血塗られた系譜 ※猟奇的表現あり

 源吾郎が初めて行った妖術鍛錬は、小一時間ほどで打ち切られた。源吾郎としてはもう少し鍛錬を続けたいところではあった。初めての鍛錬といえど、源吾郎自身が身に着けた事は殆どなかった。前もって覚えている変化術と妖力の放出する術の違いを把握し、放出した妖力を制止した的にぶつける事くらいしか習得できなかった。動く的を追跡できる術は、次回へのお預けになってしまったのだ。


「何事もね、あんまり焦ってはいけないのよ。私たちは長く生きるのだから」


 研究事務所の奥にある、応接スペースめいた一角に腰を下ろし、紅藤は呟いた。源吾郎はその対面に座っている。両者の手前には、サカイ先輩が気を利かせて用意した飲み物とお茶請けが用意されている。


「鍛錬を打ち切られてもどかしい気持ちは解るわ。だけど島崎君が満足するまで続けさせていたら、妖力が底をついて倒れてしまうかもしれないし……妖術を学び始めてすぐの子たちは、どうしても必要以上に妖力を消費してしまう傾向にあるのよ。ええ、私も他妖ひとの事は言えないけどね」


 神妙な面持ちで源吾郎は紅藤を見ていた。紅藤はフォローするように目を見張りつつ言葉を続ける。


「とはいえ島崎君。鍛錬の様子を見る限りでは、中々筋は良さそうだと思ったわ」

「本当ですか!」

 

 先程までの表情はどこへやら、源吾郎は面を輝かせさも嬉しそうに声を上げた。紅藤の言葉が世辞ではなく本心であると気付いたためである。喜ぶ末弟子を前に、紅藤も笑みを深めた。


「妖力の多さは言うに及ばず、失敗したり上手くいかなくてもへこたれずに向かっていくところとか、創意工夫を重ねようとしている所が良かったわ……やっぱり、桐谷のお坊ちゃまによく似ているわね」


 良い所を語って聞かせる紅藤を前に、源吾郎の顔から笑みが消えた。源吾郎の美点について語るとき、紅藤はしばしば「桐谷のお坊ちゃま」を引き合いに出していた。母方の祖父の事を言っているのであろう事は源吾郎にも解るのだが、祖父を引き合いに出されて褒められても源吾郎は嬉しくなかった。むしろ癪に障るくらいである。

 あらどうしたの島崎君。源吾郎の剣呑な視線を感じた紅藤が、のんきな口調で尋ねる。


「紅藤様。僕の事を高く評価して褒めてくださるのは実に嬉しゅうございます。ですが、祖父を引き合いに出して褒めるのだけは控えていただけませんか」

「島崎君は、桐谷のお坊ちゃまが、お祖父さまの事がお嫌いなのかしら?」


 困惑したような表情の紅藤に対して、源吾郎は言葉を詰まらせた。祖父を引き合いに出される事を嫌がっている源吾郎であったが、祖父が嫌いかと面と向かって聞かれると返答に困ってしまう。そもそも祖母との接触すら数えるほどだった源吾郎は祖父とは面識がない。何せ人間だった祖父は二百年以上前にこの世を去っており、母も叔父たちも彼について特に言及しなかったのだから。末の叔母であるいちかに至っては、祖父が他界した時にはまだ物心がつく前の乳児だったという。


「別に、僕は祖父が嫌いでも何でもありませんよ。何百年も前に亡くなった人間だという事くらいしか僕は知りませんし……

 紅藤様。紅藤様はご自分が自分の弟子にしたかご存知ですよね? わが祖母の盟約を受けて、を紅藤様はもらい受けたんですよね。しかも、祖母が紅藤様と盟約を交わした際は祖母は独り身で祖父の存在を知るうんと前だったと聞きます。紅藤様が桐谷のじいさまの子孫を弟子に求めたのだとすれば、いくらでも僕の事を桐谷のじいさまに似ていると言っても構わないでしょう。しかし、玉藻御前の子孫を求めたのに、玉藻御前の血統をないがしろにして、その途中で混じり込んだ人間の事ばかりもてはやすのはいかがな事かと思いますが」


