妄執募りて実を結ぶ――胡琉安誕生の真相
セダンを運転してくれた萩尾丸は、本社ビルのエントランスで辛抱強く源吾郎たちがやって来るのを待っていたらしい。胸元をごそごそやっているのは先程まで操っていたスマホを懐に収めたからかもしれない。
「ガールズトークは堪能なさったんですか、紅藤様」
元気いっぱいに源吾郎の隣を歩く紅藤の姿を認めると、萩尾丸はかるく右手を上げ、爽やかな笑みを浮かべて彼女を迎えた。
「とっても楽しかったわ。桃茶も美味しかったし、お茶請けも美味しくて可愛かったもの」
「そうですか。それにしては早めに切り上げられましたね。お二人の事なので、終業時間まで話し込む事も予想していたので」
萩尾丸は相変わらず慇懃な様子で紅藤に応じている。丁寧な言葉を使いつつも皮肉を織り交ぜた台詞である。
「まぁ、昔話だったからそんなに長引かなったわ。それに長話になったら島崎君も疲れるでしょうし」
「違いないですねぇ」
源吾郎を一瞥した萩尾丸がうっそりと笑った。
エントランスを出る寸前、源吾郎はふと歩みを止めた。通路の邪魔にはならない、しかしはっきりと視界に入る場所に鎮座された物に興味を持ったのだ。
それは高さにして二メートル弱、幅にして八十センチ程度の彫像だった。直立し翼を広げる巨鳥をイメージした彫像なのだろうが、全体も詳細も異様な風体を示している。
まず目立つのは、木の枝のように幾重にも分岐した長い首と、複数の頭部である。丸い輪郭と鋭い嘴が鳥類の特徴を見せており、それぞれの頭頂部には複雑で幾何学的な意匠を凝らした冠が載せられていた。額の部分に第三の目がある頭部さえあった。
冠を被る頭部を支える首たちは、長すぎるせいか鳥の首とは思えなかった。のみならず逆立つ鱗や、明らかに蛸の吸盤にしか見えない物がくっついている首さえあるほどだ。
全体的には鳥として作っているのだろう。しかし不定形のモノが鳥に擬態したようにも見え、また鳥でありながら蛇であり蛸であり獣であり或いは人であるような特徴を示しているようにも見えた。エントランスに置き、社員や重役たちの目に触れるには、余りにも不気味で冒瀆的な彫像だった。
「それは、胡喜媚様をイメージした彫像よ」
声のした方を源吾郎は振り仰いだ。紅藤は小さなビジネスバッグを片手に提げ、源吾郎の視界に入る場所に立っていた。声には感情が籠らず、目つきからも感情は読み取れない。
「峰白のお姉様がどうしても欲しいって言うから、彫刻家に頼んで作らせたの。アレの説明についてはまたの機会にしましょ。どうせ島崎君も幹部になれば研究センターではなくてこちらでも働く事になる訳ですし」
紅藤に促され、源吾郎は歩を進める事にした。
「島崎君、帰りは助手席に座りたまえ」
行きしなと同じく後部座席に座ろうとした源吾郎に対して、萩尾丸は声を掛け、ご丁寧に手招きまでした。
「紅藤様はガールズトークを堪能なさったみたいだから、僕は男同士の会話がしたいんだ」
萩尾丸は相変わらず笑顔だった。表情の読めない笑みを不気味に思い、すがるように紅藤を見やった。だが彼女は小さく頷き、むしろ源吾郎を助手席に座るよう勧めただけだった。
源吾郎は仕方なく、助手席に腰を下ろした。
「峰白様との話は面白かったかい?」
運転の準備が終わるなり、萩尾丸はハンドルを操りながら源吾郎に尋ねてきた。源吾郎は首を捻るのがやっとだった。文字通りに「面白い」などと言える内容ではない。しかし後部座席にちんまりと座る紅藤に気兼ねし、即答を避けたのだ。
「面白いというよりも、含蓄ある為になるお話でした」
「含蓄のある話か……どんな話だったのさ?」
「…………雉鶏精一派が新体制になってからと、胡琉安閣下がお生まれになった時の話です」
萩尾丸はそこまで聞くと、さも愉快そうに肩を揺らして笑った。ハンドルを操る手捌きは見事そのもので、車が変に揺れる事は無った。
