初体験(戦闘)到来の予感

 初めて訓練場に連れられて二週間ばかり経つ。春が通り抜け初夏の気配が漂い始めたなか、今日も今日とて源吾郎と紅藤は訓練場に籠っていた。

 怪しげな地下室に朝から籠るなんて不健全だと指摘されるかもしれないが、訓練場での鍛錬は一日につき九十分――奇しくもこれは大学の講義の一コマと同じである――のみであり、鍛錬が終われば早々に上階に戻るので別段不健全な事は無い。そもそも上階に戻ったところで勤務時間の八割は研究室に籠っているのだからなおさら問題はない。


「行くか行くか行くか……おっしゃあ!」


 自身が放った追尾型狐火の動きを見ていた源吾郎は、はしゃいで声を上げた。筆箱程度のサイズに調整した狐火は、紅藤が用意した不気味な異形の姿をした的の中央を射抜き、乾いた音を立ててはぜていった。何度も同じような光景を目の当たりにしているというのに、源吾郎は良い気分になっていた。さっきのも会心の一撃だったが今のもそうだ……全くもって子供らしい、ある意味年相応の気持ちに浸っていたのだ。


「見事な技捌きね、島崎君」

「わひゅっ」


 突如として聞こえた紅藤の声にびっくりした源吾郎は、奇妙な声を上げてしまった。驚いて目を白黒させる源吾郎を見つめる紅藤の顔には、実に屈託のない笑みが広がっている。


「妖力を意図的に放出するトレーニングを始めてからまだ半月しか経っていないけれど、出力も制御も大したものよ。出力の多さはさておいて、制御の塩梅は中々のものだと思ってるわ。少し前から思ってたけれど、島崎君って器用よね」

「あはは、褒めていただきありがとうございます」


 紅藤の評価に対して、源吾郎は笑い声を混じらせつつも礼儀正しく応じた。源吾郎は自分が器用な男であるとは思っていない。真に器用な男であったならば、とうに自分の求めている物――仲間たちからの称賛と純真な乙女との交流だ――を手に入れているはずだ。

 源吾郎は器用だと評される事が往々にしてあったが、それは単純に手先が器用だという話に過ぎない。

 傍らの紅藤は取り出したタブレットの画面と源吾郎を交互に見つめながら、数値を交えて考察を続けていた。彼女の言葉をきちんと聞いていた源吾郎ではあったが、内容は残念ながら理解できなかった。研究センターに就職した源吾郎であるが、実は文系肌で数字絡みの事柄は算数を習っていたころから苦手だったのだ。雇い主にして師範である紅藤は、無論このような特徴も把握したうえで源吾郎を弟子に引き入れている。玉藻御前の血統を手に入れるという事柄の前には、文系肌だとか算数や理科が苦手だという問題はそう大きな問題ではないらしい。


「さて。そろそろランクアップしたトレーニングもできそうね」


 紅藤の言葉に、源吾郎は期待の眼差しを向けた。器用であるかどうかはさておき、才覚がある事をセンター長にして大妖怪の紅藤に評価され、その上「ランクアップ」の話まで持ち掛けてくれた。年相応にプライドが高く、なおかつ妖怪の能力を誇りに思う源吾郎ならば、喜び興奮しない方が不自然である。しかも変化術などと違って新たに行おうとしている分野なのだからなおさらだ。


「――前にも話した通り、妖力を放出し、放出する妖力を調節する事は基本的だけど大切な事なのよ。基礎の習得なくして、応用を行う事はできませんからね」


 若手の熱血教師よろしく紅藤は源吾郎に説明を行っている。しかし口許は緩み、喜びの念を隠し切れない様子だ。


「ともあれ島崎君は妖術の基本を掴みつつあるのね。師範として私も嬉しいわ。どのような術を使いたいかをきちんと把握していれば、それに沿った術を行使できるようになるってものなのよ。その頃には島崎君も妖術・科学技術の奥深さのとりこになっているはず……夢が広がるわね。峰白のお姉様からは怒られちゃうかもしれないけれど」


