術者の娘と白衣の紳士

 若い者同士でなんて言い草だと、まるで見合いをやるみたいじゃあないか。そんな事を思いつつも、源吾郎は住吉夫婦に導かれ、術者の娘が座すテーブルに案内されてしまった。ちなみに会合の食事は合理的ななビュッフェ形式であり、遠回りに案内されながら、好みの料理や果物をプレートに載せていった次第である。ともあれ源吾郎は、川底を転がる小石のように彼女のはす向かいに腰を下ろす事と相成った。

 ちなみに娘の名はチョウエンジアスカというらしい。漢字に直すと鳥園寺飛鳥である。字面から名家である事が滲み出た、尚且つツッコミどころも具えたフルネームだ。

 

「……!」


 腰を下ろした源吾郎は、甘い酒の香りを感じつつ目を見張った。鳥園寺さんについては特段多く語る事は無い。見たところ二十代前半の、明らかに源吾郎より年上の女性である事は明かだ。向こうもこの会合にドレスコードがない事を心得ているらしく、猫耳付きの上に肉球のイラストがプリントされた、中々に前衛的な衣服を身に着けていた。警戒の色を見せてはいるものの、一方で内気で暗そうな雰囲気は無い。のんびりしたお嬢様という風情も感じさせる。

 だがそれよりも源吾郎の度肝を抜いたのは、彼女の隣に控えるツレの存在だった。それはひとことで言うと巨大なオウムだった。純白の羽毛と黄色く凛とした冠羽が目にまぶしい。世間でキバタンだとかコバタンだとか言われる種類の鳥だろうか。それにしても思っていたよりも大分大きい。座った柴犬と並んでも遜色ないほどだ。翼を拡げて飛ぶ姿は圧巻そのものであろう。

 灰黒色の後足で品よく果物のかけらを食するこのオウムが、鳥園寺さんのツレであろうと源吾郎は言葉を交わさずとも解った。件のオウムも妖怪である事を見抜いたためだ。佇まいやほのかに漂わせる妖気は、彼が成熟した妖怪である事を如実に物語っていた。

 と、オウムはすっと摘まんでいたものを下ろし、首をかしげた。レモンイエローの冠羽をゆっくりと上下させたかと思うと、硬く頑丈な嘴を開いた。


「お嬢、九尾の若君が到着なすったぞ。さぁ……」


 白いオウムの言葉を半ばさえぎる形で、源吾郎は口を開く事を決めた。オウムの紳士然とした物言いに源吾郎は多少なりとも感動していた。しかし彼らのペースに乗る事は無く、ここは敢えて先手を取って源吾郎から自己紹介しようと思っただけである。


「初めましてお二方、僕は島崎源吾郎と申します。冴えなりなりに見えるかもしれませんが、これでも三國に広く名をとどろかせた大妖怪・玉藻御前の曾孫、それも兄弟らの中で最も妖力の多い存在なんです。まぁ……とはいえ今日は互いに親しくなるために集まったので派手な事はやりませんが。よろしく、お願い、します」


 源吾郎は得意の長広舌を振るっていたのだが、相手の様子を見ているうちに弁舌の滑らかさは失っていた。つい調子に乗ってぺらぺらとやってしまったのだが、オウムはもとより鳥園寺さんも思っていたより驚かない。こちらに興味を持ってくれてはいるのだが、何というか面白いものでも見たという顔つきになっている。


「お嬢、島崎どのがレディーファーストをガン無視して自己紹介をしたみたいだ。ここはお嬢も自己紹介をするのが筋だろう」


 ええ。オウムの指摘に鳥園寺さんは頷いた。その頬にはやはりまだ笑みが残っている。警戒の色は薄まっており、頬は飲酒の為かうっすらと紅潮していた。


「初めまして島崎君。私は鳥園寺飛鳥。本当は大学卒業後はちゃんとした民間企業に就職するつもりだったんだけど、物の見事に就職活動に失敗して……それで両親に言われて鳥園寺家の当主候補になってしまったのよ。不本意だけどね。それで今は訳あってとある工場で作業員をやっているんだけど……」


 就職活動の失敗などと言う割合ヘビーな自己紹介をかましてきた鳥園寺さんは、しかし唐突に言葉を切り、火照ったその面に意味深な笑みを広げた。


「実はね。私の勤務先の工場は、島崎君が働いている研究センターの隣にある工場なんだ」

「え、な、な、何ですって!」


 鳥園寺さんのカミングアウトに、源吾郎はまさに月並みな驚き方でもって応じた。源吾郎の事を鳥園寺さんたちが知っているであろう事は想定の範囲内だった。自分で言うのもなんだが、源吾郎は有名妖である。玉藻御前の末裔の中でその出自を隠す事無く前面に押し出しているし、彼が師事している雉仙女こと紅藤の知名度も関西では高いためだ。