「成程、成程……ああ、峰白様ならばその話をなさるだろうと思っていたよ。あの方は玉藻御前には興味なんて無いって口で仰っているけれど、実際に縁者を前にすれば、ある程度は便宜を図ろうと考えるものさ。峰白様は、紅藤様とは別方面で賢いお方だからね。
それで、話を聞かせてくれた感想を教えてくれないか。出来るだけ率直にね」
「え……」
大丈夫だよ。気の抜けた声を出して戸惑う弟弟子に対し、萩尾丸は優しげな声で応じた。
「気兼ねする必要は無いよ。紅藤様は眠っておられるし」
萩尾丸の視線がミラーに向けられる。つられて源吾郎もミラーを見た。後部座席の紅藤が、座席にもたれて瞼を閉じているのが映っていた。
「紅藤様はあまりお身体が丈夫ではないんだ。大妖怪なれど、十分な食事と睡眠をとらないと、相応のパフォーマンスが出せないらしくてね……しかしあのお方自身はそんな事を気にせず、研究に没頭して体調を崩す事もままあるんだ」
「そうなんですか」
源吾郎は今一度眠る紅藤をミラー越しに眺めた。研究に没頭云々はさておき、大妖怪でありながら丈夫ではないというのは奇妙だ。
妖怪にとってその身に宿す妖力は、妖術を行使するためのエネルギーであるだけではなく、生命力でもあるのだ。俗に中堅妖怪や大妖怪と呼ばれる者たちは、妖力の少ない下級妖怪たちに較べ、体力もあるし食事の頻度も少なくて済む。それは保有する妖力で生体活動を十分に維持する事が可能であり、また肉体に妖力を通わせる事でダメージを防ぐ事が出来るためだ。
疲れやすくてよく眠り、多くの食事を求める――大妖怪紅藤の行動は、しかしむしろ弱小妖怪のそれに似通っていた。一般的に鳥妖怪は他の妖怪よりも代謝が高い事を差し引いても。
「だからまぁ正直に言いなよ。ドン引きしたとか、ドン引きしたとか、めっちゃドン引きしたとかさ。それに紅藤様に聞かれたとしても、あの人はそんなに怒らないから大丈夫さ」
「ちょっと待って下さいよ先輩。ドン引きしかないじゃないですか……」
あからさまにニヤニヤする萩尾丸の横顔を見、源吾郎も口許に笑みを浮かべた。
「……まぁ、正直に言えば結構ドン引きしました」
「ふーむ。玉藻御前様の曾孫と言えども、流石にドン引きしたんだね。で、ドン引きポイントはどの辺かな?」
「…………」
源吾郎は萩尾丸の問いには応じず口をつぐんでしまった。萩尾丸はきっと、源吾郎がドン引きしたところに関して突っ込んで知りたいのかもしれない。しかし先の会話は余りにもドン引きポイントが多すぎた。いや、話の一部始終すべてが、巨大なドン引きポイント、もといドン引きトークであると言っても過言ではない。
「今回の件は、君にとっていい勉強になっただろうね。乳母日傘で育った坊やには、ちと刺激が強すぎたかもしれないが」
言い終えた萩尾丸の表情が、にわかに鋭くなったのを源吾郎は見て取った。
「君の望みは世界征服で、そのために妖怪たちの中で最強の存在に君臨したいと思っているんだろう。その大望を叶えるための心構えとやらを、あのお二方の会話から君も感じ取ったんじゃあないかい」
「僕はただドン引きしただけですが」
「そう、それだよ!」
感極まったように萩尾丸が言い放つ。ブレーキを踏むのが僅かに遅れ、横断歩道の先端に車の鼻先が到達してしまった。
「大望を抱く事だけならば誰だって出来るさ。問題はそれを違わずに実行できるかどうかにあるんだ。物理的な理由を乗り越えるのは言うまでも無いが、真に乗り越えるべきはおのれの心そのものさ。
出る杭は打たれるのことわざは君も知っているだろう。哀しいかな、優秀な者や前人未到の偉業を成し遂げる際に、愚民どもがヤジを飛ばし足を引っ張るという現象は、我々のような妖怪たちの中でもあるんだ。そしてそれを全て跳ね除けたとしても――それすらできずに挫けてしまう者も少なくないがね――『自分』と言う手強い敵がいるわけだ。
