かの縁 もつれほどけて落ち着けり

「萩尾丸さん。この度はお力添えのほどありがとうございました」


 自警団のリーダーが、萩尾丸を仰ぎ見ながら丁寧な口調で感謝の意を述べていた。萩尾丸が参戦してくれたおかげで、自警団側の損耗少なく鎮圧できたのだという旨の事を彼は語っている。一見すれば美辞麗句にも聞こえなくもないが、本心からの言葉だろうと源吾郎は思っていた。

 一通り言葉を終えると、自警団リーダーは畏まったような、緊張したような表情をその精悍な面に浮かべた。


「――して、この度の謝礼はいかがいたしましょうか?」

「僕に対する謝礼など、普通の戦闘員と同じで構いませんよ」


 萩尾丸はにこやかに、特段こだわりを見せずに告げた。狸男はあからさまに驚いている。


「別に僕自身は小銭稼ぎなどにもはや興味は無いんだ。皆様もご存じの通り、雉鶏精一派の幹部として、そして子会社の『金色の翼』の社長をやっていますからねぇ。

 僕自身には、君らの僕への称賛と敬意で十分です」


 狸男が安堵したような表情を浮かべる中、源吾郎は首を傾げた。日頃の萩尾丸らしい尊大さは随所に滲み出てはいる。しかし、報酬にこだわらないストイックな態度は予想外だった。

 そう思っていると、萩尾丸はやおらポケットから綺麗に折りたたまれた紙片を取り出し、少しだけ開いて狸男に押し付けるように手渡した。


「僕への謝礼は特に気にしなくて良いけれど、これからも『金色の翼』の利用を、いざという時には検討してほしいんです。事務処理や庭掃除から、戦闘がらみのゴミ掃除まで、ありとあらゆる内容に対応できる人材を用意しておりますので、いついかなる状況でも対応可能かと思います」


 萩尾丸はのっぺりとした営業スマイルを浮かべると、その後もペラペラと彼が擁する組織について言及を始めていた。当惑する狸男の顔を見ていた源吾郎は、萩尾丸の直属の部下に当たる「金翅鳥」のメンバーが系列店のガサ入れに参戦していた事、個人的な謝礼は不要と言いつつも萩尾丸自身は稼ぐ気満々である事を知った。

 曲者ぞろいの雉鶏精一派の幹部・紅藤の一番弟子という身分は伊達ではなかった。



 何も知らずぱらいその店内にいた妖怪たちはそのまま自警団の面々や術者たちに連行され事情聴取と相成ったが、源吾郎の身柄は萩尾丸に引き取られた。

 萩尾丸の、即興にして緻密な説明により、源吾郎はただ巻き込まれた民間妖ではなくて、自警団等のスタッフと同格と見做された為である。

 兄弟子の萩尾丸が、戦闘のみならず弁論の方面でも高い能力を保有している事が判明した瞬間であったが……半ば手を引かれる形で連行される今の源吾郎には、それを感心するだけの心の余裕などなかった。

 萩尾丸に連れられ、源吾郎はほの暗い公園のベンチに座らされた。自警団の護送車や妖怪医者の車や無関係な人間たちとの喧騒から遠く離れた場所だ。街灯が公園をまだらに照らし、その周囲を蛾が飛び交っている。

 自販機でミルクセーキを買った萩尾丸は、それを源吾郎に手渡した。小動物よろしくそれを両手で抱えている間に、萩尾丸が隣に腰を下ろす。さり気なくついてきた叔母のいちかは、萩尾丸の隣、ベンチの端っこに座った。


「――大変だったろう、島崎君」


 プルタブを開けるでもなく抱えたままの源吾郎に対して、萩尾丸は穏やかな調子で告げた。


「連中は君の事を、厳密には玉藻御前の末裔を手中に収めようと躍起になっていたんだよ。君みたいな未熟な間抜け野郎であれ、血統だけでひれ伏する、君以上の間抜けは世間に大勢いるからねぇ。それに上手くいけば、君を種牡として仔をする事も出来るだろうし」


 萩尾丸の言葉に、源吾郎は眼球を動かすだけだった。萩尾丸の向こう側でいちかがぶるぶると震えているのが見えた気がした。


「それにしても、君は薬物汚染されていなかったんだねぇ。あれで反応していたら、紅藤様のところに洗いざらい事情を話して、研究センターの地下にある旧拷問部屋で薬抜きをやってもらおうと思っていたのに……残念だなぁ」

