黒き羊の辿る道 ※猟奇的表現あり

「プロローグに過ぎない、ですって」


 妙に芝居がかった調子で放った紅藤の言葉を、源吾郎は食い気味に繰り返した。汗ばむ手のひらは開かれ、紅藤の話を聞こうとするあまり前のめりになっていた。

 紅藤は源吾郎がどのような反応を示そうとも、源吾郎の母方の系譜にまつわる話を語りきるつもりであろう。もったいぶった紅藤の物言いは源吾郎の好奇心をくすぐったが、これ以上聞くのが怖いと感じているのもまた事実だった。近親婚に夥しい犠牲を伴う禁術、そして白銀御前の存在から端を発した邪悪な計画……これらの事柄の詳細を聞かされたわけではないが、内容が内容だけに「お腹がいっぱい」になりそうだ。


「白銀御前様と桐谷のお坊ちゃまの真の苦難は、むしろ一緒になった後に訪れたようなものですわ。二人はすぐに子宝に恵まれましたが、そもそもただ子供を育てるだけでもなかなか大変な事なのよ。桐谷のお坊ちゃまは成人していたとはいえ経験の浅い若者でしたし、白銀御前様も立派な大妖怪でしたが、子供を産み育てるという経験は初めてでしたし。普通狐は、妖狐にしろ普通の狐にしろ、出産経験のない女狐は母親や姉に仔育てを手伝ってもらうそうですが、あのお方にはそのような選択すらできなかったのです」


 固唾を飲んで話を聞く源吾郎を見据えながら、紅藤は言葉を続ける。


「それに、彼らの事は桐谷家当主とその息子らが虎視眈々と狙っていたのです。桐谷のお坊ちゃまは当主の末息子だったのですが、その時にはもはや計画をぶち壊しにした忌まわしき裏切り者と見做されていたのです。それと共に、白銀御前様の事も恐れていたのでしょう。当主の息子らの中で最も術に長け、優秀だった末息子を籠絡し骨抜きにした悪女であるとね」


 紅藤様。話の途中である事は承知していたが、源吾郎は思わず口を挟んだ。


「僕の祖母は本当に祖父を誘惑し、籠絡してしまったのでしょうか。玉藻御前様の娘という事で母親と同じく悪女・毒婦だと思われていたのかもしれませんが、僕にはそうは思えないのです」


 問いかけを口にする源吾郎の脳裏には、昨秋の親族会議の光景が浮かんでいた。彼の祖母、白銀御前は確かに並外れた、異形らしい美貌の持ち主であった。しかしそのたたずまいや雰囲気は、混沌と破滅をもたらす亡国の妖婦というものとは違っていた。むしろ混沌の地に秩序の道を敷く女帝、苛烈さと慈愛を併せ持つ女傑のような雰囲気の持ち主だった。

 そうね。紅藤は源吾郎の意見に同意するかのように頷いた。


「色事は当事者同士にしか解らない事が多いけれど、私も白銀御前様が桐谷のお坊ちゃまを籠絡したとは思えないわ。あのお方は、うっとうしい相手は籠絡して丸め込むよりも煙に巻いて追跡を諦めさせるか、それが無理ならさっさと殺してしまうという手段を選ぶタイプですからね……少なくとも桐谷のお坊ちゃまが白銀御前様に熱烈に惚れていたのでしょう。そして白銀御前様もその熱烈さにほだされて、夫として迎え入れたのではないかと私は思っているわ。孤独に気高く暮らしていた者が、他者の好意にコロリとやられるという話は、案外多いものですし」


 源吾郎が安堵したように息を吐くのを見届けると、紅藤は真顔に戻って言葉を続けた。


「ともあれ、桐谷家は飯縄計画を諦めてはいませんでした。白銀御前様を桐谷家の支配下に置く事は難しそうだと考えたわけですが、その代わり白銀御前様の手許には、桐谷のお坊ちゃまとの間に生まれた仔がいたわけです。その仔たちを彼らは狙っていました。生け捕りに出来ればいいと考えていたようですが、或いは死体を手に入れるのでも構わないと考えていたみたいなのね。

