秘匿されしぱらいその真実

「皆、これはもう大人しくずらかった方が身のためと思いまっせ!」


 大阪弁の入り混じった砕けた口調で、一匹の妖怪が皆に呼びかけた。何とも切羽詰まったその声に、源吾郎も他の妖怪たちも鳥園寺さんをはじめとする術者たちも彼に視線を向ける。アナグマ妖怪の彼は、つぶらな瞳をしばたたかせ桃色の鼻先をうごめかせている。

 皆に注目されたためか、少し得意げな表情になっていた。


「鳥の嬢ちゃんが言うように爆発するんやったら、こんなとこおったら僕ら全員巻き込まれてお釈迦になってまうで」

 

 大きな尻を地面につけて座り込むアナグマ妖怪の言葉に、他の妖怪たちは鋭く反応している。逃げるべきか否か。悩み次の行動を起こそうとしている感覚は源吾郎にも伝わってきた。

 アレイがかつて言った、雑魚妖怪でもシベリアトラを斃せるという内容は間違いではない。しかし妖怪であっても当たり所が悪ければあっさり死ぬ事もあるのだ。妖怪がずば抜けた生命力と再生能力を持つように思われているが、それもこれも妖力の恩恵があるからに他ならない。妖力の少ない妖怪ほど、死ぬリスクが高いのだ。


「……みんなで頑張って結界を張れば良いんじゃないかねぇ」


 鳥園寺雄太は、ガスマスクの向こうから妖怪たちを睥睨しつつ呟いた。


「そんな人でなしな、イケズな事を言わんくてもええやん。てか、兄ちゃんたちかて爆発に巻き込まれたら死ぬかも知れへんねんで。人間様って僕らよりか弱いねんから」

「そうは言っても、俺は結界の張り方なんぞ知らないけどなぁ」

「やっぱり逃げた方が良いんじゃないの、お兄ちゃん」


 相変わらずぱらいそは光に包まれている。源吾郎にはどうすれば良いのかまるで解らなかった。身の安全を確保するのならば、アナグマ妖怪が言うように逃げればいいのだろう。

 しかし、逃げずにここに留まらなければならないと、心のどこかでささやいているのを源吾郎ははっきりと感じていた。爆発しようがどうなろうが、萩尾丸先輩は無事であるはずだと。それに叔母のいちかだってあそこにいるのだ。戦闘員か非戦闘員かさておき、彼らを放って逃げるのは道義に事だと、虚ろな脳で考え始めてもいた。


「……?」


 尻尾の先に奇妙な感覚が伝わってくる。何だろうと思った源吾郎の眼前には思いがけぬ光景が広がっていた。イタチやネズミ、鳩やミミズクのような小柄な妖怪たちが、何を思ったか源吾郎の尻尾に向かって集まり、そこに取り付いたり尻尾と尻尾の隙間に隠れようと蠢いていたのだ。


「ちょ、ちょっと……」


 おたくら何をやってるんだ。ちょっと強気に問いただしたかった源吾郎だったが、実際には放った言葉は尻すぼみになっただけだった。急展開の波状攻撃は、源吾郎の精神を確実に消耗させていたのだ。

 妖怪たちは黒ビーズのような瞳を向け、さも憐れっぽい表情で源吾郎の顔を見上げていた。


「いやさ、俺ら自分では結界は張れないけれど、九尾の末裔である島崎さんの尻尾にくっついていたら、どうにか助かりそうな気がしたんですよ……ほら、前の試合でめっちゃ尻尾を振り回してましたし」

「……成程」


 化けイタチか化けテンの言葉に、源吾郎はあっさりと納得していた。彼自身としては対妖怪兵器として使っていた側面があったが、それもこれも無意識とはいえ尻尾を結界で保護しているからこそ可能な事である。

