第三幕:連休だ されど油断は 禁物だ
自警団主催の妖怪会合
紅藤から言い渡されたゴールデンウィークの、休暇日の多さに源吾郎ははじめ面食らってしまった。祝祭日と定められている日が休みなのは言うまでも無いが、祝日と祝日の間に挟まった平日までもが休日で構わないと言い渡されたためである。研究センターの面々は同じ敷地に立つ工場が稼働しているかどうかは業務上さほど重要ではないのだが、休みの日は工場のメンバーと統一する形になっているそうだ。
ともあれ、源吾郎はいつもよりやや遅い時間に起床し、のんびりと朝食を摂り身づくろいを行っていた。都合九連休もあるこの度のゴールデンウィークの計画は、未だに完全に立てている訳ではない。とはいえ何もせずにぐうたらと過ごす訳でもない。ひとまず連休の前半に実家に戻り、両親や兄姉らに顔を見せようと思っていた。兄姉らも逗留する実家に長々と居座るつもりはないが、一日だけ滞在して近況報告をすれば、息子らに対して鷹揚な両親も、弟妹たち(特に末弟)の事であれこれ気を揉んでいるらしい長兄も安心するはずだ。
おっしゃ、思い立ったら吉日だ。今日あたりでも実家に戻るとするか……源吾郎はその考えに気分を良くしていた。だが丁度その時、彼の鋭い聴覚は、アパートの扉の付近を誰かが行き来し、何かを入れていくかすかな物音を聞きとっていた。安アパートゆえに各扉には郵便を入れるための隙間があるが、郵便物はおおむねアパートの入り口にあるポストに入れられるような仕様になっている。それでも隙間に書類をねじ込んでいくのは、よそから来た勧誘か、新興宗教の勧誘か、胡散臭い団体の勧誘のいずれかであるらしい。
源吾郎は訝しげに首を傾げつつも扉に向かった。二つ折りにされた厚めの紙が、果たして源吾郎の扉の隙間に引っかかっている。
「いったい誰からだい、こんな朝早くから」
ぶつぶつと呟きつつ、源吾郎はチラシを開いた。別に丸めて棄ててしまっても構わない代物ではある。
チラシの中身を一瞥した源吾郎は、丸めて棄てる代わりに目を見張った。チラシの内容は会合への案内だったのだ。一見すれば自治会の寄り合いの案内のように見えるが、ただの案内ではなく近隣に暮らす妖怪と、術者向けの会合(参加費有り)の案内である。その事に源吾郎が気付いたのは、主催者の名に見覚えがあったためだ。この地域の妖怪たち(野良妖怪や人間界に混じる妖怪含む)を取り仕切る、豆狸の夫妻だったのだ。源吾郎は実は彼らと面識があった。引っ越してすぐに、ちょっとした手土産を携えて挨拶をしたためである。
近所付き合いに気を揉むのは世界征服を企む男にはそぐわない行動である事は源吾郎にも解っていたが、だからと言って引っ越し先で出会うかもしれない住人達との交流をないがしろにして良いわけではない。ましてや向こうは術者である叔父叔母を通じて源吾郎の存在を知っていたのだから。
「こりゃあ、参加しないとダメな奴だよな」
誰に言うでもなく、今一度源吾郎は言葉を漏らした。集合時刻は夕方の六時から夜の八時までである。日中活動する妖怪も、夜行性の妖怪であっても無理なく参加できる時間帯に設定されていた。
ちなみに人間たちの中には「妖怪はなべて夜に活動する」と考えている者がいるが、これもまたありきたりな誤解である。無論昼間は休み夜間は活動する妖怪もいるにはいるが、人間社会に馴染んでいる者や鳥妖怪の多くは昼行性である。また、妖力の多さや種族によって必要とする睡眠時間は違う。体質的に毎日三時間程度の睡眠で事足りる妖怪もいれば、数十年数百年と休まず活動し、そののち十年、百年単位で眠り込む妖怪もいる。源吾郎はおおむね昼行性であり、睡眠も同年代のヒトのオスとそう大差ない。
ともあれ源吾郎はスマホを手許に手繰り寄せ、タッチパネルを連打し始めた。彼は昨晩無料通話アプリにて「明日の朝実家に戻る」と身内らに連絡を入れていたのだ。しかし会合出席イベントが発生した今、実家に戻る日をずらさねばならなくなった。今いるアパートは交通面ではやや不便なところなので、朝から実家に向かってとんぼ返りというのは難しいであろうと源吾郎は判断したのだ。そして連絡を入れなければ、親族(特に長兄が)心配するであろう事は目に見えていた。
返信は源吾郎が新しいメッセージを送ってからすぐに戻ってきた。意外にも実家に戻る日程がずれた事に対する疑問や懸念の色は文面からは無かった。それどころか、妖怪会合に出る事を強く推奨するような文面だったのだ。
源吾郎は深く息を吐きながら、額に貼り付く前髪を撫でた。彼はずっと一緒に暮らしていた親兄弟の腹の内を知っていた気でいたが、それでも彼らの思惑が源吾郎の思惑と異なる事もあるらしい。
