正気をブン投げ頭目を得る ※ヤンデレ表現(?)あり

 本家イギリスでのアフタヌーンティーの時間とは異なるものの、源吾郎は応接室にてしばしのティータイムを堪能していた。峰白から桃の花についての講釈を聞いたばかりだったが、よくよく考えたら桃は雉と縁深い存在である。雉妖怪たる峰白や紅藤が桃を尊ぶのもうなずける話だ。


「さて島崎君。そろそろ本題に入ってもいいかしら」

「……大丈夫、です」


 峰白が源吾郎に声を掛けたのは、彼が茶請けの菓子を飲み下す少し前の事だった。黄色い生地に狐色の焼き色が付いたその菓子は、どうやらカスタードを揚げた物のようだ。中身はとろみがあり、濃厚な味わいがあっさりとした桜茶もとい桃茶と絶妙にマッチしていたのだ。

 源吾郎は意識して表情を引き締めた。甘味を味わい控えめに言っても至福の瞬間を味わっていたおのれの顔が、だらしなく緩んでいるであろう自覚はあったのだ。


「影武者を初見で見抜く事は出来なかったみたいだけど、あんたの眼力もそう悪くはないと私は思ってるの。

 私が本物の胡琉安様を引き合わせようとする少し前から、あんたはそわそわしていたでしょ。まるで何かに気付いたみたいに。ねぇ島崎君。気付いたのか私に教えて頂戴」


 峰白の言葉はそれこそ猫撫で声と呼べるほど柔らかく優しげではあった。しかしながら、源吾郎に向けて放った言葉が、依頼ではなく純然たる命令である事を源吾郎は看破していた。


「……安心なさい。取って食べるわけじゃ無いわ。そもそも、私らは雉であんたは狐なんだから、むしろ私らの方が取って食べられる側よね。雉と狐だもの」


 最後に言い添えた一言は峰白なりのジョークだったらしい。隣席の紅藤が身体を揺らしてしとやかに笑っていたのを見てその事に気付いた。源吾郎は笑わなかった。峰白は相変わらず妙齢の美女の姿ではあるが、恐るべき化け物のように源吾郎には思えた。

 ともあれ源吾郎は唇を湿らせ、発言に備えた。


「こ、胡琉安閣下は一体何者なのでしょう」


 自分でも思いがけぬ言葉が出たものだ。峰白と紅藤はぎょっとしたように視線を絡ませたが、源吾郎に先を進めるかのように黙ったままだ。ともかく、自分はこの問いかけで殺される事は無いらしい。


「胡琉安閣下の妖気は、紅藤様や青松丸様のそれによく似ていると、僕は感じたのです」


 源吾郎は抱いていた疑問を素直に口にした。妖怪の持つ妖気にはむろん個体差があるが、生物学的な意味で親子・兄弟関係にある者同士の場合、互いの妖気が似通っている事は往々にしてある。それは、鳥獣や魚の親子・兄弟の姿形や行動や性質が遺伝するのと同じメカニズムである。


「似ているのは当然の事よ。胡琉安様の母親は紅藤だもの」


 峰白の視線は、声も無く驚く源吾郎を見据え、それから紅藤にスライドしていた。


「紅藤が造った青松丸は、さしずめ胡琉安様の兄にあたるのでしょうね。性格はさほど似てはいないけれど」


 にこにこと語る峰白を見てうっかり頷きそうになり、源吾郎はすこし慌てた。

 しかし峰白が告げた事は事実でもあった。青松丸と胡琉安は確かに似通った妖気の持ち主だったが、彼らを兄弟たらしめるものはそれしか感じられなかった。研究事務所の片隅に潜む内気な男。古の血を引く者として、多くの妖怪たちを束ねる若き王者。風貌も態度も彼らから与えられる印象さえも似通った所はない。いっそ真逆だと言えるほどだ。


「島崎君。胡喜媚様がおかくれになった折、雉鶏精一派を盛り返そうと最初に動いたのは、私と紅藤だけだった事は知ってるわよね? ええ、あの頃は私と義妹しかいなかったわ。本物の跡継ぎだった胡張安――胡喜媚様の御子息で父親も立派な大妖怪だった癖に日和見主義のあの軟弱者――は、とうに逐電していたところで、何処で何をしているのか、そもそも生きているのかさえ判らなかった。あいつが雉鶏精一派に留まっていたら、すぐに二代目頭目に据え付けるつもりでいたんだけどね」

