若人たちとオウムの語らい

 妖怪と術者。両者の関係は一筋縄で解説できる代物ではない。それぞれ立場や種族の異なる間柄であるものの、敵対関係や一方が善で他方が悪であると簡単に言い切る事が出来ないからだ。

 妖怪と人間であれば、確かに倫理観や善悪の判断に多少のズレはあるにはある。しかしそれはどちらかが邪悪であるという事を示している訳ではない。善良な者もいれば邪悪な者もいる。それは妖怪であれ人間であれ同じ話だ。個人の心の中でさえ、善悪が共存しているのだから。

 マンガやアニメなどでは諸々の理由から妖怪と人間とが対立しているという図式を好んで用いるが、この設定も短絡的なものである。もし妖怪の多くが人間を憎み、真に敵対視していたならば、とっくに人類は滅ぼされている所であろう。妖怪たちは人間とつかず離れずの存在であるが、彼らの人間に対するスタンスはほぼ中立である。中には例外的に友好的な者もいたり、敵対的な者もいたりするが、それも個人的な範囲に収まる程度だ。

 、妖怪も術者も穏健派は相互理解を求めるし、そういう場を積極的に作っていくのだろう。この度源吾郎が出席した会合のみならず、鳥園寺さんが就職したという雉鶏精一派の工場もそのような目的を果たしている。研究センターに隣接する工場には、確かに若手の妖怪が従業員として勤務している。その中に混じって、術者の当主の子女たちや、現役を退いた元術者の人間もいるという。若き術者の卵たちは、独り立ちする前に妖怪の生態を知るという目的のために送り込まれるらしい。鳥園寺さんも当主候補と言っていたしその口であろう。



 さてアレイのゴツゴツとした力強い握手を終えると、源吾郎はさりげなくその手をおしぼりで拭った。別にアレイがばっちいと思っての事ではない。「動物を触ったり外で遊んだあとは手をきれいにしようね」と長兄に言われて育ったため、その癖が今も抜けないのだ。

 幸いな事に、鳥園寺さんもアレイも源吾郎の行動をとがめだてはしなかった。アレイは器用な後ろ歩きで元の場所に戻っただけだった。鳥園寺さんは源吾郎を見つめると……花が咲いたような笑みを浮かべたのだった。


「島崎君。私実は島崎君の事ってちょっと怖いひとかなって思ってたりしてたの。九尾の狐の子孫の中でもとびきり力が強いとか、女子に会うたびナンパしてお持ち帰りするとか色々噂もあったし……だけど、見た感じ島崎君って面白そうね」

「ナンパとか、お持ち帰りって……」


 源吾郎は苦笑いで応じるのがやっとだった。そりゃあ確かに街に出てナンパをやってみたいとは思っているが、今は仕事や職場に馴染むのにやっとでそれどころではない。それに源吾郎に好意を持ってくれる女の子が出来たとしても、すぐにおうちデートと言うのも性急すぎる。女の子が嫌がりそうな雑誌やナンパの指南書等々は、見つからないように術をかけて隠しているが、女の子が喜びそうな物もあの部屋には特に無い。文字通り男一匹で暮らしているのだから。

 とりとめのない事を思っていると、鳥園寺さんは更に言葉を重ねた。


「島崎君って、一応妖怪よね? 九尾の子孫って事だし。だけど、思っていたよりも人間っぽい感じがするわ」

「確かに僕は、人間に近いところも多いかもしれません」


 唐突な鳥園寺さんの言葉に、源吾郎は頷くほかなかった。自分が生粋の妖怪ではない事も、或いは人間に近い存在かも知れない事は、指摘されずともよく知っている事だ。


「表向きは妖狐と名乗っていますが実際には母方の祖父と父親は人間なので妖狐の血は四分の一に薄まってますし……何より両親や親族からは、人間として生きるように教育されてきました。僕よりも妖狐の血がうんと薄い、兄上たちや姉上は人間社会に順応できたので。鳥園寺さん。人間っぽいっというのは誉め言葉でしょうか?」


 最後の言葉の語気が強まってしまったのを感じつつも、源吾郎は尋ねずにはいられなかった。幸い鳥園寺さんは怯えた素振りは見せていない。彼女はけろりとした表情で頷いた。


誉め言葉よ。思ってたよりも怖そうなところも少ないし、何より話が解りそうな感じだもの」


 鳥園寺さんの言葉に、源吾郎は思わず顔をしかめていた。彼女に対して憤慨していた訳ではない。彼女の言葉に思う所があり、ついつい考え込み始めていたのだ。

 鳥園寺さんは妖怪の思考や言動が人間とは遠くかけ離れているものと思っているようだが、果たしてそれは正しいのだろうか? 練習試合の時、源吾郎は普段会わない年若い妖怪たちを見たり言葉を交わす機会があった。珠彦にしろ鈴花にしろ他の妖怪たちにしろ、彼らの言動から見え隠れする考えや思いは、人間の持つそれとそう変わらないように思えた。源吾郎の妖怪らしい部分がそのように解釈したのか、若い妖怪たちの中には化け物めいた要素が薄いだけなのかは解らない。もしかすると、そもそも種族が違っても、考えたり思ったりする根っこの部分は、相通ずる部分が案外多いのかもしれない。