 紅藤がうっとりとした口調で告げるのを、源吾郎は微苦笑を浮かべつつ眺めていた。源吾郎自身は優秀な戦士や君臨する王者を目指しているが、妖術の大家で科学者でもある紅藤は、源吾郎をおのれの後継にしたいと思っているらしい。

 ちなみにいつの頃からか「妖怪は科学技術の発展により数を減らし住みづらい世になった」と人間たちの間で考えられるようになっているが、それは大嘘真っ赤な嘘である。人間たちが世間に混じり人間に擬態する妖怪を感じる頻度は数百年前から減少しているらしいが、それはあくまでも人間たちの本能が衰え、異形たちを見抜く能力が目減りしているからに過ぎない。

 そもそも妖怪たちの種族の多くは現生人類が出現する前から存在している訳であるし、数千年も生きる妖怪や妖怪仙人たちの中には、科学技術などは自分たちが操る術の下位互換でしかないと考える者たちすらいるのだ。

 したがって、六百年以上生きている紅藤が胸を張って科学者であるとおのれの職業を申告しても、妖怪社会の中では特段不自然な事でもないのだ。


「峰白のお姉様といえば」


 何かを思い出したように紅藤が口を開いた。


「そろそろ的とかを使ったおままごとの鍛錬じゃあなくて、本物の妖怪と闘わせる鍛錬をやればって提案が来ているの。有事に備えて、研究センターも戦闘要員を増やしておいた方が良いってね。今のところ、うちではメインの戦闘要員って萩尾丸くらいだから」

「……そう言えば、紅藤様は勝負事は苦手とおっしゃってましたねぇ」


 源吾郎はさも不思議そうな調子で呟き、紅藤を見つめていた。紅藤は強大な力を持つ大妖怪だ。妖気を放出させて研究センターの機材のみならず隣接する工場の機材なども円滑に動くように便宜を図っているらしい。彼女の行っている妖術がどのようなメカニズムなのか、妖怪業および研究職に片足のつま先を突っ込んだだけの源吾郎には皆目解らない。ただし、大妖怪に準じる中堅クラスの妖怪が同じ事を行えば半時間で妖力を全て失ってミイラになってしまうらしい。

……全くもってよく解らない話であるが、詰まる所紅藤は普通の妖怪たちでさえ想像できないほど強い妖怪であるという事だ。その彼女が戦闘要員ではないという点が、うら若い源吾郎には甚だ疑問であった。莫大な機械機材を日夜稼働させるだけの妖力のある彼女ならば、敵対勢力を撃退し打ち負かす事など訳ない話だろう。何となれば彼女一羽だけでも問題ないのかもしれない。


「先程、研究センターでメインの戦闘要員は萩尾丸先輩だけとおっしゃっていましたけれど、紅藤様は戦闘要員ではないのですか?」


 源吾郎の問いかけに紅藤ははっきりと頷いた。


「私は峰白のお姉様や萩尾丸と違って戦闘は得意じゃないの。確かに、日頃は妖力をコントロールして妖術を行使できてるわ。だけど戦闘になったら精神統一して術を振るう事って難しいでしょ? 相手が私じゃなくて私の大切な誰かを狙って傷付けたとあれば、平常心なんてすぐに吹き飛んでしまうわ。そんな状態で力を振るえば、周辺区域ごと敵を粉みじんにしてしまうかもしれないの。

……そういう訳だから、私は戦闘要員じゃないの。嘘じゃないわよ? 実際に峰白のお姉様からも、よほどの事がない限り闘うなって厳命されているし。隕石が近付いているとか、ハルマゲドンが到来しているとか、天界の神仙の皆様が襲撃に来たなんていう緊急事態ならば話は別ですが」

