暗がりはライトの灯りにかき消され ※暴力表現あり

――いやもう「ぱらいそ」楽しすぎやん、いやマジで

 薄切りにされたモッツァレラチーズの欠片を口に含みながら、源吾郎は得意げな笑みを浮かべていた。脳裏に思い浮かんだのは、地元で行われた妖怪会合だった。妖怪たちが大勢集まり会食会談していたのは同じだが、それ以外は共通点も何もない、まるきり違うものだったというのに。

 あの会合で集まっていたのは色気どころか油っ気も抜けたようなおじさん・おばさん妖怪や術者ばかりだった。しかしここでは若く瑞々しい妖怪たちがほとんどだ。

 あの会合ではスーパーで購入した食材や地元の妖怪が持ち寄った食品が紙皿で出されていたし、飲み物も紙コップに注ぐものだった。しかしここではチーズの盛り合わせでさえ優雅で芸術的だし、何よりグラスもお皿も高級そうだ。

 あの会合で顔を合わせたのはマイペースでマシンガントークをキメる術者の女性だった。しかしここでは愛らしく控えめな、妖狐の女の子が微笑んでくれている。


 ささやかな視線を感じ、源吾郎は妖怪会合とのくすんだ思い出をほじくり返すのを一旦止めた。見ればサヨコが物静かな上目遣いで源五郎を見つめている。手にしていたチーズをおのれの取り皿に戻し、源吾郎はあたふたとサヨコを見つめ返す。

 源吾郎自身は長らく人間として生活を行っていた。しかし妖怪の女の子にもむろん興味はあった。遊ぶ相手は人間だろうと妖怪だろうと気にしないが、一緒にいる相手は妖怪の娘のほうが良いかなと思い始めているところである。


「もしかして、退屈されましたか」

「いやいやとんでもない」

 

 困ったようなサヨコの言葉に対して、源吾郎は取り繕うように応じた。


「そんな、もう色々と嬉しすぎて、この間あったショボい会合とは大違いだなって思ってただけですよ。そんな、サヨコちゃんも僕の傍にいてくれるので、退屈なんて吹き飛びますよ」


 源吾郎は少し前のめりになり、サヨコを見つめながら続けた。


「僕は今とっても幸せですよ。こんな立派な楽園に招き入れて貰って、そしてサヨコちゃんに会えたんですから。きっと僕とあなたは、二世の縁で繋がっているのですよ」


 源吾郎は素面であるにも関わらず耳朶まで薄赤く染まっていた。夫婦も同然だと言わんばかりの源吾郎の謎発言に対し、サヨコはドン引きするどころか理解を示すかのように薄く淡く微笑むのみであった。

 そうこうしているうちに、ウェイターが源吾郎たちの許にやってきた。尻尾の色味や質感からして化け狸の若者のようだ。

 唐突なウェイターの到来にあたふたする源吾郎を尻目に、彼は丸盆の上に置かれていた皿たちをテーブルに乗せた。大人の拳ほどもある丸い物体だ。卵のように思えたが、それが卵であるかどうか断定できなかった。というのも、簡素な灰褐色の皿に収まってテーブルに乗せられたそれは、全面黄金色に輝き、なおかつまだら模様に見えるように碧色、紅色、翠色の宝玉らしきものを所々くっつけられてあったのだ。


「ええと……これは……?」


 サヨコのいる手前、小粋な態度で尋ねようとしたが驚きの念の方が強くて見事に失敗した。化け狸の営業スマイルが妙に眩しく感じたのは、照明よりもむしろ源吾郎の羞恥心のなせる業だろう。


「ワイバーンの無精卵を用いたクリームケーキでございます」


 爽やかな口調で化け狸は問いに応じる。おのれを嘲笑しているのではと思ったのは、やはり源吾郎の思い違いだったらしい。ウェイターによると、もともとはワイバーンの卵をシンプルに茹でたものを提供していたらしいが、客人やスタッフ側の意見を取り入れ、黄金の殻に包まれたクリームケーキという洒脱なものに進化したという事らしい。