 しかしまさか、たまたま会うようにと促された相手が、部署は違えど同じ敷地で働いているなどとは思ってもいなかったのだ。


「へぇ、それじゃあ、鳥園寺さんは工場勤務をなさっているご身分である、と……」


 少し上ずった源吾郎の言葉に、鳥園寺さんはゆったりと頷いた。彼女が手首に巻き付けている薄紫の玉をあしらった腕飾りには見覚えがあった。


「島崎君は、高校を出てすぐに……鳥妖怪の中でも妖術の大家で大研究者である雉仙女様の許に、研究者として採用されたのよね」

「その通りです」


 胡乱気で剣呑な鳥園寺さんの眼差しを受けながら源吾郎は応じた。源吾郎は正真正銘十八歳の青年だが、年齢の判りづらい容貌と妖怪の血が混じっているという事もあり、年齢不詳の男と見做される事がままあった。取得したばかりの運転免許を見せれば、納得してもらえるだろうか。

 そんな源吾郎の考えを気にしない様子で鳥園寺さんは言葉を続けた。


「失礼な言い方になるかもしれないけれど、それって縁故入社よね?」

「まごう事なき縁故入社ですね。一応、センター長である紅藤様との面談はありましたが、弟子入りを、就職を前提にした話し合いでしたし」


 源吾郎の就職が縁故入社である事は、妖怪であれば誰も彼も知っている厳然たる事実だった。源吾郎は源吾郎自身の秀でた能力ではなく、彼の血統のみに重きを置かれ紅藤の許に弟子入りが認められた存在であるのだから。

 余談であるが源吾郎を「普通の人間」と見做している高校側に進路を報告する際は、「親族の紹介により研究センターの事務員になった」という話を両親が作り上げた事で事なきを得た。作り上げたと言っても「親族の紹介」という部分は真実である。妖怪社会に疎い教師や生徒らは、学者である・島崎幸四郎のツテで源吾郎が就職したのだろうと思っているらしかった。真実は少し違うのだが、そこを指摘するとややこしくなるので、源吾郎の親兄姉らは彼らの誤解を受け入れたままだ。

 鳥園寺さんは据わった目で源吾郎を眺めまわし、盛大にため息をついた。若き乙女らしからぬ、威勢のいいため息である。


「話し合いですぐに研究職を得られるなんて、全くもって良いご身分よねぇ。そりゃあ、私だって就きたかったわよ、研究職。だからこそ大学では生物学を専攻して、おどおどした男子とかオタクな男子たちとか妙にチャラくて威勢のいい女子たちに囲まれながら勉強したって言うのに……!

 いいこと島崎君。学部卒で、尚且つ女子が研究職になるってめっちゃ難しいのよ。リケンとかカケンとかカソーケンとか色々あるけれど、あんな所って学部卒だったら男子でさえ人間扱いされないのよ。何よ修士卒のみとか博士課程必須とか! 

……島崎君。あなたの事が心底うらやましいわ。学部卒とか修士卒でもこぎつけるのに大変な研究職に、形だけの面接で入り込む事が出来たんですから……」


 周囲の視線が集まるのを感じた源吾郎だったが、何も言えず愛想笑いも引きつったままだった。源吾郎が研究センターに就職した事を鳥園寺さんが羨ましがっている事、理系であっても研究職への就職が難しい事を辛うじて把握した所だ。

兄の一人である誠二郎も、十年ほど前に就職活動で大層苦労していたのを源吾郎は静かに思い出していた。次兄の専攻はブンシコウガクかデンシコウガクとかいう仰々しく眠気をもたらすような物だったのだが、散々足掻いて粘った挙句に内定した就職先は、樹脂メーカーの総合技術職だったのだ。技術職とは名ばかりの、七割がた現場で汗を流す仕事であるという。源吾郎自身はまだまだ若いが、年の離れた兄姉や彼らの友達のおかげで「大人の世界」や「大人の話」について、同輩の面々よりも詳しかった。


「ええと……鳥園寺さんも紅藤様の許で研究をなさりたい、という事でしょうか?」


 ともかく妙に悔しがっている鳥園寺さんに落ち着いてもらおうと源吾郎は口を開いた。自分のペースに相手を巻き込む作戦はとうに瓦解したが、今はそれどころではない。


「生物学を専攻なさっていたのであれば、或いは僕よりも鳥園寺さんの方が、紅藤様と話が合うかもしれませんね。ご存知かも知れませんが、紅藤様はおおむねほとんどの科学技術に精通なさっていますが、特に生物学や薬学に興味をお持ちの方なのです」


