やっぱり仲間も個性的

 源吾郎の全霊を籠めた変化術籠絡術を軽くあしらった萩尾丸は、あろうことか言いたい事を伝えきるとスマホの着信音に導かれ、そのまま颯爽と研究事務所から立ち去ってしまった。気抜けするほどコミカルな着信音と、慇懃無礼の熟語が似合うような萩尾丸の声が、耳の奥に妙な塩梅にこびりついてしまった。

 島崎君。やわらかな声が源吾郎を呼んだ。紅藤が申し訳なさそうな表情をこちらに向けている。


「萩尾丸に色々言われたけれど、気にして落ち込まないで欲しいの」


 紅藤は心底困ったような表情を作り言葉を続けた。


「あれは萩尾丸の悪い癖なのよ。傲慢で鼻高々になって、ついで目下の相手を挑発し愚弄せずにはいられない……天狗の性だと言えばそこまでなんでしょうけれど、何分あの子はそれが目に余る事もあってね。ここ十数年は後輩いびり部下いびりがないから大丈夫かと思ってたんだけど、もしかしたら島崎君が玉藻御前の末裔と知って、その悪い癖が出てしまったのかも」

「あ、えと……僕は大丈夫ですよ、全然」


 タイミングを見計らって源吾郎は言った。この言葉はほぼほぼ本心からのものだった。源吾郎は穏和そうな見た目からは想像できぬほど感情の起伏の激しい青年であるが、一たび強い感情を発露すればすぐに気が静まるという性質も併せ持っていた。要は熱しやすく冷めやすいのだ。


「考えてみれば萩尾丸先輩も実に立派なお方でしたし……やはりひとかどの妖怪になるには、欲望に振り回されているようではいけないんでしょうか」


 源吾郎は変化で萩尾丸が籠絡できなかった事を思い出していた。もしかすると強い妖怪になる為の道として、色欲などの煩悩を追い払う必要があるのではないかとある意味思いつめていたのだ。

 深刻な眼差しを受け止めた紅藤は、さも可笑しそうに笑いつつ首を振った。


「うふふふふ……島崎君って真面目なのね。意外、いえあのお方の血が濃い島崎君らしいわ。安心してちょうだい。欲望や煩悩が、妖怪として強くなる事への妨げになる事はありませんので。

 もちろん、ひとかどの妖怪と世間で見做されている者たちにも欲望はありますわ。それは私も萩尾丸も例外ではないの」


 ぽかんと目を丸くする源吾郎に対して紅藤は続けた。


「仙道を知り妖術を極めたいという思いも、弱小組織を大きく育て上げたいという考えも、大きなくくりで考えれば欲望に相当するわ。そういう意味では、萩尾丸は欲望の塊と言っても遜色ないわ。並外れた欲望の許に動いてくれたからこそ、落ち目だった雉鶏精一派を再興させてくれたんですもの。

 もちろん、おのれの野心や欲望を御する事も必要な時もあるわ。だけど初めからすべてを抑え込んでしまうのは不健全よ」


 紅藤の説明が終わると、源吾郎は深く長く息を吐いた。対面の兄弟子が動いたのは、息を吸い込もうとしたその時だった。


「紅藤様。私も萩尾丸さんみたいに、島崎君と少しお話しても良いですか」


 紅藤が頷くと、兄弟子は座ったまま前方に身を乗り出した。源吾郎はぼんやりと兄弟子を見つめた。よれよれの白衣と、鳥の羽毛のように逆立ち跳ね上がった髪型が印象的な、逆に言えばそれ以外に特筆すべき特徴のない男妖怪として彼の姿は源吾郎の目に移っていた。奇妙な事に、痩せてのっぽのこの兄弟子は、傍らに控える小柄な師範とどことなく似通っているような気がしてならなかった。紅藤と同じく雉妖怪だからなのかもしれないが、それだけでは無さそうな気もしていた。


「初めまして島崎君。私は青松丸あおまつまると申します。もうかれこれ三百年近く紅藤様の許で暮らし、研究や仕事の手伝いを行っているんです。難しい修行に付き合ったりするのはちょっと難しいけれど、雑用とか書類整理とか、そういうこまごまとした事なら相談に乗れるからね」