……桐谷一族と白銀御前様一家との争いは、ゆうに二、三十年ばかり続きました。実に長い闘いだったはずですわ。白銀御前様にとっても、桐谷のお坊ちゃまにとってもね。その頃には三花さんも一人前の娘に育っていて、残った三花さんの弟たちも両親や姉の庇護のもと育っていったのよ。あの頃は親兄弟の結束も堅かったみたいよ。半妖という出自と、身近に脅威が迫っている事を考えると無理からぬ話ですけれど」


 身内からは聞かされなかった身内争いの話を源吾郎は聞き入っていた。それから源吾郎は、紅藤の放った言葉に違和感を抱き、それをすぐに口に出していた。


「紅藤様。残った弟とはどういう事でしょう?」


 母が五人兄弟の長女である事は源吾郎もずっと前から知っている。叔父が三人(苅藻だけは上の叔父二人よりも幾分年下らしいが)と叔母が一人である。途中から年齢差が大きいが、それでひとまとまりの兄弟なのだと源吾郎は思っていた。

 紅藤は紫色の瞳を向けながら、臆せず問いに応じた。


「生き残った、という意味よ。あなたの叔父である小国丸さんと留彦さんは、本来それぞれ次男と五男なの」

「そうだったん、ですね」


 源吾郎はかすれ声で応じた。紅藤は伏し目がちに頷いた。


「私たちが萩尾丸と出会う前後の事なのですが、桐谷家は一時、一体の恐るべき使い魔を保有していた時期があったのです。私たちは白銀御前様とも桐谷家ともそれほど接触していませんでしたが、くだんの使い魔の噂は、他の妖怪たちから聞き及んでおりました。

 多くの生物を犠牲にして作り出す、蠱毒の術を応用したものだったそうですが、大本の素体として、玉藻御前の子孫を使ったのだと喧伝していましたね。実際に目撃した妖怪によると、狐と人と、その他諸々の小動物や蟲が融合したような、直視しがたい姿だったそうよ」


 別段口内炎などないのに、口の中に血の味が広がっていくのを源吾郎は感じた。紅藤の瞳はあくまでも昏かった。


「……桐谷家が没落していったのはそれから数年後の事よ。あの一族は幾分恨みを買いすぎ敵を作りすぎたのよ。最高の出来だと謳っていたくだんの使い魔も、まともに従わずに一族の人間を喰い殺していたそうですし。

 ちなみに、玉藻御前の子孫を基にしたという使い魔は、一族が没落の憂き目に遭う前に始末されていたわ。桐谷家は白銀御前様たちに使い魔をけしかけたらしいけれど、返り討ちに遭ってしまったの。使い魔を斃したのが白銀御前様なのか桐谷のお坊ちゃまなのか、或いは彼らの子供たちなのか。そこまではさすがに私も知らないわ」

「それって……それって……」


 喉元までスタンバイしている単語は、硬く粘っこくつっかえて出てこなかった。源吾郎はしばし紅藤の昏い瞳を見つめていたが、視線を外しさまよわせ、思案に暮れた。

 源吾郎はもう一度親族会議の時の事を思い出していたのだ。ただし今回は祖母ではなく叔父たちの事を思い出していた。厳密に言えば、小国丸や留彦といった年かさの叔父たちの事を。源吾郎が妖怪として生きる道を選び、ゆくゆくはおのれの野望を叶えるつもりだと言った時に、最も反発したのはこの二人の叔父だった。

 その時の源吾郎は、自分の主張が認められるかどうかで頭がいっぱいだったから、あからさまに敵意を示す叔父たちの事を鼻持ちならないと思っていただけだった。一族で等しく安穏とした生活を送る事を至上命令とし、そうでないものを力づくで矯正しようとする叔父たちが不気味で気に入らなかった。気に入らなかったのは、自分の進む道を頭ごなしに否定されたからに過ぎなかったからだったが。

 しかし今は違う。今しがた紅藤から話を聞かされた源吾郎は、あの日の親族会議の光景を、今迄とは違った視点で俯瞰する事が出来た。あの日源吾郎が妖怪として生き、そして最強を目指すと言い放つのを、上の叔父たちが阻止しようとした真の理由をこの時悟ったのだ。