「そうだったんですね……」


 話の区切りが良い所で、源吾郎はさも驚いた様子を見せておいた。実際のところ、胡喜媚の息子が出奔し行方知らずになっている事もまた、祖母から聞いていたから知っている。


「当時、雉鶏精一派の起死回生の手段として、胡喜媚様を蘇らせる事を考えていたのよ。胡喜媚様の妖気も私が取り出して、紅藤が保管していたし。紅藤は雉鶏精一派の中でも妖術仙術の類に詳しかったから、彼女ならどうにかなると思ってね」

「胡喜媚様を蘇らせるという案の他には、胡張安様を探し出して頭目に据えるとか、いっそ私たちのどちらかが胡喜媚様の娘を騙り、存続させるという案もあるにはありました……結局のところ、胡喜媚様を蘇らせるという案を採用したの」


 峰白の説明の途中で、紅藤が言い足した。昔の事を思い出しながら語っていたからか、気だるげに見えた。


「そりゃあ、何をどう考えたって胡喜媚様を蘇らせるって言う結論に至るわよ」


 峰白は強い眼差しで紅藤を見据え、迷いなく言い放った。その瞳はあくまでも澄んでいて、見る者に言いようのない不安と恐怖をもたらした。

 門外漢で若輩者たる源吾郎でも、峰白たちが雉鶏精一派を存続させるために採用した選択肢が、他のどれよりも事は解った。生きている者が不死の存在に変質する事と、死んでしまった者を生き返らせる事。普通の妖怪や術者には手に余る術には違いないが、後者の方がより難しい術になるのだ。


「胡張安は見つけ出せなかったし、仮に見つけたとしても飼い殺しにするくらいしか使い道は無かったもの。

 胡喜媚様の縁者を騙るなんて論外よ。そもそも私たちは胡喜媚様の命を受けて、むしろ胡喜媚様の縁者を騙る不届き者を粛清し続けていた身なのですし……それに縁者と騙った事を誰も罰しないとしても、他ならぬ私自身が赦せないわ。賤しい血筋の私たちが、胡喜媚様の縁者と名乗る事など恐るべき冒瀆なのですから」


 ある種の一人芝居を見ているようだと源吾郎は思った。向かいに座って話し続けている峰白の顔には、様々な表情が目まぐるしく浮かんでは消えていた。冷徹な眼差しをおのれに向けていた時とは大違いである。


「……ともかくね、胡喜媚様復活の研究の傍らで私が造り出したのが、息子の青松丸よ」


 熱弁を振るう峰白を見やりながら紅藤が横槍を入れる。紅藤のその顔にもわずかに表情が戻っていた。会話に割り込まれた峰白は、特に憤慨する様子はなかった。そうよ、そうだったわね。せっかちそうに呟く峰白に対して、紅藤は頷いている。


「胡喜媚様を復活させるという術は失敗させるわけにはいきませんでした。なので前実験として妖力の錬成を行い、そこから独立した個体を作り出す技が私に出来るか、確認したのです」


 と、そこで紅藤は何を思ったか、源吾郎の方をちらと見た。


「ああ、だけどね島崎君。妖怪を新たに造り出す術は私から教えられないわ。もう長い事あの術は使っていないし、そもそも負担が大きい術なのよ。体力的にも……精神的にもね。私は妖怪錬成を得意とする黒山羊のお姉様の秘術をベースにして妖怪錬成術を行いましたが、青松丸は、278目の実験でようやく造り出せたの……その意味が解るかしら」


 紅藤の両目は今やしっかと源吾郎を見据え、しかも昏い紫色に輝いていた。


「青松丸が生まれるまでに、277回分の生まれるはずだった生命の、無残な終焉を見届けたという事よ。青松丸にとっては会う事の叶わなかった兄たちであり、私にとっては意味ある生を与える事の出来なかった息子たちなのよ。

 でもね、黒山羊のお姉さんによると、妖気を集めて錬成する方法を習得した術者たちの中で、私が一番失敗で独立した妖怪を作り出せた存在になるというのよ。その意味も、賢い島崎君ならばもちろん解るわよね」


 源吾郎は目を動かすのがやっとだった。先程胡喜媚絡みの事で興奮した峰白と同じように、今度は紅藤が興奮しているのだと把握するのがやっとなのだ。

 紅藤はなおも言葉を重ねた。


「……自分だけの妖怪を術で造りたいと言うのなら、いさぎよく外注する事をお勧めするわ。若しくは、ただ一人の娘を造り出すために、何千何百の他の娘たちが、無残に崩れたり腐って融けていくのを見ても心が揺らがないのならば、別に自分で行っても構いませんけれど」