周囲の雑音に臆せず冷徹冷酷なおのれの心を飼い慣らさなければ、いかに大妖怪であろうとおのれの大望を叶える事は難しいんだ」
「……紅藤様と峰白様は、それが出来た、と」
「少なくとも、僕はそう思っている」
源吾郎の言葉少ない問いかけに、萩尾丸は短い言葉で応じた。
「彼女らが妥協せず諦めず、純粋におのれの心の欲するところを極めたからこそ、青松丸と胡琉安様が生まれたんだ。どちらかが適当なところで手を打っていたならば、雉鶏精一派は今ほど栄えなかったか、或いは自然消滅していただろうね。
――島崎君。君が最強の妖怪として君臨するという事は、彼女らを上回らねばならないという事になるんだよ。言っている事は、解るね?」
源吾郎は言葉が出てこなかったので頷いて応じた。言葉が出てこなかったのは、色々な想いが胸や頭の中に詰まっていて、声を塞いでいたためだった。羞恥と失望とそこはかとない恐怖が源吾郎の体内で渦巻いているのを感じていた。源吾郎は誰にともなく懺悔していた。
うら若い娘の姿を取る紅藤を見た時に、すぐに下剋上出来るのではないかと言う傲慢。
冷静な狂気を受け入れた上で、峰白と紅藤が淡々と望みを叶えたと悟った時の恐怖。
そもそもの発端であるおのれの欲望が、矮小なコンプレックスを拗らせただけに過ぎないという羞恥心――ああ、かくも浅はかでちっぽけな考えではないか。
そうして密かに後悔していると、萩尾丸が前を向いたまま声を出して笑っていた。
「理解したのは良いとして、そう思いつめなさんな島崎君。君は、君が思っている以上に純朴な狐なのだよ。だが、それでいい。それがいいんだ」
萩尾丸は、源吾郎の視線を受けても平然としていた。
「思い上がりと思い上がったのちに感じる羞恥心は若者にありがちな事さ。そしてろうたけた年長者は、そういう若者の姿を見て、面白がったり過去の自分を思い返したりするモノなんだ――島崎君。君も若者を見守る年長者の気持ちが解る日が来るだろう。いずれはね」
萩尾丸先輩は年長者の部類に入るのだろうか……源吾郎はぼんやりと思った。萩尾丸は見たところ紅藤と同じかやや年上の男に化身しているが、三百数十年は生きているという。三百年も生きているとなれば、十分一人前の妖怪と見做される年齢であるらしい。妖怪たちは極めて長い寿命を有するが、そんな彼らを以てしても、五百年、千年と生き続けるのは実は案外難しい事なのだそうだ。
「言うまでも無い事だが、僕も元々は弱弱しい野良妖怪でしかなかったんだよ。しかもあの頃の雉鶏精一派は今とは比べ物にならない程殺伐としていたからね……紅藤様は弟子にした妖怪を決して見放さないなんて事も知らなかったから、僕も必死だった。あの人の息子である青松丸と違って、僕は気まぐれで拾った小鳥に過ぎなかったからね。無能だと判れば、追い出されるか殺されるかだろうって思ってたんだ」
「……萩尾丸先輩もご苦労なすったんですね」
「センチメンタルな同情は要らないよ。僕の労苦をねぎらいたいのならば、安っぽい同情じゃなくて僕に対する称賛と服従を示しておくれ」
「……やっぱり、萩尾丸先輩って天狗っすね」
取り留めも無いやり取りを続けていた源吾郎は、用心深くミラーで紅藤の様子を確認してから萩尾丸に問いかける事にした。行きしなの発言で源吾郎の脳裏に疑問を植え付けた張本人である。植え付けた疑問の正体を知っているはずだ、と。
「萩尾丸先輩。質問があるのですが」
「……わかる内容なら答えるけれど、急にどうしたんだい?」
怪訝そうな声音の萩尾丸を見据え、源吾郎はその質問を放った。
「紅藤様が造られた、二匹目の妖怪は、今どこで何をなさっているんでしょうか」
「それは一体何の話かな」
正面を向く萩尾丸の目が、ぎゅっと鋭くなったのを源吾郎は見た。やはり萩尾丸先輩は知っているのだ。
