お洒落な港町の一角にあるのだという。山奥にある研究センターから車で三、四十分程度はかかるという事なので、一行は社用車である黒塗りのセダンで向かう事となった。ちなみに幹部会議に向かう面子は、幹部職である紅藤と萩尾丸、そして昨日紅藤に弟子入りした源吾郎である。


「車で行くなんてかったるくないですか、紅藤様」

「それを言えば、そもそも私は会議に出席する事がかったるいわ」


 車のキーロックを解除する萩尾丸の舌打ちが源吾郎たちの鼓膜を震わせた。萩尾丸の苛立ち交じりの威嚇におののいたのは源吾郎だけであり、紅藤は全く動じていない。


「わざわざ車を使ってちんたら行かずとも、空を飛んだり瞬間移動を使ったりすれば良いじゃないですか。紅藤様ならどちらでもできるでしょうに。もちろん僕も出来ますが」

「どっちも疲れるからいや。それに飛ぶなら十中八九島崎君を萩尾丸が運ぶ事になるわよ」


 押し黙った萩尾丸に対して紅藤はなおも言葉を重ねた。


「それに運転が嫌なら私がするけれど?」

「……いえ、運転は僕がやりますよ」

 

 萩尾丸は観念したようにため息をつき、そそくさと運転席に乗り込む。源吾郎は少し迷ってから後部座席の下座にあたる所に腰を下ろした。すると助手席に座るだろうと思っていた紅藤は、なんと源吾郎の隣に何のこだわりもなく入り込んだのだった。


「僕の運転は退屈に思うかもしれないが、君にとっては実に幸運な事だね」

「一体どういう事でしょう、先輩」


 シートベルトを締めながら、萩尾丸の意味深な言葉に源吾郎は首を傾げる。ミラー越しに写る萩尾丸の目許には、あからさまな笑みが浮かんでいた。


「もしも紅藤様が運転した場合、島崎君は酔いつぶれて狐襟巻みたいになっているかもしれないからさ……君がジェットコースターなどは平気でむしろ大好きだというのならば話は別だけど」


 源吾郎は黙ったままだった。遊園地よりもむしろ山頂にある植物園や水族館に足しげく通っていた源吾郎は、自分がジェットコースターが好きか嫌いか即答できなかったのだ。萩尾丸は若者のようにくすくす笑いながら言い足した。


「紅藤様がハンドルを握れば、他の間抜けな運転手共の半分の速さで目的地に到着はするさ……急カーブなどでコースアウトして車ごと粉みじんにならないかと、最初から最後まで震え上がらないといけないけれど」

「私が運転する時は全部妖術でコントロールできるのよ。もちろんコースアウトも事故も無くて安全よ」


 源吾郎はこれにも何も言わず、視線を紅藤にスライドさせた。紅藤が運転すると言い出した時に萩尾丸が慌てた理由がここではっきりと判明したのだ。彼女は言いたい事を言うと怒った素振りも見せずにほほ笑んでいる。

 と、紅藤が唐突に首を巡らせこちらを向いた。源吾郎は彼女から視線を逸らし、ついで狭い所に入ったかのように窮屈そうに身を縮めた。日頃自慢に思っている尻尾はもちろん収納している。


「島崎君。そんなに縮こまらなくても大丈夫でしょ。車の中は広いんだから」


 紅藤が柔らかな声で呼びかけるので、結局視線を彼女に向けた。紅藤はさもリラックスした様子で椅子にもたれ、足を伸ばしている。


「紅藤様は、運転なさらないのであれば助手席に座ると思っていました」


 紅藤が隣に座っているという状況は気になるが、どうして隣に座ったのか、と直接聞くのは気が引けた。源吾郎が身を縮めているのは、つまるところ隣に紅藤が座っているからだった。大妖怪であるためか弟子入りして間が無いためか、ともかく紅藤が傍らにいると思うと緊張してしまうのだ。