 とつとつとした口調で青松丸は告げると、ほのかに笑みを浮かべた。態度も物言いも雰囲気も萩尾丸とは大違いだった。友好的で腰の低い態度ではあるが、源吾郎の心に響く物も特になかった。若く見えるけれど母様より年上なのだなと僅かに思う程度である。

 それに青松丸自身はもう話は終わったらしく、手を膝の上で丸めて背筋を伸ばして座っていた。


「あら青松丸。久方ぶりに弟弟子が入ったのに、自己紹介はもう終わり?」

 

 何を思ったのか、紅藤が青松丸に問いかける。青松丸は笑みを絶やさぬまま頷き、紅藤を見つめている。


「はい。私は確かに紅藤様に育てられ、成長してからは紅藤様の研究や仕事を手伝ってきましたが、特筆すべき事はありませんし……」

「相変わらずあなたは控え目ねえ。まあ、そこがあなたの良い所かもしれないんだけれど」


 微妙なやり取りが終わると、紅藤はこちらに顔を向け源吾郎を見ていた。


「青松丸が言わなかったから私が説明するわね。青松丸は私が最初に持った弟子だけど、この子の事は、息子か歳の離れた弟のように思っているの」

「……」


 源吾郎の視線は青松丸と紅藤の間で往復していた。先程の紅藤と青松丸の会話は、単なる師弟の会話と見做すには親しみに満ち満ちていた。現に紅藤は青松丸の事を「息子か弟のようなもの」と言っていた。青松丸はもしかしたら紅藤の弟子である以前に養子なのかもしれない。妖怪の中にも幼若な妖怪を養い、子供や弟妹のように扱う事例はままある。

 源吾郎はそこで、親族会議のやり取りを思い出していた。会議の終盤に乱入した白銀御前が口にした内容も、記憶の海から浮き上がっている。


「あ、もしかして青松丸先輩って、紅藤様が造られた妖怪の一人ではないですか?」

「そうよ」


 青松丸を指で示すという無作法を咎めずに、紅藤はあっさりと、或いは観念したように頷いた。


「当時は雉鶏精一派もそれこそ数えるほどしかいなくて、それこそ深刻な人手不足だったのよ。それでも妖材を集められるような伝手も無かったから、それなら部下になりそうな子を作れば良いかなと思って、私の妖気を使って作ったの」


 紅藤は簡単な説明を終えると、じろりと源吾郎を見やった。


「それにしても、青松丸が造られた妖怪であるって事を知っているのはこの雉鶏精一派でも数えるほどなのに。島崎君も知っていたなんてびっくりしたわ。勉強熱心で博識なのね、島崎君は」


 紫に輝く瞳を細める紅藤の顔を、源吾郎は生唾を飲みながら見つめていた。何故その事を知っている、と暗に問われたのだと源吾郎は受け取っていた。


「そりゃあ、僕だって春から師事する紅藤様の事は色々調べましたもの。そうしたら紅藤様が普通の大妖怪たちですらお話にならない位凄い妖怪だって解りましたし……白鷺城を五、六個を瓦礫の山にしたり瀬戸内海を干上がらせたりできるほどの力があると言われている紅藤様ならば、妖気を使い妖術を操って新しい妖怪を生み出す事なんて造作も無いだろうと推理した次第です」


 滑らかな口調で語る源吾郎の言葉には一片の嘘が織り込まれていた。源吾郎は初めから紅藤が妖怪を作り出した事を聞かされており、したがって推理した訳ではない。しかし正直に祖母である白銀御前から聞いたのだと白状するのは何か危ないと、理由は解らないが源吾郎は思っていたのだ。もっとも、洞察力の高そうな紅藤にその事がばれてしまえば元も子もないが。


「まぁ確かに、新しい妖怪を作る術は普通の妖怪には難しいでしょうね」


 源吾郎の嘘に気付いていないのか、紅藤は静かな口調で呟いた。


「正直なところ、私も青松丸を作るまでに相当苦心しました。目玉とか肌みたいな組織単体ならば培養に苦労はしないんですが、独立した妖怪を丸々作るとなると……」


 紅藤様を以てしても、新しい妖怪を作り出すのは大変な事なのか。源吾郎は彼女の言葉を聞きながらぼんやりと思った。狐狸妖怪やある種の術者が扱う「分身の術」と、紅藤が青松丸を作り出した術は、言うまでもなく別次元の術である。分身の術はあくまでも相手の目を欺く幻術の一種に過ぎず、むしろ変化術に近い。おのれから独立し、しかしきちんと生命活動を続けて成長するような存在を生み出すような術に較べれば、分身の術など片手間で行えるお手軽な術なのだ。