「……確かに」


 源吾郎は控えめに頷くのがやっとだった。紅藤が戦闘向きではない理由ははっきりとした。強すぎて無関係の妖怪や動植物等々もとばっちりを喰らう危険があるという所がある意味彼女らしい。この回答が源吾郎の予想に沿っているのか反しているのかさえ源吾郎には解らなかった。緊急事態の例が隕石衝突とかハルマゲドンなどと言う尋常ならざるものだったので、そちらにインパクトを奪われてしまったのだ。

 ともあれ、妖怪であれ人間であれ得手不得手があるという事なのだろう。天は人に二物を与えずということわざを源吾郎は信じていない。天より賜った才能をいくつも保有する恵まれし者はこの世にいる。しかしそういう者たちはその才能を補って余りある程の弱点や悩みや、一筋縄でいかない何かを背負っているのだと、若いながらも源吾郎は思っている。


「あ、それで戦闘訓練の事だったわね……」


 自分の世界に没入しかかっていた紅藤が思い出したように呟く。色白の、愛らしくさえ見えるその顔は何故か愁いに曇っていた。


「峰白のお姉様がおっしゃってる、本物の妖怪を使った戦闘訓練だけど、島崎君はどうかしら? 確かに島崎君は同年代の子たちよりも妖力も多いし術の習得もまぁ悪くはないわ。けれど、実際に妖怪と闘った事は無いでしょ?」


 紅藤の言葉は問いかけではなく事実の確認だった。源吾郎はその事はさほど気にせず頷いた。彼女の指摘は紛れもなく事実だったからだ。

 源吾郎としては情けない話であるのだが、彼は未だに妖怪と闘った経験を持っていない。源吾郎の生まれ育った城下町には、もちろん身内以外の妖怪が大勢暮らしていた。野良妖怪として気ままに暮らしていた者もいたし、人間の教師や生徒として学校生活を営む者もいた。しかしながら、あまりお行儀のよろしくない野良妖怪たちに絡まれたり、因縁をつけられて勝負を挑まれたりした事は無かった。実のところ、源吾郎は野良妖怪たちに絡まれ、絡んできたチンピラ妖怪たちを圧倒しひれ伏させる事が出来たらと何十回も何百回も夢想した事はある。余りにもお行儀のよい妖怪もお行儀の悪い妖怪も絡んでこないので、実は俺がめっちゃ強いから、みんな俺を怖がってやって来ないだけなんだと思って、退屈な心を慰めた事もあった。

 強さや名声を求める野良妖怪たちが、玉藻御前の曾孫たる源吾郎をスルーしてくれた真の理由を源吾郎が知ったのはつい最近の事である。何という事は無い。玉藻御前の孫であり妖怪絡みのトラブル解決を生業とする叔父と叔母の暗躍によるものに過ぎなかったのだ。

 源吾郎は物心ついた頃から、自分が兄姉らと異なり、妖怪としての力に恵まれている事を知っていた。しかしそんな事は母方の親族らは源吾郎が物心のつかぬ赤ん坊の頃から知っていたのだ。加えて最年少の親族は年齢を重ねるたびに気性が激しくなり、なおかつ野望を幼い心に秘めつつあるのだ。放っておけばトラブルが十も二十も発生するのは目に見えていた……らしい。

 苅藻といちかが陰で動いたのは、源吾郎の母の差し金なのか彼らの意志によるものなのかは定かではない。しかし彼らは源吾郎が保育園に通っていたころから高校を卒業するまでの十数年間、彼から血の気の多い妖怪を遠ざける事に成功した。彼らは源吾郎に害しそうな妖怪たちの許を訪れ、末の甥を襲ったり絡まないようにと交渉して回ったのだそうだ。しかもその交渉方法は暴力に頼ったものではなく、話し合いだったり金品の譲渡だったり労働力の提供だったりと、聞いているうちにしょっぱさがこみ上げてくる代物である。