「僕が同席したガールズトークの中で、紅藤様がご子息の青松丸先輩を造った事も話題に上りました。三百回近く失敗を繰り返し、苦心惨憺の末に青松丸先輩が生まれたのだと……
しかし萩尾丸様。紅藤様も峰白様も、二度目に造った妖怪については何一つ言及なさらなかったんですよ。それって不自然ではありませんか? 峰白様はともかく、飛び抜けた記憶力と弟子や息子への情愛を持つ紅藤様までが……」
「逆に問うが島崎君。君は何故紅藤様が妖怪を造ったのが二回なのだと思っているんだい?」
萩尾丸の声音は、目つき同様鋭かった。
「僕が紅藤様の傘下に入った時には青松丸がいたから当時の事は解らないが、青松丸を造った所で、紅藤様が妖怪錬成の術を辞めてしまった可能性だってあるとは思わないのかい? 二人が成そうとした術は、妖怪錬成ではなく反魂の術だったようだし」
しかし……源吾郎は言いかけて口を閉ざした。これ以上追及するなと萩尾丸が言外に警告しているのを源吾郎は察したのだ。
「――無理に隠し立てしようと思っても、島崎君相手では徒労に終わってしまうわ。いっそ本当の事を話しましょうよ」
萩尾丸と源吾郎は言葉にならない驚きを喉から漏らした。流石に驚いたのか、わずかにハンドルさばきが乱れる。
源吾郎は恐る恐るミラーを眺めた。眠っていたはずの紅藤が目を開け、紫色に輝く瞳で源吾郎たちを眺めているらしかった。
「良いんですか紅藤様。あの事は、一部の八頭衆しか知らないトップシークレットではないですか」
「一部って言っても八頭衆の半分は知ってるのよ。それに――島崎君はきっと、白銀御前様から真相を聞かされているはずよ」
紅藤の言葉に驚いたのは、萩尾丸ではなくむしろ源吾郎の方だった。祖母である白銀御前から雉鶏精一派に関わる秘密を聞かされたという話は、まだ紅藤には行っていない。しかし彼女は、独力でその推測を導き出したのだ。
呆然とする源吾郎の耳に、紅藤の言葉が入り込む。
「ごめんなさいね島崎君。先程峰白のお姉様と話していた胡琉安様の出自は、いわばある種の嘘、対外的なお話になるの。もちろん真実も含んでいるけれど、他の妖怪に怪しまれず、反感を持たれないように真実味でコーティングした作り話よ。だから、胡琉安様は確かに胡喜媚様の血を引いているし、私の息子である事には違いないわ。
――私が造り出した二匹目の妖怪。それこそが雉鶏精一派の頭目たる胡琉安様よ」
「そう……だったんですね……」
源吾郎の声はわずかに上ずり震えていた。
「抽出した胡喜媚様の妖力からは、もはや胡喜媚様を復活できないと胡張安様に指摘されたのも事実よ。そこで私は胡喜媚様の妖気の固まりに私の妖気と胡張安様の妖気も少し付け足して、新しい妖怪を、胡琉安様を生み出したの。
表向きの説明で胡張安様は胡琉安様の父親という事になっているけれど、厳密には父子ではなくて兄弟と言う関係に近いでしょうね……元々は胡琉安様も胡喜媚様の息子という事にしようと思ってたのよ。だけどおかくれになってから百年以上経ってるし、それじゃあ不自然だからって事で、胡張安様の息子、胡喜媚様の孫って言う設定にしたのよ。
そう考えると、胡張安様も結構気前が良かったわ。新しい妖怪を造るための妖気を分けて下さりましたし、『父親』の名義を使う事も快諾してくださったので――島崎君。これが胡琉安様の本当の出自よ。真実が明るみになると具合が悪いから伏せてはいるけどね」
紅藤が造った妖怪は青松丸と胡琉安。胡喜媚を復活させる術から妖怪錬成の術に転向し、頭目を得た――確かに余人では思いつかぬような荒唐無稽な真実である。
紅藤が語る真実をゆっくりと脳内で咀嚼しながら、源吾郎は深々とため息をついた。先の応接室でのやり取りよりも、今しがた紅藤が言い放った一言の方がはるかに衝撃的だった。
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