「……やっぱり、鳥園寺さんは妖怪が怖いとお思いなのでしょうか」


 源吾郎が思った事を口にすると、鳥園寺さんは一気に酔いが醒めたと言わんばかりの表情になってしまった。彼女は源吾郎の問いに応じようとしてくれてはいた。しかし唇を動かし口をもごもごさせるだけで、言葉が出てくる事はついぞなかった。鳥園寺さんがどう思っているかははっきりと伝わった。申し訳ない事を尋ねてしまったと源吾郎は密かに悔やんだ。


「普通の人間が妖怪を恐れるのは無理からぬ話なのだよ、島崎どの」


 代わりに問いかけに応じたのは、鳥園寺さんのツレにして使い魔であるアレイだった。彼はいつの間にか二人の間に立ち、器用に鳥園寺さんと源吾郎の顔色を同時に窺っていた。


「島崎どのなら十二分に知っていると思うが、我々の中でも極めて弱いと見做される妖怪でさえ、成熟したシベリアトラを苦も無く屠る事が出来るのだからな。動物の中で、ネコ科の獣で最強最大と謳われる獣を、な」


 その通りです。その意味を込めて源吾郎は頷いた。頷く彼の脳裏には珠彦の姿が浮かんでいた。珠彦は妖術が不得手だのさほど強くないだのと自分で言っていたものの、肉体を硬くする能力に秀でている彼ならば、大人のシベリアトラと闘っても勝つ事は出来るであろう。そして雑魚妖怪一匹に易々と斃されてしまうシベリアトラと人間の力関係。これも明確である事は説明せずとも明らかな話だ。

 源吾郎はアレイの白い羽毛から視線を外し、鳥園寺さんを見やった。笑みは無く、源吾郎やアレイの存在に注視しながらもプレートに載せたパイをぱくついているのみである。


「成程……それなら確かに怖いって思うのもしょうがないのかもしれませんねぇ」


 その通り。やはり応じたのはアレイだった。


「特にお嬢は術者の家の生まれだから、特に狂暴な振る舞いをする妖怪の話ばかり耳に入っていたような環境下にあったんだ。数か月前まで、お嬢の二番目の兄・隼人坊を次期当主にと思っていたから、お嬢には妖怪について多くを教えていなかったんだ。それでも妖怪に関する情報は中途半端に入ってくるから……恐ろしく思うのも致し方ないだろう」

「ねぇアレイ。私はもう当主候補になっちゃったから、パパやママみたいにこれからガンガン悪事を働く妖怪と立ち向かっていかないと行けなくなるのよね……?」


 パイを食む手を止め、鳥園寺さんが尋ねた。その声は不安と心配に震えていた。


「いずれはそうなる。だが、若当主夫婦が立ち向かっているような悪事を働く輩とお嬢が実際に立ち向かうのは、少なくとも十年ばかり実戦を積まねばならぬから、今は心配せずとも良いさ。

 ひとまずお嬢には普通の妖怪に馴染んでもらうために妖怪まみれの工場で働いている訳だし、もし妖怪と立ち向かう仕事を行うとしても……ショボい悪事を働いているだけの割と無害な連中をあてがうようにこちらで調整するから大丈夫だ。何、ショボい悪事を働く妖怪たちの方が存外多いんだぞ? バイトテロやSNS炎上キッズ、悪徳キャッチセールスとかが代表格だな。あとはパンに貼ってあるシールをちょろまかす奴とかスーパーで限定品を買い漁る輩も、お嬢でも大丈夫だろう」

「ちょ、ちょっと待って下さいよアレイさん」


 源吾郎はアレイの言葉を聞くや否や、思わず声を上げてしまった。部外者である源吾郎が口を挟むのは野暮だと解っていた。だがアレイの言葉は余りにもショッキング過ぎて、口を挟まずにはいられなかった。


「妖怪たちの中に、そんな悪事に手を染める奴らがいるんですかね? そんな、余りにもしょっぱすぎませんか? まぁ確かに、炎上天狗は身近にいますけど」

「しょっぱいと言えばしょっぱいのかもしれんがな、実際にいるんだから仕方なかろう。我々妖怪の中には、妖力を増やす事に腐心している者がいるのは君も知っているだろう。原始的に他の妖怪と闘ったり時には喰い殺して妖力を増やす者もいるが、ああいった迷惑行為で妖力を増やす戦略に出た者もいるという事だ」