 源吾郎は常々思っていた事を、それでも声の調子を抑えつつ紅藤にぶつけた。玉藻御前の末裔として活躍したいと思っている源吾郎にしてみれば、人間の祖父の事ばかり引き合いに出されるのは不愉快なのだ。ましてや、源吾郎はおのれに流れる人間の血を半ば疎んでさえいるのだから。

 紅藤はこの長々とした主張を聞き入れていたが、源吾郎が言い終えたところでほほ笑んだ。


「うふふふふふ。中々面白い子ねぇ島崎君は。あなたは桐谷のお坊ちゃまに重ね合わせてほしくないと私に必死で主張してくれたけれど、今までのあなたの言動の中で、桐谷のお坊ちゃまらしかったわよ」

 

 紅藤の言葉に源吾郎は横っ面を張り飛ばされたような衝撃を受けていた。もしも上司の前でなかったら、「なんてこったい」とか言いながら頭を抱えていたところである。


「島崎君は玉藻御前さまに似ていると言って欲しいのでしょうけれど、生憎私は玉藻御前さまの事は知らないのよ。私が生まれる二、三百年も前に、あのお方は封印されてしまったわけですし。それにね島崎君。私は桐谷のお坊ちゃまの事を高く評価しているのよ」

「評価するも何も、祖父だって所詮はただの人間だったんじゃあないですか……父と同じように」

「三花さんの婿君はさておき、桐谷のお坊ちゃまはただの人間ではなかったわ」


 源吾郎は反駁するのをやめ、目をしばたたかせながら紅藤を見つめた。ずっと笑っていただけの紅藤の顔に、険しさが宿ったのを感じ取ったためである。


「島崎君。あなたは半妖や妖怪のクォーターに馴染みがありすぎるから見落としていると思うけれど、そもそも人間が妖怪と結婚し、のみならず生まれ落ちた半妖の仔を養育する事は、なまなかな事ではないのよ。普通の人間ならば、妖怪と結婚する事も、しようと思うことすら難しいのに」

「……そうかも、知れませんね」


 か細い声で源吾郎は応じた。妖怪は人間社会にも妖怪社会にも数多く存在するが、半妖やその子孫の個体数が極めて少ない事は源吾郎も知っている。身内以外で源吾郎が知っている半妖といえば狗賓天狗を母に持つ薄幸そうな青年くらいだ。(この天狗の若者は源吾郎の叔母の弟分という立場に収まっているが、それはまた別の話である)

 それはとりもなおさず妖怪と人間の異種族婚が極めて少ないという事実に対する動かぬ証拠であろう。ついでに言えば半妖のほとんどは妖怪の母と人間の父という組み合わせである。人間の女性は、半分は自分の血を継いでいるとはいえ異形の仔を胎内で育てる事は出来ないためだ。


「そろそろ話す時期が来たのかもしれないわ」


 紅藤が静かな口調で呟いた。彼女の声は小さかったが、不思議な事に源吾郎はその声を明瞭に聞き取れていた。


「白銀御前様と、桐谷のお坊ちゃまが出会ったきっかけを話してあげるわ。あまりにもえげつない内容だから話さずにいられるのならばそれが良いのかもしれないけれど……だけどこの話で、何故私が桐谷のお坊ちゃまを尊敬しているか、きっと解ってくれると思うわ」


 いつになく深刻そうな表情の紅藤を前に源吾郎は黙り込んだままだった。白銀御前との接触もほとんどなく祖父の存在も概念的にしか知らぬ源吾郎は、種族の異なるこの両者がくっついたきっかけをもちろん知らなかった。何せ半妖の母と人間の父が結婚したのも、「互いに仲良しだったから」なのだと思っているくらいなのだから。


「桐谷のお坊ちゃまは、播州中西部では名うての術者として有名な桐谷家の七男坊でした」

「そう、らしいですね……」


 話を始めた紅藤に対して源吾郎は頷いた。術者というのは妖怪絡みの困り事を解決するのを生業にしている者たちの総称である。流派も信条も様々であり、妖怪に対して友好的なものもいれば、敵対的なものもいる。妖怪が術者に協力している事もあるし、狐や天狗などが術者になっている事もある。悪質な者の中には、おのれの昏い欲望を満たすために罪もない野良妖怪を惨殺したり悪趣味な連中に売り飛ばしたりする者もいるそうだ。