 源吾郎はこの時素直な親切心から、鳥園寺さんにこのような提案を口にしていた。紅藤ならば中途採用や学部卒とかを気にせず受け入れてくれるであろうと源吾郎は思っていたのである。

 鳥園寺さんはしかし、はじめ面食らったような表情を浮かべていたが、呆れと戸惑いに顔を歪めた。


「別に、私はあくまでも研究職に憧れているのであって、雉仙女の許で働きたいなんて言ってないわよ。島崎君が雉仙女をどう思っているのか私には解らないけれど、妖怪の、それも鳥なんかの許で働くなんて……願い下げよ!」

「お嬢、飛鳥よ。いくら何でも失言が過ぎないかい? 雉仙女殿は島崎どのの今のあるじに当たるんだぞ。そんな言い方をしては、雉仙女殿の事も島崎どのの事も侮辱した事にならないかとわたしは思うんだ。それに、お嬢が妖怪や鳥を疎んでいる事は解るのだが、わたしを隣に座らせてそんな事を言ったのでは、説得力もありゃしないってやつだ」


 オウムの言葉に鳥園寺さんは我に返ったらしく、恥じ入ったように視線を落とした。オウムは彼女の様子を見届けると、二歩ばかり源吾郎の許に歩み寄り、冠羽をかすかに動かし首を揺らした。


「島崎どの。先の飛鳥嬢の発言で気分を害したのならばわたしが代わりに謝罪しよう。彼女は不本意ながら就職に失敗し、妖怪と関わる仕事に就く事が決められた事に動揺しているだけなのだ。さも研究職に拘泥しているような物言いに聞こえたかもしれないが……実際には妖怪と関与しない仕事であれば、事務職でも文句は言わない口かも知れないんだ」


 源吾郎はオウムの言葉がひと段落したところで鳥園寺さんを見やった。彼女の表情はわずかに変化しており、源吾郎に対して申し訳なさそうな視線を時々向けていた。


「あ、いえ僕は別に大丈夫ですよ……それに紅藤様が鳥妖怪である事も事実ですし」


 しどろもどろに源吾郎が言うと、オウムは安心したように冠羽を下げた。


「さてわたしも自己紹介を行わないといけないね。本当は飛鳥嬢から紹介してもらおうと考えていたのだが……まぁ計画通りに行かぬ事も世の中には往々にしてあるという事だね。

 わたしの名はアレイ。見た目から解る通りこの土地の生まれではないのだが、二百年ほど前に来日し、運命の導きにより鳥園寺家に仕える事と相成った次第だ。術者風の言葉を借りれば、代々の当主に仕え彼らを護り援ける使い魔であると思ってくれれば構わないよ。

 先年まではわたしも本家にて現当主の茶飲み相手になったり弟妹達の指導を行ったりしていたのだが、第一位の当主候補となった飛鳥嬢の就職と独り暮らしが決定してからは、彼女と行動を共にしている次第だ。

 無論この度の会合にわたしも出席しているのは、飛鳥嬢と九尾の若君である君との談話談論がスムーズに進むよう便宜を図るためだな。九尾の若君が、飛鳥嬢に対して狼藉を働いた時の戦闘役を担っているのも言うまでも無いがな」


 アレイと名乗ったオウムの黒々とした瞳に鋭い光がともったのを源吾郎は感じた。いざという時は闘う算段も付いている。言外にアレイがそう言っているものだと源吾郎は思ったのだ。額に浮かんだ汗が流れるのを感じながら源吾郎は生唾を飲み込んだ。術者の使い魔として二百年も過ごしてきたとあれば、萩尾丸などに劣るとしても百戦錬磨の猛者であろう。妖力が地味に多いだけの、戦闘のイロハすら知らぬ源吾郎には、敵に回れば十二分すぎる脅威である事は言うまでもない。

 源吾郎の密かな緊張をアレイは読み取ったのだろう。彼がにわかに表情を緩め、すっと右足を上げたのだ。


「――だが、今の君の様子を見ていれば、今宵の飛鳥嬢の良き話し相手になれそうだ。いやもしかすると、今宵だけではなく今後君と我々との間には運命で結ばれた縁が産まれるかもしれない……

 さぁ島崎どの。君が我々との数奇な出会いを祝福したいと思うのならば、私と握手を交わしてくれないか。わたしの右足を取るかどうかは君の心次第だから強制はしないが――」


 源吾郎は迷うようなそぶりを見せたが、おのれの右手をアレイの掲げた右足に届くように伸ばした。源吾郎が迷っていたのは、きちんとした握手の為にはどの位置に手を伸ばせばいいか、考えていただけに過ぎなかった。

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