 源吾郎は半ば口の開いた、誠に間の抜けた様子で彼の説明を聞いていた。ワイバーンなどという小型のドラゴンの卵などという珍味中の珍味がやって来るというのは完全に想定外の出来事だった。

 余談だが、妖怪や術者の間では、鳥妖怪が産んだ無精卵を入手して食する事はしばしばある。鳥妖怪の娘は、独り身であっても季節の変わり目やトキメキや動揺などの大きな精神の揺らぎを受けると卵を産んでしまう事がある。その手の無精卵は腐る前に棄てたり何かしたりして適当に始末するのだが、それに目を付けて他種族の妖怪や人間の術者が食用に買い取る事もしばしばあるのだ。新生雉鶏精一派の初期も、峰白が春になる度無精卵を産み、それらを新鮮なうちに野良妖怪や術者に売りつけて財を成したそうだ。

 そうこうしているうちに説明が終わった。源吾郎は立ち去ろうとするウェイターを呼び止めた。唇を二、三度もごつかせ、言葉を脳裏で組み立てながらやおら質問を投げかける。


「あ、あの、この殻って貰っても良いんでしょうか……?」


 珍獣を見つめるようなサヨコの眼差しが何となく痛い。しかし源吾郎は二世の縁だとのたまった娘の事をしばし忘れ、クリームケーキを包む黄金色の殻に注意のほぼ全てを払ってしまっていた。外殻は中身を小さな穴から取り出したワイバーンの卵殻なのだが、そこに金箔を張り付け本物の宝玉であしらったものであるのだという。宝石を好むドラゴンの卵料理をこのように飾りだてるのは中々皮肉が効いている気もするが、源吾郎はそんな事よりも金箔や宝玉が自分の手に渡るのかを気にしていた。


「どうぞもちろん頂いて構わないですよ」


 涼しい顔でウェイターは告げ、笑みを深めた。


「こちらは提供された時点でお客様の物ですからね。一応メニューにあるデザートなのですが、島崎様は初回ですのでこちらでサービスさせて頂きました。

 それにしても……この絢爛な外殻に興味を持たれるとは珍しいですね。大方の人は、気にせず廃棄なさるというのに。後でおしぼりを多めに届けておきましょうか」


 そこまで言うと、化け狸のウェイターは源吾郎たちに一礼し静かに去っていった。源吾郎はここでようやく隣席のサヨコの事を思い出し、大人っぽく見せるような笑みを作った。


「ワイバーンのクリームケーキは本当に美味しいんですよ」


 源吾郎が何か言いだそうとする前に、先手を打つかのようにサヨコは告げた。


「デザートなので甘い事は甘いのですが、優しくて上品な甘さだと定評があります。いわく、甘いものが苦手な方でも喜んで召し上がってくださるとか」

「ぼ、僕は割と甘い物は好きですよ」


 源吾郎がそう言っている間にも、サヨコは自分の許に来たクリームケーキを食しようと奮起していた。すなわち、一緒にやってきた柄の長いスプーンを操り、外殻の一部に穴を開けていたのだ。

 源吾郎は黙ってそれを見つめていた。それからやり方が一通り判ったかなと思えたところで自分もスプーンを取った。スプーンの先で殻をつつく。硬いかと思っていたが案外軟らかく、特段スプーンに力を入れずともへこみ、ヒビが入った。


「ケーキと言いつつも斬新ですねぇ。殻を割って食べるなんて……昔、ダチョウの卵を一家で食べた時の事を思い出しました」

「ダチョウの卵をお召しになった事があるんですね。その話、是非ともお聞かせ願えますか」


 一足先にクリームケーキの中身にありついていたサヨコだったが、手を止めて源吾郎に問いかける。源吾郎に対する敬意の念で瞳が揺れているのを見届けると、源吾郎は頷きつつ口を開いた。


「姉が駆け出しのオカルトライターだった時に、仕事の関係でダチョウ農園からダチョウを貰ったんです。厳密には、姉の上司が貰ったらしいんですけれど、誰も気味悪がって持って帰ろうとしなかったから、仲間内で一番若かった姉が貰ったという流れになったはずですかね」