「本部に向かう道中で、雉鶏精一派の事を改めて話そうと思っていたの。昨日も多少は話したけれど、大雑把な所しか話せなかったし」


 成程、それで敢えて隣に座ったのか……源吾郎は相変わらず縮こまったまま密かに納得した。

 源吾郎はそれから、昨日教えてもらった事を思い出していた。初代頭目と二代目頭目の関係性、雉鶏精一派の沿革や組織体系……確かに大雑把な内容のみだった。幹部が八名なのは胡喜媚が九頭雉鶏精である事にちなんでいるという、興味を引く豆知識的なものもあるにはあるが。


「もちろん、私も雉鶏精一派の全てを、包み隠さず知っている訳ではありませんわ。今の体制の雉鶏精一派では私は最古参のメンバーと見做されているけれど、それでも高々五百年程度なのですから……」


 五百年をさも短い期間のように言い切る紅藤の顔を源吾郎は黙って凝視していた。なかば俯き目を伏せていた紅藤の表情が静かに変化していく。顔を上げ源吾郎を見つめた時には、彼女はもう決意を固めていた事をその目つきで悟った。


「島崎君。あくまで今回私が話すのは、話せるのは私が知っている範疇になるけれどそれでも構わないかしら? それも、胡喜媚様がおかくれになった後の、三百年程度ですけれど」

「その三百年のうちの数十年が、野望と愛と狂気と執念の入り混じる、壮大なドラマではありませんでしたか、紅藤様!」


 運転に勤しんでいた萩尾丸が唐突に口を挟んだ。その声には興奮の色がありありと浮かんでいた。萩尾丸は今や幹部職に就いているが、二百年以上紅藤に仕えていた事は源吾郎も知っている。ああ見えて彼も、若い頃は大層苦労したのかもしれないと源吾郎はぼんやりと思った。


「これは島崎君も知っていると思うけれど、雉鶏精一派は元々、胡喜媚様を頂点とした大規模な組織でした。玉藻御前様の義妹であり、自らもやんごとなき血統を誇るお方だったから、配下になりたがる妖怪たちには事欠かなかったんです――かくいう私もその一羽ですが。雉鶏精一派が今日も年数経た妖怪の皆様より危険視されているのは、かつての頭目だった胡喜媚様が掲げていた理念と活動内容によるものです。胡喜媚様はお亡くなりになる寸前まで、義姉であり島崎君の曾祖母にあたる金毛九尾を復活させる事に尽力しておりました。敵対勢力ももちろん多かったのですが、彼らに対しては胡喜媚様や力のある配下たちが血生臭い方法でもって応じていたのです。バックに神仏がついていたとしてもお構いなしでした」


 玉藻御前も胡喜媚も他の妖怪たちが苦心して作ったコミュニティや秩序を破壊しつくして、おのれの欲のままに作り替えようとしていたらしいという事を、玉藻御前の曾孫である源吾郎は知っていた。そしてそれを、多くの妖怪――特に伏見の狐たちや仏の守護者たる天狗たち――が良しとしなかった事も。


「胡喜媚様は莫大な影響力と規模を持つ組織の長でしたが、その実態は恐怖と圧政により皆を縛り付けているだけだったのです。元々は玉藻御前様にも引けを取らぬほど聡明なお方だとも言われていましたが、そんな事実にいかほどの価値がありましょうか。胡喜媚様は正気を何処かに捨て去って久しいお方でしたし、そもそも私は玉藻御前様の事も知りません。先程胡喜媚様の許には大勢の手下がいると言いましたが、彼女の事を心の底から敬愛していた妖怪は……ええ、一羽しかいませんでしたね」


 その一羽は誰だろうか。紅藤の横顔を見つめながら源吾郎は思った。少なくとも紅藤では無さそうだ。紅藤はかつての主の事を多くは語っていないが、その物言いには胡喜媚に対する思慕の念は見当たらない。むしろ冷ややかな侮蔑と、未だわだかまる憎悪の念が見え隠れするくらいだ。


「したがって、胡喜媚様が亡くなられた時に、雉鶏精一派は或いは崩壊していてもおかしくなかったのです。実際、胡喜媚様が亡くなった直後に、雉鶏精一派に所属していた妖怪たちは散り散りバラバラになりましたからね……中には、胡喜媚様が所蔵していた秘宝や術の道具を行きがけの駄賃とばかりに持っていくしたたか者もいたくらいです。