 それに源吾郎は、さっきから落ち込んでいたが彼の言葉に少し気を良くしてもいた。九尾の末裔という言葉は、いついかなる時でも彼の心を掴み、揺さぶってくれるのだ。

 したがって源吾郎は自分の尻尾に妖怪たちがくっつくのを容認した。考えてみれば、自分は人型でなおかつ一メートル半もある大きな尻尾を垂らしてへたり込んでいるのだ。他の妖怪たちに較べてより多くの面積を占有している訳だから、こうして彼らがくっつくのも受け入れるのが筋であろうと思ったのだ。


「やーん。モフモフの尻尾に小さいモフモフが集まってるってかわい~ 写真撮っちゃおうかな」

「辞めとけ飛鳥。こいつらを撮っても後で心霊写真っぽくなるし、何より肖像権がどうとか言われても面倒だろう」


 爆発を忘れたかのような兄妹の会話をぼんやりと聞きながら、源吾郎はなおも光り輝くぱらいそを凝視していた。妖怪たちは相変わらずしがみついている。しかし、光は先程よりも弱まっているようだった。ド派手な爆発が生じそうな気配ではないと、爆発に詳しくないながらも源吾郎は思ったほどである。


「な、あれは……」


 静かに観察を続けていた源吾郎は、異変に気付き呟いた。眩い光は収まり始めていた。しかしぱらいその巨大な建物が激しく震えていた。毒々しい配色の看板が地面に落ちる。それを皮切りに、建物自体が大樹から落ちていく木の葉のように崩落し始めたのだ。


「あれは、狸の術が解けたという事だろうな」


 術者か妖怪か解らぬが、落ち着いた声が源吾郎たちの疑問に応じた。


「昔から、狸は大掛かりな術が得意だというだろう。実際に、幻術で庵を作り、客人を招いた狸もいたという記録も幾つかあるんだ。ぱらいそのチーフ・引布は狸だったし、スタッフにも狸とか貉がいるだろうから、皆で協力してあそこに建物があるように思わせていたんだろう。

 しかし今、ガサ入れと摘発が起きて、もはや術の維持どころではなくなったんだ」


 せやせや、ほんまやわ……源吾郎の尻尾にくっついていた妖怪たちから同意の声が上がる。源吾郎は何も言わなかったが、件の解説には大いに納得していた。それから、昔兄か姉に教えて貰った不思議な小説の事を思い出していた。確か幻によって構成されたアパートは、皆が「ここにアパートがある」という共通認識が護られている間はそこに在り続けるという話だった気がする。


「いずれにせよ、だったという訳だな」


 気取ったようにその人物が締めくくった。妖怪たちは源吾郎の尻尾から離れ始めていた。光は収まったが崩落するぱらいそは白い煙で覆われ始めている。その入り口と思しき部分から、自警団と思しき人影が大名行列よろしくこちらに向かってくるのを源吾郎は見た。

 行列の先頭にいるのはいかにも物々しい様子の自警団の男たちだった。彼らは籠でも担ぐように、前後で棒の一端を分担して持っている。担いでいるのは籠ではなく棒に四肢をくくり付けられた大狸・引布だった。内部で激闘を繰り広げたのだろう。脂ぎった毛皮は所々地肌が見え、血がにじんでいる部分もあった。一命は取り留めているらしく、暴れこそしないが怨嗟の眼差しを周囲に向けている。

 その後ろには、摘発対象の妖怪とその身柄を確保する自警団が続いた。ハーネスで拘束された五尾の化け狐や、人型を保っているので手枷を掛けられている鳥妖怪などだ。いずれも放つ妖気は並みの妖怪たちよりも遥かに強い。それでも今この現状を曲がりなりにも受け入れているらしく、俯いたり悔しそうな表情を浮かべながらも、素直に歩を進めていた。


「見て島崎君。いちかちゃんと萩尾丸さんだよ!」


 悪党たちが車に収容されるのをぼんやりと見つめていた源吾郎に声がかかる。声の主は鳥園寺さんだった。爆発オチという爆弾発言をかました彼女は、今は無邪気に自警団の面々が戻ってきた事に頬をてからせて喜んでいる。中々どうして神経の太い人物だ。もしかすると、初めての妖怪摘発の現場にやって来たので、テンションが平素とは違うだけなのかもしれない。