 彼らは単に、末の甥が道を踏み外す事に怯えていたのだろう。いずれはあの時と同じく、自分たちが化け物になった甥を殺さねばならないのか、と。


「それにしても、こんなえげつない話は初耳ですよ。妖怪の事を僕に教えてくれた叔父上、苅藻の叔父上でさえ、親族にまつわる秘密までは言及しませんでした」

「さっき話した内容は、苅藻君が教えられる内容ではないから仕方ないわ」


 源吾郎が慕っている叔父の名を出すと、さらりとした口調で紅藤が応じた。


「苅藻君が今私が話した内容をどれだけ知っているか私には解らないわ。何も知らないのかもしれないし、ほとんど全てを知っているのかもしれない。

 だけどいずれにしても、苅藻君は上の兄たちとは違うのよ。あの子は桐谷家と白銀御前様との血みどろの争いが終わったうんと後に生まれたのだから。たとえ両親と姉兄の労苦と恐怖を教えてもらっていたとしても、実際にあの子は危険と隣り合わせで育ったわけではないわ……上の兄たちと温度差があるのもそのためよ」

 

 源吾郎は小首をかしげ、わずかに首を揺らした。末の叔父である苅藻が、上の叔父二人とは何となく違う事は源吾郎もずっと前から解っていた。叔父二人と苅藻との間に大きな年齢差があるからかと思っていたのだが、それだけでもなかったという事だろう。


「島崎君。私が白銀御前様と盟約を交わしていた事は知っているわよね」

「もちろん、知ってますよ」


 唐突な質問であったが、思う所のあった源吾郎は食い気味に応じた。


「紅藤様。祖父母が苦労なすっているのをここまで詳しくご存じであるのならば、それこそ、祖父母たちにお力添えする事も出来たのではありませんか?」


 やや上目遣い気味に源吾郎は紅藤を観察していた。紅藤は困ったような表情で、ゆっくりと首を振るのみだった。


「言い訳がましくなるかもしれませんが、私もそれが出来ればどんなに良いかと思っていたの。だけどあの頃は私も自分の事で一杯一杯でそれどころじゃなかったの。それに白銀御前様は私に対して多くを求めてはこなかったわ。あのお方は夫と仔を護る為に助力してほしいと私たちをすがる事は無かったの。私たちの事を警戒していたからなのかもしれないし、大妖狐の娘であるという矜持の為だったのかもしれない」


 だけどね。紅藤はそっと言い添えた。


「第一子である三花さんには私との盟約の事は教えていたみたいなの。当時は桐谷のお坊ちゃまも若くて術者として未熟だったし、白銀御前様も色々不安が募っていた時期だったんでしょうね。もちろん私たちの許に直接やって来て直談判した訳じゃないわ。だけど雉鶏精一派の拠点の近辺を、白銀御前様が幼かった三花さんの手を引いて何事か話していたところは、峰白のお姉様や青松丸が見ていたの。きっとその時に、白銀御前様は娘に伝えていたんじゃないかしら。それこそ、お母さんやお父さんがいなくなった時には、あすこの雉仙女の許を頼りなさいとかってね」


 やはり母様は知っていたんだ。源吾郎は紅藤をひたと見つめながら思った。源吾郎が紅藤の許で修業を始めると言った時、兄姉は言うに及ばず年長者であるはずの叔父たちでさえ強い驚きを示していた。にもかかわらず、母だけは特段驚いた素振りを見せずに、祖母と源吾郎のやり取りを落ち着いた様子で聞いていたのだ。


「私は三花さんを弟子にしようとは思っていなかったわ。彼女は弟子入りを望むほどに私たちに興味は示さなかったし、何より彼女をあの方たちから取り上げたら気の毒だと思っていたし。

――むしろ私は、末息子の苅藻君を狙っていたのよ」

「叔父上を、ですか」


 源吾郎は声を上げていた。紅藤は紫色の瞳で源吾郎を凝視し、それからふっと笑った。


「そりゃあ私だって、早く玉藻御前の子孫を手に入れたいと思っていたもの。素養のありそうな仔がいれば、アプローチの一つや二つかけるわよ。幼かったころの苅藻君と、島崎君は結構似通ったところがあるのよ? あの子も元々は、兄たちとさほど意見が合わず、孤立気味だったし」