 身内では叔父の苅藻と叔母のいちかが術者だったが、彼らは決して源吾郎に術者の道を歩ませようとはしなかった。


「桐谷家は畏れられておりましたわ。普通の人間たちのみならず、敵対していた妖怪や同業者たちからもね。彼らは賀茂家や土御門や蘆屋家などといった由緒ある血筋ではありませんでしたが、逆にだからこそ実力ある血族である事を示すために、様々な事を行って優秀な術者を輩出しようとしていたの。その過程で妖怪を捕らえて食べてみたり、一族の中で能力のある者同士をかけ合わせてその能力を次代に継がせようとしたりとね。桐谷のお坊ちゃまが生まれる頃には、あの一族は大分血が濃くなっていたはずなのよ。いとこ婚は言うに及ばず、兄妹や姉弟、場合によっては叔父と姪などで子作りする流れが二、三代前に出来てしまったらしいのよね。ええ。無節操な近親婚を繰り返した事で、桐谷家は人間離れした、突出した能力を持つ術者を輩出する事が出来ていたわ……華々しく活躍する術者たちの裏では、彼らよりも多くの者たちが、死産や流産、生まれついての重篤な畸形に苦しんでいたわけですが」


 源吾郎は喉と舌の渇きを覚え、そっとカップに口をつけた。近親婚のくだりから、紅藤の口調は重々しいものになっていた。自然科学の中でも特に生物学に詳しい彼女であるから、近親交配が何をもたらすかを源吾郎以上に詳しく知っているのだろう。

 紅藤の面に陰鬱そうな兆しが浮かぶのを見つめているうちに、源吾郎の心中にも暗雲が立ち込めそうだった。優秀な血族を輩出しようとする為の執念はおぞましく恐ろしい。しかしまだ話は序盤に過ぎないのだ。


「ちょうどその頃、島崎君のお祖母さまにあたる白銀御前様は播州の地を放浪しておりました。元々は京の洛中でお生まれになったそうですが、畿内にいる術者や伏見のお狐様たちやその他諸々の有力な妖怪たちとの軋轢を避けるために、都を離れたのでしょう。大昔は、関所より西部になるとうんと閑散とした場所になっていると思われていたそうなので。

 とはいえ、白銀御前様はどこで暮らそうとも多くの者たち――私たち雉鶏精一派も例外ではありません――から注目されておりました。玉藻御前のご息女であり、彼女自身も大妖怪である事を思えば致し方ない事ですわ。ある者は白銀御前様の配下になりたいと望み、ある者は白銀御前様を打ち負かし隷属させたいと企んでおりました。中には、彼女を殺してその血肉を得ようと思っていた手合いもいたくらいです。大陸では九尾の肉を食した者は妖術にかからず呪いの術を跳ね除ける効能を得る事が昔から知られていたからね。九尾でなくても、ある程度の妖力を持った妖狐の肉でも、同じような効果が得られるそうよ」 

「…………祖母は僕たちの前にほとんど姿を見せないのもそのためなんですね。それで、桐谷家も祖母の力にあやかろうとした者たちの一つって事ですよね?」


 その通りよ。とつとつとした問いに紅藤は力強く頷いた。


「妖怪を喰い荒らし多くの犠牲を払ってでも優秀な術者づくりに励んだ一族なんだから、白銀御前様という存在を放っておいたりはしないわ。桐谷のお坊ちゃまの父親、当時の桐谷家当主は、近辺に住むという白銀御前様の存在を知って、『飯縄計画』を思いついたの。

 計画といっても、内容自体は実にシンプルなものなのよね。白銀御前様と自分の息子たちを交配させて、それによって手に入れた仔を使い魔にするという内容だったはず。

 白銀御前様に産ませた仔をどうやって使うか、当主は色々と考えていたそうよ。最前線で妖怪と戦わせる事もできるし、禁術の素材にもなるし、ある程度育ててから妖力を取り込む事も出来るだろうし、とね」

「そ、そんな事を考えていたんですか、俺の、ご先祖とやらは」


 紅藤の説明を遮り、源吾郎は思わず叫び声をあげていた。紅藤が頷くのを見ていると、震えが止まらなかった。


「少なくとも当主とその息子たちの多くは、打ち立てた計画が遂行できると考えていたそうよ。実際彼らには、その計画を行使できる素養を持っていたのよ。技能的な意味ではなく、な意味でね。