結局源吾郎は夕方まで自室にいて、会合に出席する準備を彼なりにあれこれと整えていた。準備と言っても大した話ではない。単にどの衣装で出席しようかと考えただけの話だ。
別に衣装について悩む必要などないのでは? 自分でもそう思いつつも、源吾郎は淡々と手持ちの衣装を吟味していた。きっと、衣装を選ぶ為の熱意が中途半端であるからそのような考えに陥ってしまうのだろう。仕事に行くときはスーツ一択なので何も問題は無いし、男女が親睦を深めるコンパに出席するのであれば、衣装選びも気合が入るだろう。
もちろん妖怪会合への出席も重要であると思っている。しかしそこで出会いがあるとは思ってはいない。会合には女妖怪も大勢顔を出しているだろうが、大方が結婚しているか子供を抱えたご婦人だろうし、そうでなければ父母や年長者に連れられて出席しているような童女であろう。地元民の会合なんて、主催者が人間だろうと妖怪だろうと大体そんなものである。若者が求めるようなときめきは会合の場には無い。そもそも出席する若者の数が少ないのだから。
結局源吾郎はあれこれ悩んだ挙句、休みの日の外出に使う普段着で出席する事に決めた。スーツが最もフォーマルな衣装なのだろうが、チラシには特にドレスコードの指定は無かったし、スーツ姿もある意味浮いてしまうだろう。選出した普段着は簡素なデザインの、地味な代物であるが致し方ない。見眼麗しいイケメンは仮にダサい服を着たとしても本体が良いから様になる事はままある。その一方で、凡庸な容姿の者は身に着ける衣装に気を遣わねばならないのだ。ダサい服を着るのがまずいのは言うまでも無いが、気取って洒落た服を身に着けても、滑稽な姿になってしまうからだ。
妖怪の世界は実力主義である。強者が幅を利かせ弱者を従えている所を見ただけでは、全ての妖怪が強さを求め、頂点を目指しているのではないか、と考える者もいるだろう。
しかしながら、現実はそう単純ではない。強者には弱者を護る責務が絶大なる権限と共に与えられる事もあるかもしれないし、自由を求めているのに傀儡として祀り上げられ、精神的に拘束されているのかもしれない。そしてそれは弱者に対しても同様だ。唯々諾々と上に従う者たちが、ことごとく鬱屈と不満を抱え込んだ不憫な面々であると判断するのは早計というものである。弱い者、何かに服従する者は、その地位に甘んじ幸せを感じている可能性もあるのだ。むしろ妖怪でありながら強さを得る事に関心がなく、野望とは縁遠い日々の暮らしの中に幸せを見出す妖怪たちの方が多いくらいだ。
妖怪自警団などと言うと仰々しいが、要するにおのれの強さを高める事にこだわらない妖怪たちが結成したコミュニティという事である。野望ある妖怪のように強くなる事に興味のない妖怪たちは、しかし分別のない愚か者が見せる不条理に、ただ黙って泣き寝入りする事はまずない。彼らは自分たちだけでは限界がある事を知っている。故に血縁や種族の垣根を越えて、近隣の妖怪たちと交流を図り、ある種の連帯感を育むのである。各個体が弱くとも、集団で寄り集まれば単体の強者を圧倒する事が出来る。これは妖怪のみならず、生物たちの間でもままみられる現象であった。
俺は誰よりも強くなって世界征服したんねん! そう思っている源吾郎にとっても、この会合への出席は意味のあるものだ。地元の妖怪たちに挨拶周りをして、自分が無害である事をアピールしておいて損はない。玉藻御前の曾孫、野望を抱く若き妖狐の存在に恐れをなした群衆が、団結して寝込みを襲撃したとあれば、弱小妖怪との戦闘にも手こずった源吾郎はあっさり斃されてしまうであろう。それに源吾郎自身も妖怪として暮らす妖怪の生態に興味を持ち始めていた。高校に通っていた時には同学年に妖狐の少年がいるにはいたが、彼とはさほど親しくなかった上に、彼は妖怪というよりもむしろ人間と呼ぶにふさわしい行動様式の持ち主だったのだ。
※
夕方五時五十分。指定された公民館は既にスタンバイが整い、入り口は受付会場と化していた。会場には受付係となった若そうな妖怪が、さも暇そうな表情でテーブルの向こう側に座っている。相手のやる気のなさなど一ミクロンも気にかけない源吾郎がずいと近付くと、彼から氏名と年齢と大まかな住所、そして種族を書くようにとマニュアル通りの指示が源吾郎に下された。芳名帳には既に到着した妖怪たちが、住所のみならずメールアドレスや携帯の番号などと言った個人情報まで書き記している。源吾郎はペンを取ると、先達に倣って氏名や住所を記した。電話番号は公開せず、種族の部分は少し考えてから「妖狐」とだけ書いておいた。