「僕は貰った金丹丸を飲まなかったんだ。あれがどういう風に危ないのかは知らないけれど、飲まなければ薬物汚染も何もないはずじゃあないですか?」


 源吾郎の言葉に、萩尾丸はまずにんまりと笑い、それから声を上げて笑った。


「あは、ははははは……君ならまさしくそう言うと思ったよ。まさに模範的な反応だねぇ。もしかして、研修期間とやらの時に出された料理や飲み物に、という考えは君の考えには無いのかい?」


 源吾郎といちかの喉がほぼ同時にひゅ、と鳴った。源吾郎は驚いていたわけだが、何に驚いているのか把握できないくらいの驚きぶりだった。


「あからさまに怪しい薬を渡しても、飲まない可能性だってあるって事は、向こうとてきちんと心得ているさ。まぁあの薬も結構イイモノを使っているから高価だろうけれど、九尾の末裔を捕らえ、奴隷もとい手下にするというリターンから較べれば安いものなんじゃあないかな。ともかく、連中は君に薬の味を覚えさせようと、研修に出される食事のたびに盛っていたんだろうね。金丹丸の成分は、妖力の循環を異常に活性化させるだけじゃなくて、ある程度の依存性も持たせているからね……食事である程度依存させて、本命を飲ませるという所まで行けば、もはや向こうの思うつぼ、というものだった訳さ」

「そ、そんな……」


 呆然とする源吾郎に代わり、声を上げたのはいちかだった。


「全くもって恐ろしい組織ね、ゴモランは……それにしても、どうして源吾郎は無事だったのかしら?」


 今まさに源吾郎が抱き始めた疑問を、丁寧にいちかは口にしてくれた。萩尾丸は驚きもせず訝りもせず、源吾郎の顔からズボン周りに視線を落とした。


「島崎君、君はもしかして、紅藤様の作った護符を持っているんじゃあないかい?」

「は、はい……」


 上ずった声で頷き、源吾郎はそろそろと護符を取り出した。澄んだ青紫色の玉を見て、源吾郎は何となくホッとしていた。何故かは解らないが、研修の最中はくすんだ赤黒い色調になっていたのだ。


「庄三郎兄様に……末の兄に渡そうと思って持っていたんです」


 源吾郎は基本的に、面倒ごとは率先して行おうと思っている性質だった。手土産として速やかに護符を庄三郎に渡し、用事を済ませたいと思っていた。だからこそ護符を、珠彦と遊ぶ時からずっと持ち歩いていたのだ。

 萩尾丸はまたしても笑っていた。しかし激しい笑い方ではない。難解なパズルを解いた直後のような、妙に落ち着いた笑みだった。


「成程ねぇ……偶然に偶然が重なっただけかもしれないが、君は他ならぬ君の師範である紅藤様の護符のお陰で薬物汚染の難を逃れたという訳だね。ああ、ついでに言えばあのお方と君との縁も、生半可な事では断ち切られないみたいだね」


 びっくりした源吾郎は、護符と萩尾丸の顔とを交互に見つめていた。視線の往復が何度か繰り返されるのを見届けたのち、萩尾丸が呟く。


「紅藤様が作る護符の効能に、僕があれこれと注文を付けたのは知っているだろう? あの人は、放っておけば数百万相当の価値になるような、対大妖怪用の護符を無料でばらまく事をしでかさなかったからね……

 そこで僕があのお方を説得して、妖術や白兵戦のような物理的攻撃はある程度の水準以下で作ってもらうようにしておいたんだ。だけど――については、僕は特に口出ししなかったからねぇ」


 遠回しな物言いで言葉を切ると、萩尾丸は喉を鳴らしていた。源吾郎は手の中にある護符を見つめ、今一度萩尾丸に視線を戻す。


「もう大体察しは付いていると思うけどね、紅藤様はその護符にかなり優秀な対薬物性能を付けていたんだ。薬物・毒物の類を服用しても、身に着けているだけですぐに解毒・無害化させるという代物さ。もっとも護符を持っている間は病気を治すための薬も効かなくなるとは言っていたけれど、それは脇に置いておこう。

 しかもだな、持ち主に危険物を摂取した事を報せるために、解毒中にはの、無害なシグナルが送られるように仕組んであるんだ」

「そ、そんなに……」


 萩尾丸の言葉は大体理解できたのだが、納得するよりもむしろ驚きが深まるばかりだった。そんな源吾郎をよそに、萩尾丸はポケットを探り、ストラップ型の護符を取り出した。源吾郎が庄三郎にと用意したものとほぼ同じだ。