「…………」

 

 源吾郎は何も言わなかった。彼自身は妖怪を造り出す術などに執着している訳ではないから、その術が習得できるか否かは特段問題ではなかった。紅藤は単に、峰白の話からかつて自分が行った所業と、その時に抱いた気持ちを思い出し、それを聞いて欲しかっただけだろう。未来につながるかどうか定かではない年長者の繰り言は、何も人間様の専売特許ではないのだ。若者に繰り言を垂れてしまうという年長者の習性については、年長者に囲まれて育った源吾郎はよく心得ているのだ。


「ま、まぁ苦労した分だけ、青松丸も立派に育ったじゃない。あんたも息子として熱心に面倒を見てたし」


 やや早口気味に峰白が横やりを入れた。紅藤のぎらついていた瞳の輝きが収まり、表情もやや穏やかになっていた。紅藤は慈母めいた笑みで頷き、峰白は言葉を続けた。


「青松丸はね、母親である紅藤の特徴をよく受け継いでいるわ。不死身じゃないけど再生能力は地味に高いし、頭も良くて紅藤の使う妖術もある程度は習得しているし、ひな鳥の時は弱弱しかったけど、すぐに妖力も増えていったし……本来なら、青松丸が幹部になってもおかしくなかったのよ。あいつはそれだけ優秀なの」


 峰白はそこで言葉を切ると、やや意地の悪そうな笑みを浮かべた。


「だけどやっぱり青松丸は紅藤によく似ていたのよ。あいつもどちらかと言えばマイペースで、権力を振るう事には全く興味を示さなかったもの……弟弟子の萩尾丸の態度がどんどん大きくなっても、『萩尾丸さんの方が年上ですし』って言ってニコニコしていただけだったしね」

「まぁ、青松丸は萩尾丸を拾うまで、私たち以外の妖怪とはほとんど接触がありませんでしたからねぇ……とはいえ、青松丸がのんびり屋だったからこそ、萩尾丸とも上手く行ってるとも考えられますわ」


 雉妖怪姉妹の会話を聞きながら、源吾郎は青松丸の事を考えていた。彼は古参の弟子として、新入りである源吾郎の教育係を任されていたのだ。ただただ優しく手応えのない妖物であるというのが源吾郎の青松丸に対する評価である。或いは、もう少しすれば青松丸の「優秀さ」が解るのかもしれない。


「ともかく、私たち雉鶏精一派は、最初の百年ほどは本当に小規模な集団として活動していたのよ。正式な後継者がいなかったから、あまり大々的に仲間を集めるのも危険だったからね」


 青松丸の出自から紅藤の古参の弟子たちの会話。そして彼らしかいなかった頃の雉鶏精一派の情勢へと話はゆっくりと転がっていった。話者は峰白だった。


「最初の百年は苦心なさったでしょうが、その頃に確か、胡琉安閣下がお生まれになったんですよね」

「その通り! ご明察よ島崎君」


 峰白は源吾郎がびっくりするほどの興奮ぶりを見せながら問いに答えた。その姿はさながら名推理を繰り出す探偵に似ていたが、ここに居るのは妖怪ばかりで探偵はいない。そもそも三百年前に雉鶏精一派の組織が刷新し、二百年前に胡琉安が誕生した事はここに居る三者はきちんと把握している。

 要は興奮するほどの謎などは無いはずだ。


「それでね、ここでようやく胡琉安様の父御・胡張安様にも言及する事になるわ」


 そう、胡張安なのよ――峰白は妙に興奮し緊張した様子で頷いていた。


「胡張安はやんごとない身分を投げ捨ててから、長らく何処で何をやっているのか、私にも紅藤にも解らなかったの。だけど二百年前のあの日、私たちは胡張安を見つけ出し、取っ捕まえて雉鶏精一派の本拠地に連行する事に成功したのよ。

 私たちは……胡張安を物理的に捕らえる事は出来たけど、その心を捉える事は出来なかったわ。あいつは確かに勇猛な妖怪とは言いがたいけれど、長きにわたる野良妖怪生活で、何物にも縛られない心と術を手に入れてしまっていた。私の懇願も紅藤の甘言も、萩尾丸の殺してやるという脅しすらも、胡張安を陥落させる事は叶わなかったわ。のみならず、あいつは私らが胡喜媚様を復活させるという計画を聞いて鼻で笑ったの。計画を立てるのは構わないが、変質したその妖気ではあのお方を復刻出来ないだろうってね。