 唸るような音を喉の奥から出しつつも、源吾郎は納得したような気分で紅藤の説明を聞いていた。叔父たちの中で苅藻だけが特に源吾郎に優しく親しかったが、それはあるいは末の甥の中に、若かった頃のおのれの姿を投影していたからなのかもしれない。物憂げな孤独の色がよく馴染む、苅藻叔父上らしいとも思っていた。


「……こっちがどうやって仲間に引き入れようか考えているうちに、苅藻君には妹が出来たの。それで私は苅藻君を弟子にするのは諦めたのよ。三花さんも小国丸さんたちも、年の離れた末妹の事をそれぞれ気にかけていたわ。だけどいちかちゃんの面倒を一番見ていたのは、すぐ上の兄の苅藻君なのよ」


 苅藻といちかの関係性を提示された源吾郎は得心の言った気分でいた。末の叔父と叔母がなんだかんだ言って仲がいいのを源吾郎もよくよく知っているためだ。


「いちかちゃんが産まれたすぐ後に、桐谷のお坊ちゃまはおかくれになってしまいましたからね。物心つかないうちに父親がいなくなった事を不憫に思っていたみたいよ。苅藻君以外の兄弟もそうだけど、自分たちがあの娘の父親代わりにならなくてはという意気込みもあったのかも」


 これにも源吾郎は頷いていた。叔母であるいちかとは苅藻と同じくらい会って話をする間柄だ。源吾郎はだから、彼女の中で「父親」と「兄」の概念がごっちゃになっていると気がある事も知っている。

 ついでに言えば源吾郎も兄と父親がごっちゃになる事はある。長兄や長姉は時に源吾郎の保護者のような言動を行う事もあるし、島崎家の家族構成を知らないものからは、源吾郎が長兄か長姉の若くしてできた息子と誤解されたこともしばしばあったためだ。


「それもこれも、みんな父親の事を……桐谷のお坊ちゃまを慕っていた事の証明になるでしょうね。骨肉相食む争いの中で、犠牲が出ようともあの人は屈する事なく妻子を護り抜いたんですから。そしてその術を娘や息子たちに教えようとしたのよ――現に末息子の苅藻君は術者になっているでしょ? 桐谷のお坊ちゃまも老い先短くなっていたという事もあって、幼かった苅藻君に特に術を教えていたからなのよ。まぁ、最後の仔であるいちかちゃんが産まれたのがうんと後の事だから、桐谷のお坊ちゃまも結構長生きで、しかも元気な方だったんですけれど」

「……今回の話で、何か色々と解る事がありました」


 源吾郎は紅藤をじっと見つめて呟いた。話の途中から祖父のすごさから脱線していたような気もしたが、それでも若い源吾郎にとっては興味深い話であった。母方の親族たちとは比較的交流があったが、それでも謎に思う所は多々あったのだ。紅藤が謎のすべてを明らかにしたとは思っていないが、一族が秘密を抱えている事、そして大人は子供たちに対して知られたくない秘密を巧妙に隠し通してしまう事を源吾郎は知った。


「完全無欠とは言いがたいかもしれないけれど、それでも桐谷のお坊ちゃまは立派なお方だったわ。何のかんの言いながら、妻と子供たちへの愛を貫いたのですから。そんな桐谷のお坊ちゃまの形質をよく受け継いだ島崎君ならば――」


 未来への期待と過去への郷愁に満ち満ちた紅藤の言葉を聞きながら、源吾郎は静かにほほ笑んでいた。源吾郎は大成すると紅藤は言いたいのだろう。

 源吾郎は今や祖父の事を単なる人間とは思っておらず、彼に重ね合わせられることへの抵抗も薄れている。だがそれでも、祖父と自分は違うのだと思っていた。祖父は愛する対象のために多くの逆境を乗り越えてきた。しかし源吾郎にはモテたいという願望はあれど、誰かを真に愛しているという自信は未だ無かった。

 源吾郎は人間としても妖狐としてもまだ幼いが、それでも異性に好かれる事の願望と、愛情の違いくらいは判っていた。

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