 興味深そうに話を聞くサヨコを見ながら、源吾郎は記憶を静かに掘り起こしていた。およそ十年前の出来事である。その頃は次兄も末の兄も学生で実家に暮らしていたから、一家でダチョウの卵を食する事が出来た。


「ああでも、姉様が折角貰ったものをとやかく言うつもりはないですが、ダチョウの卵なんて言うのはそう魅力的な食材ではなかったですね。味も普通の目玉焼きよりも水っぽかったし、何より白身がいくら熱を通しても半透明のままで不気味でしたよ」

「そうだったんですね……!」


 さも感心したように頷くサヨコを前に、源吾郎は笑みを返す。その眼はサヨコの美しい面を捉えていたが、脳裏にはダチョウの卵を食した、昔日の記憶が浮かんでいた。あの時ダチョウ卵の目玉焼きを喜んで食したのは母と長姉、そして長兄だった。父や次兄や末の兄は他の家族の様子をうかがいながらおっかなびっくり箸を進めていた気がする。

 当時子供でゲテモノが苦手だった源吾郎も当初はダチョウ卵を食べる事を渋った。しかし長姉から「食べたら女の子に自慢できるよ」と言いくるめられ、意気揚々とチャレンジした。長姉のアドバイスはまぁ正しかった。もっとも、ダチョウ卵トークに喰いついたのはおおむね男子の方だったが。

 だが今、そんな昔の話をする源吾郎の事を、サヨコは結構熱心に話を聞き、そして関心を示してくれる。して思えば双葉姉様は先見の明があったのだ。源吾郎はスプーンの先で卵の殻をつつきながら長姉に対して密かに感謝した。



 デザートも食し終わりそろそろ満腹になりかけた頃、近くのステージが急に発光した。いや厳密には発光したのはステージではなくステージの周辺にぐるりと設けられたスポットライトである。ライトの純度の高い白色の光が、黒光りするステージの土台を鮮明に照らし出している。

 妖怪密度が急に上がっている事にも源吾郎はこの時気付いた。ステージの周囲は他の場所よりも意図的に暗かったという事もあるが、源吾郎自身が心理的に視野が狭い事も大いに関係している。齢十八の若者という事もあるのだが、源吾郎は一つの事に強い関心を示す半面、他の事に注意が回らない事がしばしばあった。


「ショウの時間だわ、島崎さん」


 ショウって何だろう。源吾郎がふんわりと疑問を抱いている間に、サヨコは動いていた。彼女は白い華奢な手で源吾郎の背を優しく押し、妖怪たちの集まるステージの周縁へと向かうよう促していた。

 環状に集まる妖怪たちの輪が切れている部分がある。そこはステージの柵が無い部分で、そこから二つの影が白色光に照らされたステージに向かっていくのが源吾郎には見えた。

 ステージ上に立つ二つの影、二体の妖怪を見た源吾郎は思わず目を見張った。ステージ上に立っている事、人型で男である事以外はほとんど共通点はなかったからだ。

 一方は身長百七十五センチ程度の、がっちりとした身体つきと灰褐色の肌が特徴的な亜人だった。唇からはみ出した上向きの牙と、どことなく猪や豚を想起させる面立ちからオークと呼ばれる存在であろうと源吾郎は思った。アジア出身の存在ではないだろうが、妖怪社会も結構前からグローバル化しているし、なおかつここは港町でもある。欧米から訪れたモンスターと呼ばれる生き物たちも、在来の妖怪に交じって港町やその周縁に暮らしていることは源吾郎ももちろん知っていた。

 オークの男は革張りのジャケットをまとい、右手に金平糖のような膨らみのある棍棒を手にしている。よくよく見ればジャケットや棍棒の持ち手付近は小さな宝玉をあしらっており、スポットライトの光を反射してきらめいていた。

 他方は源吾郎よりも少し背が高いだけの、ひょろりとした妖狐の若者だった。歳は珠彦と同じくらいであろう。その上丸腰だ。しかしその見た目とは裏腹に不敵な笑みを浮かべているのはオークの男と同じだ。いや、オークの男と異なり貫禄や厳つさの薄い面立ちであるから、かえって異様でもあった。