 だから私たちは、別の方法を試みたの」

「それで、そうやって……胡琉安閣下がお生まれになったと」

 

 フクロウよろしく目を見開く源吾郎に対して、峰白と紅藤がほぼ同時に頷いた。


「ええ。だけど私たちも無理強いしたんじゃあなくて、ちょっとした交渉術でそういう風に持っていっただけよ。今後はもう絡まないっていう条件を餌にしたら、あいつはすぐにこちらの条件に飛びついてくれたわ……そういう訳で、胡張安は喜んで胡喜媚様の後継者づくりに励んでくれたし、私らも大手を振ってあいつの野良妖怪ライフに干渉しない事にしたってわけ」


 源吾郎の喉からは、非難めいたため息が漏れるだけだった。雉鶏精一派の神聖なる頭目、胡琉安が生まれ落ちるまでの激動のドラマを、源吾郎は贅沢にも当事者から聞いたわけではある。

 どいつもこいつもまともな奴がいないじゃないか――口にこそ出さなかったが、表情筋の裏で源吾郎はそんな事を思っていた。おのれの自由と引き換えに息子を組織の人質にした胡張安、おのれの欲望のために義妹に仔を生ませた峰白。そして義姉の無茶ぶりに忠実に従った紅藤。誰も彼も普通とは言いがたい。いや、それこそが妖怪の性なのか。


「胡琉安閣下と紅藤様の関係性はよく解りました」


 ですが……おずおずと口を開き、源吾郎は紅藤を見やった。


「紅藤様。紅藤様は何故そこまで峰白様の言いなりになってしまわれているのでしょう?」


 三者ともおかしい連中ばかりであるが、強いて言うならば紅藤はまだマシな部類に入るのだろう。もしかすると、彼女は被害者かもしれないと源吾郎は思っていた。何らかの理由で紅藤が義姉の峰白に隷属し、峰白の妄想を具現化するために労苦を背負ったのではないか、と。

 妖怪が他の妖怪に隷属し追従する事は珍しい話ではない。しかし峰白と紅藤の両者に関して言えば、その通説をすぐに当てはめる事は出来ない。峰白もそう弱い妖怪ではないが、莫大な妖力を持つ紅藤に較べればうんと弱い妖怪と言う他ない。七割五分は保有する妖力と実力で格が決まる妖怪社会の中で、格上の存在が格下の相手に服従するのは、よほどの事がない限りお目にかかれないのだ。


「言いなりですって。まぁ確かに、門外漢からはそう見えるかもしれないわね……私の方が三十ばかり年上って事でお姉様なんて呼ばれているし、紅藤の態度も相まってそう見えるのね。

 だけどそれでも私は紅藤を従わせている訳じゃないわ。私は胡喜媚様に仕える事を欲し、紅藤は仙道の研究のために、盤石な妖怪組織を望んだ。私たちの利害がまぁ上手い塩梅に収まって、それで協力しているだけの事よ。

 それにね――私は紅藤におのれの生命を掌握されているの」


 思いがけぬ言葉に呆気に取られている間に、峰白は急に笑い出した。調度品を小刻みに震わせるほどのその笑い声は、さながら、いや文字通り化鳥の啼き声そのものだった。


「紅藤に生命を掌握されているのは、何も私だけではなくってよ。研究センターの連中だってそうよ。もちろん、あんたも例外じゃあないわ」


 笑い声混じりに絞り出された峰白の言葉を聞いた源吾郎は、思わず紅藤を見やった。生命を掌握する。正しい意味は掴めないがヤバくてまずい事であるだけは辛うじて解った。要するに峰白も研究センターの皆の生殺与奪は紅藤の気分次第という事であろうか。ああ、もしかして研究センターのスタッフたちが紅藤の強さに比して少なすぎるのも――

 目まぐるしく物騒な考えを弾きだそうとしていた源吾郎だったが、その思考は他ならぬ紅藤の声によって断ち切られた。


「怖がらないで島崎君。生命を掌握していると聞いて怖がっているのね。ああ、だけど怯える事は無いわ。私はただ、峰白のお姉様や私を慕う弟子たちに、私の望まない時とところで死ぬのを禁じているだけですから。私ね、大切に思っている者たちが勝手に死んでしまう事だけは赦せないの。それだけよ」


 童女のような無邪気さと、慈母めいた優しさを混ぜ合わせて紅藤は笑った。源吾郎の予想していた返答よりも優しく穏やかなものだったが、それでもやはり背筋がざわつく事には変わりない。

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