 妖力を増やしたい、という欲求とどうすれば妖力が増えるのか。この二点については源吾郎もよく知っている領域だ。人間や妖怪の感情が高ぶり不安定になると、妖力などと呼ばれるエネルギーが持ち主の外に漏れ出る事、他の妖怪がそれを取り込んで力を蓄える事も源吾郎は知っている。だからこそ妖狐や化け狸は変化術を行使し、相手を魅了したり驚かせたり感動させたりするわけである。

 そうやって考えていったら、アレイが言うような悪事が妖怪によって行われるであろう事は源吾郎も理解はできた。バイトテロであれ炎上攻撃であれ、相手の心を動かすには十二分すぎる効果があるからだ。


 アレイはそれから、鳥園寺さんが結局当主候補になってしまったいきさつを、ざざっとかいつまんで教えてくれた。源吾郎が把握したのは鳥園寺家はどれだけ優秀でも鳥アレルギーなどでは当主になれない事、鳥園寺さんの父親と双子の弟(しかも一卵性)が本家・分家の間柄なのに変に意地を張ったために本来当主候補ではなかった鳥園寺さんが表舞台に飛び出してしまった事などである。源吾郎は微妙な表情でそれを聞くほかなかった。何がしかの事情があるのだろうと鳥園寺さんを見ながら思ってはいたが、余りにも生々しすぎる。そして鳥園寺さんが当主候補となってしまった決定打が、やはり就職活動の失敗という事であるところに、そこはかとない切なさがあった。


「とはいえ、捨てる神あれば拾う神ありという事もあり、お嬢は雉鶏精一派の傘下にある工場に就職し、どうにか当面の生活費には困らなくなったんだ。その上あの工場には多くの妖怪が働いているから、あまり妖怪に馴染まなかったお嬢には良い環境ともいえる」


 工場で働いている妖怪たちって妖怪らしいところを見せていただろうか……そのような疑問を当然のように抱いた源吾郎だったが、アレイはすました表情を浮かべているだけだった。彼は冠羽をわずかに上げて源吾郎の方に頭をひねり、言葉を重ねる。


「仕事では妖怪の暮らしぶりを働きながら観察し、家ではわたしが手ずから術者としてのレクチャーを行う日々をこなしつつ、今日という日がやって来たわけだ。お嬢は前に較べて妖怪にも少し慣れてきたみたいだし、ここで一発インパクトの強い妖怪・要は大妖怪の子孫であり妖力も潤沢にある君とお嬢を引き合わせようと思ったんだ。

 そりゃあ多少は何かあるかもしれないだろうが、一度そこそこ強い妖怪に馴染めば、お嬢も後々楽なんじゃないかと思ってな」


 アレイは左足で首のあたりをねっとりと掻くと、ゆっくりと足を下ろし、今一度源吾郎と目を合わせた。


「……それにしても、島崎どのは立派なものだなぁ。こんな事を言ってはいけないのかもしれないが、若いながらもしっかりしているとわたしは思うよ」


 アレイを見据えながら源吾郎は目を見張った。自分が立派だとかしっかりしているなどと褒められるとは思っていなかったためだ。ましてや相手は、出会って小一時間も経っていない、大人の妖怪である。

 今まで黙ってやり取りを聞いていた鳥園寺さんが、拗ねたように唇を尖らせた。


「あらアレイ。その言い方じゃあ私や隼人お兄ちゃんがしっかりしていないって言ってるみたいじゃないの。身内にばっかり厳しいんだから、ひどいわ」

「お嬢、そこまで拗ねなくても良いだろう。ああそうだな、お嬢も今日はよく頑張ったとわたしは思っている。きちんと会合に来て、九尾の若君と話が出来たんだからな。だが……景気付けのために会合に来る前に缶チューハイを二缶も開けるのは如何なものかとは思うがね」

「え~、別に酔ってないわよ~」


 頬を今再び上気させて笑う鳥園寺さんをアレイはしばし眺めていたが、もったいぶった素振りで源吾郎の方にもう一度向きなおった。


「はっきり言おうか島崎どの。その背後でたゆたう四尾からも解るように、君は現時点でもんだ。その気になれば、この会合に顔を出さないような、素行の悪い野良妖怪の実力者を打ち倒し、彼らの頂点に君臨するだけの実力と妖力はあるんだよ。

 君はそんな短絡的な道に走らず、癖は強いが誠実なあるじに仕える道を選んだ。その道を選んだのが偶然なのか必然なのかは解らないが、真の強者になる事を心得ているかのような動きではないか」


 唐突なアレイの言葉に、源吾郎は目をしばたたかせるのがやっとだった。アレイはそんな源吾郎を見つめ、さも愉快そうな表情を作っていた。今度は鳥園寺さんがアレイをたしなめているようだった。だが源吾郎の心の中では、アレイの言葉が何度も何度も繰り返されていたのだ。

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