「さぁ皆さんお待ちかねのショウタイムでございます。連勝記録二十回を超えて尚記録を塗り替え続けるオークプリンスと、果敢なる挑戦者のどちらに軍配が上がるのか、是非とも皆様の目でご確認を」


 ステージの端にいる黒服の一人が朗々とした声で群衆に説明する。表にいた妖狐の青年とほぼ同じ衣装だが、襟元は黒い羽毛でぐるりと覆われている鴉天狗か夜雀よすずめの類であろうか。

 群衆が上げる歓声に源吾郎は少し顔をしかめた。彼自身もかれこれ演劇部に都合六年間在籍し、ステージの上で注目を受ける感覚を知ってはいる。しかし、お行儀の良い生徒や分別ある教師らの視線や歓声と、今ここで見られるそれとはまるで違う気がした。

 だがそれでも源吾郎がすぐに表情を繕ったのは、すぐ隣にサヨコがいたためだ。彼女は肩にかけたショールの位置をさりげなく調整していたが、ステージを疎んでいる気配はない。実際に空気を読むのが上手かどうかはさておき、源吾郎は女子相手にやり取りを行う場合、結構空気を読もうと奮起する手合いだった。

 さてステージに視線を向けてみると、オークの男は得物の棍棒を構え、妖狐の少年はたった一本しかない尻尾を水平に伸ばし、にやにやと笑みを浮かべている。妖狐が何かをポケットから取り出し、やおら口に含んだのを源吾郎は見た。


「うる、るるるるるるぅっ!」


 妖狐とは思えぬ奇怪な咆哮とともに、妖狐の少年の姿が文字通り爆発的に膨れ上がった。今や彼の姿はひ弱な若狐ではなく、オークの男よりも一回りも二回りも大きく屈強なマッチョ狐に成り果てていた。ついでに言えばこの筋肥大の作用なのか、変化が半ば解除され、黄色い毛皮に覆われた、ボディービルダーも真っ青な半人半獣の姿である。


――そういえば紅藤様の舎弟・緑樹様の重臣にナチュラルマッチョの狐がいたなぁ。俺もまぁある程度筋肉はあるっぽいけど、やっぱり強くなるには筋肉って必要なんか? でも、ただでさえ俺って狸っぽいとか平安貴族っぽいって言われてアレだったのになぁ……イケてる女子が読む雑誌を見る限り、ゴリマッチョよりも細マッチョの方がウケる感じだし。いやいや、俺、何を考えてるんだそもそも? もう既に妻候補のサヨコちゃんがいるっていうのに!


 源吾郎はしばし自分の世界に没入していたが、群衆の鋭い叫びにより我に返った。サヨコが先程よりも自分に近づいている。心臓のあたりをさり気なく撫でながら、ステージに視線を向けた。

 既に半獣人二名の戦闘は始まりを迎えていた。先手を打ったのはマッチョ狐だった。彼は狐ながらも猛り狂ったチンパンジーよろしく両腕を振り回し、間合いを図るオーク男に向かっていく。丸腰だから大丈夫だろうか、などという狐を慮る考えは今ではもう誰も抱いていないだろう。オーク男すら小さく見えるほどのマッチョと化した狐の姿を見れば、棍棒よりも太く頑丈な筋肉に覆われた両腕こそが特上の武器であると誰でも思うものだ。

 もっとも、妖狐はそもそも肉弾戦が苦手な種族ではあるのだが。しかしだからこそ、群衆は盛り上がり、歓声を上げ野次を飛ばしていた。

 オーク男は特段慌てた素振りを見せてはいない。黄色い暴風と化したマッチョ狐のラッシュを最低限の動きで躱すのみだ。狐が苛立ち動きにブレが見えた所で、オーク男が一転攻勢へと移った。彼の褐色の腕は見事に狐のみぞおちを捉え、殴られた反動でマッチョ狐は軽々と吹き飛んだ。筋肥大していてもやはり本体は狐であるから、実質的な体重は軽いのだろう。