受付を終え、受付係に参加費を渡して会場に入ると、既に十数名の妖怪たちと、それよりうんと数の少ない人間の術者が広場に集まっていた。座席の指定は無いらしく、彼らは気に入った者同士で集まって着席したり、どこに座ろうか考えながら周囲を見渡したり、何故か壁にもたれて部屋の様子を俯瞰したりと思い思いに振舞っている。そして源吾郎の予想通り彼らの大半は大人の妖怪ばかりだ。そう強い妖怪ではないが、少なくとも「小雀」の連中よりも強そうだ。それもそのはずで、萩尾丸が雇っている妖怪集団の「小雀」は、放っておけば野良妖怪になってしまうような、子供を卒業したばかりの若く未熟な妖怪で構成されているのだ。
「おぅおぅ、九尾の若君・島崎君じゃあないか」
どこへ進もうかと考えていた矢先、源吾郎の前に二つの人影が立ちはだかった。一方はポロシャツとチノパン姿の狸獣人、その隣に控えるのはふくよかな身体つきの、どことなく芯の強さを感じさせるご婦人だった。彼らこそがこの度の会合の主催者たる住吉夫妻であった。源吾郎は思わず拱手の形を取りかけたが、二人の顔を見てから軽く会釈をした。
狸と人間の姿が程よく融合した形態の住吉氏は、イヌ科の獣らしい尖った鼻面を源吾郎に突き付けたまま笑ってみせた。
「今朝、慌てて使いの者に案内を入れさせたのだが……君ならば必ず来てくれると思ったよ」
「末の叔父と叔母が、住吉さんと縁深いと聞き及んでいましたので。それに皆様も、玉藻御前の末裔たる僕が近所に越してきたと知って気が気でないでしょうし」
「ええ。確かにそれもその通りねぇ……あたしらの女子会でも、結構話題になってるわ」
「まぁ言うて、桐谷社長と桐谷所長からは、島崎君はさほど素行の悪い狐じゃあないって君が越してくる前に熱弁を振るっていたのは聞いていたんだがな。まぁ、可愛い甥に関する話だから、二人の言葉には多少の主観は入っていたかも知れんが」
源吾郎は住吉夫妻の言葉に愛想笑いで応じた。彼らの言う桐谷社長と桐谷所長は、それぞれ叔父の苅藻と叔母のいちかの事である。社長と所長は語感が似ているのでややこしいのだが、社長だった桐谷苅藻の許から独立したいちかが設立したのは事務所なのだから仕方がない。
ともあれ苅藻といちかの暗躍の一つがまたしても明るみになったわけだが、源吾郎はもう驚く気にもならなかった。住吉夫妻は源吾郎が「割とお行儀の良い狐」と苅藻らが評したのを身内の欲目だと思っているのかもしれないが、そうではないだろうというのが源吾郎の考えだ。苅藻もいちかも、源吾郎の事を甥として愛し、優しく接してくれるのは事実だ。しかし彼らが、甥である源吾郎を甘やかさないよう留意していた事もまた厳然たる事実だった。
「この会合では本来自由席だから、好きなところに座ってもらっても構わないんだが……悪いが今回はこちらから座る場所を指定させてもらうよ」
「どうしてでしょうか?」
「君と同じように初参加の子がいるんだ。術者の家系の末娘で、故あって家業を継ぐための修行を始める事になったらしくてな。人間であるとはいえ我々に関与する者だから親睦を深めたいとこちらは思っているのだが、我々の事を警戒しているようで中々打ち解けそうにないんだ。それでツレと一緒に飲食に耽っている訳だが……
島崎君も妖怪のような物だろうが、きっと彼女と同年代だろう? よくよく考えたら、おっさんやおばさんに話しかけられるよりも、若い者は若い者同士で話し合った方が盛り上がるんじゃあないかとね」
突然の申し出に源吾郎は驚いて目を丸くした。別に人間の術者が出席している事に驚いている訳ではない。術者は確かに報酬を得て、悪事を働く妖怪を懲らしめたり時に妖怪を誅殺謀殺する事もあるにはある。しかしながら、人間の術者の全てが妖怪にとっての害悪というわけではない。中には妖怪に理解を示し、友好的な関係を築こうと考える者たちも多数存在する。野良妖怪や地元を仕切る妖怪たちが、「善良な」術者とも交流を深めるのは何もおかしな話ではない。
源吾郎が驚いていたのは、唐突に同年代の娘の話し相手になるようにと命じられたことに対してだった。兄姉や叔父叔母と言った年長者と接する機会が多かった源吾郎は、年長者に馴染みやすく、特に意識せずとも年長者に好かれる術を心得ていた。しかしその一方で、源吾郎は同年代や年下の相手に接するのは大の苦手なのだ。ましてや相手が女性となるとなおさらだ。まぁ中学生高校生だったころは、演劇部に所属する女子達とさほど問題なくコミュニケーションを取れていたが、それもこれも日頃の学校生活で、彼女らの性格や考えを知っていたからに他ならない。
だが源吾郎があれこれ悩んでも、狸たる住吉夫妻はそのまま源吾郎を件の術者の娘のいるテーブルへと誘導したのだった。
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