 源吾郎は今一度、紅藤の「息子」を見た。青松丸は妙にリラックスした様子で座っている。紅藤が自分の事をあれこれと話している間はそわそわしていたところを見るに、内気な性格のようだ。


「それじゃあ、次はサカイさんの番ね」


 紅藤の視線は既に青松丸から離れていた。しかし源吾郎の目には、何もない空間を紅藤が注視しているようにしか見えない。あらかじめ兄弟子姉弟子の名は聞いていたので、サカイさんと言うのが姉弟子であろう事は源吾郎にも解る。源吾郎には見えていない不可視の姉弟子が、紅藤には視えているのだろうか。


「サカイさんは少しシャイな娘なの。だけど、初めての弟弟子って事で彼女も張り切ってるみたい」


 紅藤の簡単な説明に源吾郎は応じなかった。彼の視線は紅藤ではなく、数秒前まで紅藤が見ていた箇所に釘付けになっていた。

 一言でいえば異様な光景だった。乱雑に資料や機材や実験器具が置かれた机の、物と物の僅かな隙間から、質量も体積も十分にありそうな物体が、床に流れる油のごとく姿を現していたのだ。それは初め、体表を濃緑色から群青色に輝かせる、途方もない大きさのスライムのように見えた。それは重力に従うように、しかしおのれの意思でもって机から床へと降下している。鈍重そうな見た目とは裏腹に滑らかで素早い動きだった。

 床に降り立った謎のかたまりは、既にスライムとは異なった様相を呈していた。湿った音を立てながら、かたまりは表面に十数個の眼球を浮き上がらせ、本体を伸ばして触手らしきものを見せつけた。触手は植物の蔓のようであり蛸の触椀に似ていたが、うごめく触手の数本は、ありふれた獣の前肢・後肢の形になり、それから人間の手足に変貌した。眼球は数を変えながらも、しかし源吾郎を見つめていた。登場の仕方も姿かたちも奇怪極まりないのだが、「姉弟子」という事もあってか相手からの負の感情は特に伝わってこない。

 既知の生物とは似ても似つかぬ姿を取っていた彼女の姿は、身を伸ばしよじらせくねらせているうちに、人間の女性の姿になっていた。暗い群青色の髪と濃緑色のローブを身に着けた、背が高くグラマーな身体つきの美女である。源吾郎が呆気に取られて口を半開きにする中で、彼女は半歩ばかり近付き、やおら口を開いた。


「は、はじめまして。わたし、サカイスミコって言うの。あ、でも、この名前は本名じゃなくて、お師匠様から、紅藤様から貰った名前なんだけど……見ての通り、わたしはすきま女なの」


 たどたどしさと饒舌さが絶妙に絡み合う姉弟子の言葉を、源吾郎は相槌を打ちつつ聞いていた。すきま女と聞いて、今まで姿が見えなかったのはそのためだったのか、と源吾郎は思っていた。すきま女はとかく隙間に棲息しているという話だから、きっと師範や兄弟弟子のやり取りも、隙間に潜んで見聞きしていたのだろう――あの不定形の姿には正直度肝を抜かれたが。


「わたしは元々お師匠様に取り憑こうと思って付け狙ってたの。だけど逆に敗けちゃって、それからずっとお師匠様の許で働いてるの。あのね、島崎君も今にお師匠様の魅力に気付くと思うわ! お師匠様の心の中って、それはそれは豊かな隙間で満ち満ちていそうだし。あ、でも島崎君は心の隙間が少なそうね」

「あはは、そうなんだ」


 源吾郎は姉弟子の言葉に対する気の利いた返しが出来ず、笑ってごまかした。紅藤はサカイ先輩をシャイと評していたが、どうやら気を許した相手にはとことん話し込もうとするタイプらしい。内向的だったり内気だったりする者たちがある種の活発さを見せる事は珍しい事ではない。

 

 サカイ先輩からの握手を終えた源吾郎は、ちらと紅藤を見た。異形そのものの様相を見せていたサカイ先輩よりも、一癖も二癖もある妖怪たちを従える紅藤の方が化け物らしさでは上であろうなどと考えながら。


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