 柵にぶつかったマッチョ狐は、硬そうなステージの上に総身を叩きつけられそのまま倒れ伏した。その姿はみるみるしぼみ、痩せた黄色い狐の本性に戻ってしまった。目は虚ろで舌をダラリと垂らしているが、胸や腹が波打つように動いているので生きてはいるらしい。

 歓喜と悲嘆の声が入り混じる中、オーク男は棍棒を握っていない方の手を挙げて、彼なりの営業スマイルを群衆たちに向けている。その間に閉じられていた柵の扉が開き、未だ意識がもうろうとしているらしい妖狐の少年を、店のスタッフが担架に乗せて運び出していった。

妖狐の右前足がジェスチャーをするかのように動いているのを見ながら、妖狐が死んでいない事に安堵している自分がいる事に源吾郎は気づいた。画面越しではない臨場感マックスの戦闘を目の当たりにして、確かに源吾郎は血気盛んな若者らしく興奮していた。しかし見ず知らずの相手とはいえ、同族である妖狐がまざまざと殺される場面を見て平静でいられるほどの胆力は未だ持ち合わせていない。


「流石は我らのオークプリンス! 少し力を付けただけの仔狐などを前にしてもびくともしませんでしたね! それにしても、あのひょろい仔狐がを即座にマッチョにした秘薬・金丹丸きんたんがんにはご興味ありませんか? 手軽に妖力を増幅させ、思っただけですぐに妖術を行使できるこのサプリメントは、一粒あたり三万円から発売しております。ですが、会員や優待券保持者にはお得なサービスと素敵な特典をご用意しておりますので、是非ともお近くのスタッフにお問い合わせください」


 黒鳥の妖怪はもしかすると化けカナリアなのかもしれない。そのような事を思うほど流暢な物言いで解説を行っていた。まるでケーブルテレビの番組の間に度々挿入される通販の宣伝のようだったが、観衆からのブーイングはほとんどない。それどころかあちこちから聞こえる声からは、金丹丸という単語が幾度も幾度も聞こえてきた。

 と、不意に絶叫のようなものが上がり、周囲が静まり返る。源吾郎は傍らのサヨコに視線を向けてから、声の方を見やった。既に人だかりができている。ハクビシン妖怪か化け狸の若者が尻尾を振り回して叫んでいる。興奮しているためか変化が解けかけ、顔が毛皮に覆われ鼻面も伸び始めている。据わった眼はやや血走り、鼻先や口元はてらてらと濡れて光っていた。文字通り噛みつかんばかりの勢いの彼を、黒服が数名がかりでなだめにかかっている。


「ほらほら落ち着いてください、暴れられたらこちらも困るんです」

「何を取り澄ました事を言っとんじゃボケェ! 俺ァおたくらの金丹丸の愛飲者でずぅっと買ってきてやったのに、乾いた雑巾をさらに絞るような事までさせて、挙句の果てにもうあなたには売る事が出来ませんだってぇ? どういうつもりじゃ!」


 お金がなければどうにもならないんですよ。関西弁丸出しで怒鳴り散らす妖怪の青年に黒服たちは何度かそう言ってなだめようとしたが、興奮している青年の怒りを再燃させるだけで如何ともしがたい。

 はてさて一体どうなるのだろうか。源吾郎が冷や冷やしていると、なんと黒服の一人が青年の後ろ首に手刀をかまし、物理的に黙らせてしまったのだ。不意打ちを喰らって昏倒する青年の身体を、えっちらおっちらと黒服たちは協力して運び出そうとしている。しかし彼らが向かっている先は店の出入り口ではなかった。


「ああして暴れる人がたまに出てくるの」


 ひそやかな、微かに怯えを伴った声でもってサヨコが呟く。しかし実を言えば、源吾郎が彼女の声に気付いたのは、その声ではなく彼女が源吾郎の腕に腕を絡めてきたからだ。


「怖かったんだね、サヨコちゃん」


 大丈夫よ。源吾郎の言葉に、サヨコはにっこりと微笑んだ。


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