「さて諸君、大変な事に巻き込まれたが一体何が起こっているのか把握していないだろうから、軽く説明を行おうと思うんだ」


 自警団のリーダーと思しき狸妖怪の男が、待機スペースの手前、集まっている妖怪たちからばっちりと見える場所にて仁王立ちしていた。その横や後ろには萩尾丸だとか未だ顔にあざの残るいちかとか他の妖怪たちが控えている。アレイは既に鳥園寺さんの傍らに戻っていた。若そうな妖怪の一匹が、待機スペースにいる妖怪たちに何か札のようなものを配っていた。源吾郎にもさも当然のように一枚配布され、源吾郎もそれをさも当然のように受け取った。


「端的に言おう。君らが集まり売り上げを貢献していたぱらいそ及びその系列店を擁するゴモランは、悪質な違法集団だったのだ。

 引布を筆頭とした連中は、違法薬物の製造と販売、薬物中毒者の量産とその推奨、違法な妖怪の身柄の売買などを柱とし、罪もない、ついでに言えばおつむも足りない妖怪たちから財を巻き上げ肥え太っていたわけだ。むろん、罪状は他にもあるが……詳細の説明は割愛させて頂こう」


 引布とはまるで違う、隆とした体躯の狸男の表情は険しかった。妖怪たちが生唾を飲み込む音だけが響く。そう思っていると、鳥園寺さんがびしりと手を挙げた。狸男は教師のような真似はしなかったが、視線で彼女に意見を述べるように促していた。


「そこまでの悪事を働いているのならば、生け捕りなどと言う温い方法ではなく、その場で処刑なさっても良かったのではないでしょうか?」

「…………!」


 鳥園寺さんの言葉に、周囲の妖怪たちがどよめいた。源吾郎も度肝を抜いたのは言うまでもない。何となれば、彼の兄や相棒であるアレイまで驚きの色を見せている。

 だが彼女の言葉が冗談でも何でもない事は、そのつぶらな瞳に浮かんだ憤怒、義憤の色を見れば明白だった。


「妖怪売買の罪状はさておき、妖怪と言えども薬物中毒者を作り出すなんて赦されざる大罪だと思うのです。

 私事で恐縮ですが、元々私は生物学を勉強しておりました。ですから、薬物が脳神経にもたらす重篤なダメージも、その悍ましい仕組みについても多少は詳しいのです。そういう事を知っている身としては……」

「話は概ね解った。少し落ち着きたまえお嬢さん」


 鳥園寺さんの声のトーンが落ち着いたところで、狸男は彼女に制した。


「我々は自警団であって殺し屋やテロリストではないのだ。それに奴をこの場で殺してしまえば、奴と関わりのある、摘発せねばならない組織に辿り着く事が困難になる可能性もあるのだ。

 理にかなった意見を臆せず主張してくれた事には感謝する。だが安心すると良い。奴とその仲間には、相応の罰が下るように手配は行う予定だ」


 鳥園寺さんは狸男の言葉に複雑な表情を浮かべていたが、頷いて少し後ろに下がった。アレイは傍らで彼女に寄り添っている。


「さて諸君。配布された札を握り、少しばかり妖力を送ってくれないか。それで札が変色したものがいれば、速やかに我々に合図を行う事」


 狸男の奇妙な言葉に、妖怪たちは従っているようだった。ほとんどの妖怪たちは札を握ったまま大人しくしているが、中には札が変色したと挙手したり、目立つようにその場でジャンプしている者もいる。

 源吾郎も札に妖力を注ぎ込んだ――札の色は変わらなかった。

 やはり若手の妖怪が動き、札が変色した者たちに近付いている。


「その札は対象者のの度合いをチェックするための特殊な札だ。変色したものは治療対象としてしかるべき保護施設に通院してもらおう」


 薬物汚染。保護施設。ものものしい狸男の言葉に、妖怪たちは驚きと悲嘆の声を上げていた。

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