 これらの話を苅藻やいちかから直接聞かされた時の源吾郎の驚きは筆舌に尽くしがたいものである。しかも彼は、叔父たちに話を聞かされるまでその事実を知らなかったのだ。つくづく大人とは厄介な生物だと、自分の年齢を棚上げして源吾郎は思ったものだった。大人は子供に自由を与えるように見せかけてちゃっかりと彼らの手綱を握っている。しかも子供は愚かな事にその事に気付かないものだ、と。


「島崎君……」


 紅藤の声が優しく鼓膜を震わせた。ハルマゲドンでさえ跳ね返せるであろう彼女は、何故か不安げな様子で源吾郎を見つめている。少し青ざめているようにも見えた。


「嫌なら嫌って言っても構わないのよ? 峰白のお姉様には、まだ術が不安定だとか心の準備が出来て無さそうだとか私の方から説明するし。経験も無いのに妖怪と闘うなんて怖いでしょ? それに……」

「僕は嫌じゃあないですよ。紅藤様」


 源吾郎はその顔に浮かんでいた渋面を払拭しきっぱりと言い放った。妖怪と闘う。峰白の発案に対して源吾郎は期待と歓喜に顔を火照らせていたのだ。


「戦闘訓練ですけど、僕は乗り気だって峰白様にご連絡すればいいです。実のところ、僕はワクワクしながら聞いていましたよ。だって、本物の妖怪と闘って、僕の実力を見てくださるんですよね。今迄は初心者だったので紅藤様や青松丸先輩の作った的をつぶすのばっかりでしたけど……良いじゃないですか。妖怪と闘うって。実は僕、もうかれこれ十五年位前からやってみたいって思ってたんですよ。叔父上や叔母上のせこい計略のせいで叶わなかったんですがね」

「そう……」


 嬉しさのあまりマシンガントークをキメた源吾郎を前に、紅藤は細い声で応じていた。紅藤としては戦闘訓練を拒否して欲しかったようだが、当の源吾郎はそんな事など気にしていない。おのれの要望通りに他者が動かなかったときに機嫌を損ねてしまうのは、脊椎動物ならば致し方ない話だ。そこでブチ切れたり平静を装ったり泣き落としにかかったりと行動は多岐にわたるだろうがそれは個体差と状況によるという他ない。

 そして源吾郎は唐突に紅藤が怒り狂うであろう未来など予測していない。マイペース極まりない彼女が感情をあらわにする事は殆ど無かったし、そもそも今の彼の脳内は戦闘訓練で華々しい活躍を行う事で九十八パーセントを占められていたのだから。


「戦闘訓練をお望みなら、やるように段取りをはかるわ」


 紅藤は怒り狂う事も無く泣き落としにかかる事も無かった。彼女は単に、源吾郎の要望を聞き入れ段取りを立てると言ってくれたのだ。先程のようなか細い声ではなかったが、特段感情の込められた声ではない。


「そうよね。考えれば島崎君も親元を離れて私の許に弟子入りしたのだから、もうぬくぬくとした巣穴で丸まっている仔狐じゃあないものね。巣立ったのだとご両親ご兄弟ご親族は思っておいでなのだから、外界の事も知らないといけないわよね」

「僕の家は一軒家だったので、巣穴で丸まった事は無いですよ……小さいときは押し入れの中で寝るのが好きでしたが」


 源吾郎の大真面目な突っ込みに紅藤はかすかにほほ笑んだ。それでも世辞で笑っているという気配がありありと浮かんではいたが。


「ともかく萩尾丸に相談してみるわね。あの子は百近くの妖材を抱えているから、今回島崎君が闘うのに丁度良い子を見繕ってくれるはずなの。なんだかんだ言って萩尾丸も眼力は確かだから……それじゃ、今日はこの辺で切り上げて仕事に戻りましょ」


 紅藤の提案に源吾郎は弾んだ声で応じた。ともあれ今度の戦闘訓練で、おのれの強さを見せつけられるであろう事で彼の頭はいっぱいだったのだ。

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