 私も私で胡喜媚様が亡くなった事に心底安堵していました。ひとまず一羽で隠遁し、数十年経ってほとぼりが冷めた頃にまともな妖怪仙人か大妖怪の許に弟子入りして仙術の勉強をし直そうと当時考えていたのです」


 源吾郎は今や紅藤の顔を食い入るように眺めていた。独立するつもりだった紅藤は、今はこうして雉鶏精一派の最高幹部として今ここに居る。その間に壮絶なドラマと心変わりがあったのだろう。


「峰白のお姉様が私の許に訪れたのは、胡喜媚様が亡くなられてから一月後の事でした」

「峰白様が、胡喜媚様を心底慕っていた妖怪ですね!」


 合点がいったとばかりに源吾郎は声を上げていた。峰白と言う女妖怪の事は、昨日紅藤に教えてもらったばかりである。雉鶏精一派の第一幹部として長らく君臨しているこの女傑を、凄まじい妖怪であろうと源吾郎は思っていた。八名いる幹部らには明確な序列があると聞いていたし、何より峰白を説明する紅藤の声音と表情には、深い敬服の念が込められていた。


「峰白のお姉様は、胡喜媚様が亡くなった事も雉鶏精一派が壊滅する事も認めようとしませんでした。そこで仙術の心得のある私の許にやって来たのです――胡喜媚様を蘇らせて欲しいと。

 雉鶏精一派の再興には乗り気ではなかったのですが、お姉様の執念もとい熱意を目の当たりにして、お姉様の願いを叶えようと思ったのです。峰白のお姉様の生き様には、私もある意味一目を置いていましたし、心の底から慕っていた相手を喪った辛さや哀しみは、私も一応知っていましたので――もっとも、峰白のお姉様は忠義を向ける対象を間違っていたのではと思う事はあるのですが。

 胡喜媚様を蘇らせる事は叶いませんでしたが、雉鶏精一派は峰白のお姉様が指揮を執る新体制の中で、再興した次第です。新体制を打ち立てた初期に、白銀御前様をスカウトしてみたり、胡喜媚様の血を引く胡琉安様を後継者として用意したりと忙しかったんですがね。ええ、今は随分と組織も安定して平和になりましたわ」

「……実に壮大なドラマですね」

「やっぱりそう思っただろう、島崎君」


 源吾郎の呟きに得意げな様子で応じたのは、紅藤ではなく萩尾丸だった。


「僕は二百……五十年ほど前に紅藤様に拾われてこき使われている訳だけど、その頃と較べれば今なんてもう天と地ほどの差があるよ。メンバーも殆どいなかったし先輩の青松丸もまだ子供だったし、そもそも後継者もいななかったし……

 それでも雉鶏精一派が盛り返したのはさ、紅藤様のたぐいまれなる開発力と、それを適切に売りさばく僕の営業力の賜物って奴さ。いくらみんなが驚く新技術を開発しても、それを適切に流通させる事が出来なければ埋もれてしまうもの……」


 つまるところ、紅藤が妖怪の近代的現代的な暮らしに役立つ開発を行ったのを商品化し、世に多く棲息する妖怪たちが手に入れられるように萩尾丸は活躍したという事らしい。新体制となった雉鶏精一派は今や危険な過激派ではなく、世の為人の為妖怪の為の品物を提供する研究グループとなり、のみならず妖怪たちの生活に欠かせない組織と言う地位に、他ならぬ萩尾丸が導いたのだという。ああ、それこそ三時間ノーカットのドラマにできそうな話じゃないか。萩尾丸はいつの間にか興奮しているようだった。


 源吾郎はその話をぼんやりと聞いていた。萩尾丸の成功したビジネス戦略の話に興味がないというよりも、彼の話の中で一つだけ違和感を抱いたのだ。しかもその違和感が些末な事ではないだろうと本能が訴えていた。

 しかし違和感の正体がなんであるか、突き止める事は出来なかった。あれこれ考えている間に、一行は雉鶏精一派の本部に到着していたからだ。


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