 実を言えば、桐谷家が近親婚を行ってから術者一族として強力な存在になっていたのは、強力な術者が生まれるようになったというだけでもないのよね。あの一族は近親婚を重ねるとともに、邪悪な禁術にも精通するようになったの――外から用意しなくても、の準備に事欠かなかったらしいからね。

 直截的な表現をすると、彼らは実の子や身内の生命を奪い、あまつさえその血肉を食する事すらためらわないような存在だったの。強い後継者を残す為ならと考えていたのか大陸で流行っていた風習に倣っていたからなのかは私にも解らないわ。一つ言える事は、彼らが実の身内であっても道具として扱う事の出来る倫理観を持ち合わせていたという事だけよ。さもなくば、自分の息子を妖狐と交配させ、それで生まれた孫を使役しようなどとは考えないでしょうね」


 固く握りしめた拳が、汗でぬめるのを感じた。もしかすると爪が皮膚に食い込んでわずかに出血しているのかもしれない。

 手のひらの状態はさておき、どうにもこうにも衝撃的過ぎる話だ。源吾郎も無知な坊やではないから、近親婚や人肉食という悪しき風習があった事は知識として知っている。紅藤の指摘通り、大陸では人肉食が普通にあり、配偶者や実子の肉を食べた話がある事も知っている。

 しかし、それらの恐るべき行為が、おのれの数代前の先祖らが関与していたと聞いて、どうして心穏やかでいられようか。脳で理解する事と心で受け入れる事は別問題だ。そのような考えが源吾郎の脳裏には鮮明に浮き上がっていた。

 源吾郎ののっぴきならぬ心中を察した紅藤が、わずかに笑みを浮かべた。


「ああ、だけど安心して頂戴島崎君。飯縄計画は、桐谷家当主の恐るべき計画は結局のところ頓挫した訳なのですから。だって現在、桐谷家は過去を知る者が名を知っている程度に没落してしまいましたし、白銀御前様の御子たちはほとんど一人前になっている訳ですし――そして、その悪しき計画を打ち破ったのが、ほかならぬ桐谷のお坊ちゃまであり、のちに島崎君の祖父になる若者だったの。

 桐谷のお坊ちゃまは、汚泥の中から咲き開く蓮の花のような方だったわ。父が企み兄たちがなそうとしている事の裏をかき、どうにかして白銀御前様を彼らから遠ざける事が出来たのよ。私たちも忙しかったから詳しい事までは知らなかったけれど、桐谷のお坊ちゃまは紛れもなく才覚に溢れた術者で、しかもその能力を正しい方向に使ったの」


 源吾郎はここで一息ついた。おのれの出自にまつわる物語は、想像以上にえげつない代物だった。紅藤も重々しい表情で語っていたのだが、「桐谷のお坊ちゃま」について言及する頃には幾分柔らかな顔つきになっていた。


「紅藤様。雉鶏精一派が新たに立て直される時も激動のドラマに彩られておりましたが、まさか僕の、僕の母や叔父たちの出自までここまで波乱に満ち満ちていたとは……

 先祖たちの不気味な計画を聞かされた時には肝が冷えましたが、話を聞いているうちに安心してきましたよ。僕たち一族がなんだかんだありつつも元気でやっているという事は、要するにハッピーエンドという事ですよね。『悪しき計画により狙われていたキツネのお姫さまは、優しく勇敢な王子さまと一緒になり、可愛い子供たちに囲まれて幸せに暮らしました。めでたしめでたし』って言う感じですかね」


 安心しなかば調子に乗った源吾郎の発言に、紅藤は思いがけず笑い出した。しかも普段見せるほがらかな笑みではなく、翳りのある陰鬱な笑い方だった。


「あら島崎君。私は子供だましのおとぎ話を話していたわけじゃないのよ。確かにラブロマンスに相当するかもしれないけれど、あくまでも白銀御前様と桐谷のお坊ちゃまが、血で血を洗う争いと因縁に立ち向かい、愛するものを護り抜く経緯を話しているだけに過ぎないわ」


 紅藤は一呼吸置くと、静かに言い足した。


「確かに白銀御前様は桐谷のお坊ちゃまと結ばれたわ。だけどそれはエンディングなんかじゃなくてに過ぎないわ。おぞましい執念に立ち向かう血塗られた物語は、ここから始まるの」


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