「これを君にあげるよ。今君が持っているのはお兄さんに渡すんだろう? 色々と危なっかしいだろうから。その護符が、紅藤様の妖力の籠った護符が、大切な時に君を護るだろうね」


 おずおずと伸ばした源吾郎の手の先に護符が乗せられる。死んだ鳥のようにしっかりとした重量があるように、今の源吾郎には思えた。


「藤の花言葉は確か、『決して離れない』だったよなぁ」


 何かを思い出したようにつぶやいた萩尾丸に対して、源吾郎はあいまいに頷いた。源吾郎が貰った藤の花の事を言っているのか、藤の名を関する自分たちの師範の事を言っているのか、判然としなかった。

 どうしてそんな花言葉が出来たか解るかい? 無言の源吾郎を気にせず、萩尾丸は続ける。


「藤は昔から絞め殺しの木とも云われているんだ。大樹に絡みつき、覆いつくし、絡みついた先を枯らしてしまう事さえあるからねぇ……そういう未来が、もしかしたら君にも待ち受けていたかもしれないって事だね。

 ああ、だけど安心してくれ島崎君。紅藤様から逃れられぬからと言って、別にあのお方は藤花に似た執念深さからあの名がついたわけではないらしいからね。最初のあるじから、翼の模様にちなんでああ呼ばれているだけらしいから」

「……」


 源吾郎はなんと返せばいいか解らずにいると、萩尾丸の向こうに座っているいちかが動いたのを確認した。彼女は思いつめたような表情で萩尾丸を見つめている。

 その萩尾丸は、思い出したと言わんばかりの様子で、彼女の方に視線を向けた。


「ああ、そう言えばいちか君もいたんだったね。ご苦労様。相変わらず戦闘は下手だねぇ。苅藻君もよくぞまぁ、いちか君を独り立ちさせたものだよ。ああでも、あいつは昔から妹には甘かったからかな」


 取り留めもない事のように萩尾丸が言うのを源吾郎はぼんやりと見ていた。まるで、苅藻やいちかの若い頃を知っていると言わんばかりの炎上トークである。

 いちかはぐっと喉を動かすと、萩尾丸を見据えつつ言葉を紡いだ。


「……甥と話していた時にはもう隠す気なんてなさそうな物言いでしたけれど、甥が兄の差し金でぱらいそに潜入したって話は嘘ですよね」


 そうだよ。軽い調子で応じる萩尾丸を前に、いちかの瞳孔がぐっとすぼまる。


「甥の、その、若気の至りである事は、おおよそ推測は付いています。しかし、嘘で物事を隠蔽するのは……」


 使命感溢れる若教師のようないちかの台詞を遮ったのは、やはり萩尾丸の笑い声だった。源吾郎自身は叔母の糾弾に、声もなく身をすくめる他なかった。


「嘘で隠蔽だって。それは何だね、ヴィクセン・ジョークか何かの一種なのかな? 君らの一族ほど、嘘と虚飾と隠蔽がふさわしい連中はいないって言うのに……良いかいいちか君。君のそういう発言はブーメラン発言って言うんだよ。若者の言葉もきちんと把握しておかないと、若い子から馬鹿にされちゃうよ?」


 いちかの喉が鳴るのを源吾郎は聞いた気がした。おどけた表情だった萩尾丸は、もう既に真顔に戻っている。


「そこの仔狐が不祥事を起こした時の、君ら側で取り決めたペナルティもだね、僕は一応知っているんだよ? ペナルティが発生するのは君らの勝手と言いたいところだが、それは研究センターの妖員じんいんの喪失と同じ事だから、あんまりやって欲しくないというのが僕らの意見なんだ。

 それに島崎君は――のだから」


 いちかは萩尾丸の話を最後まで聞くと、すっと立ち上がり、源吾郎の正面にやって来た。


「叔母上……この件は母様とお祖母様には内密にしてください」

「可愛い甥を悩ませるような事は私も嫌よ。だからお姉様やお兄様たちには言わないわ」


 険しい表情だったいちかの顔はわずかに和らいでいる。源吾郎は少し安心したが、いちかの言葉はまだ終わりではなかった。


「お姉様に言わないのは、あくまでも源吾郎よりも宗一郎君のために言わないってだけだからね。あの子はうんと真面目だし、源吾郎の事を息子みたいに思っている節があるから、今回の話を聞いて卒中を起こしかねないもの」


 それに。いちかは物憂げな表情を浮かべ、言葉を重ねる。


「お母様にこの事を秘匿できるかどうかは解らないわよ。お母様は能力的にも知識的にも私たちを遥かに上回っているから、もしかしたらこの案件も知っているかもしれないわ」

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