運命の流れと血脈の枝葉

 さて数分前まで家族らでにぎわっていたリビングであるが、今はテーブルにそれぞれ差し向かいに座る三花と源吾郎だけとなった。父の幸四郎は書き物のために書斎に戻り、二人の兄は連休中の買い出しのためにホームセンターに向かったのだ。誠二郎は源吾郎と異なり数日ばかり実家に逗留する予定らしく、その時に兄と協力してDIYをたしなむ予定であるらしい。源吾郎も多分貴重な人手という事で協力を要請されるであろう。何せ若いし膂力は常人並みだがスタミナはある。妖狐の血のために兄たちは実年齢よりも若い肉体と見た目の持ち主であるが、長年のサラリーマン生活で倦み疲れた部分はあるだろう。

 ただ一つ不自然な点があるのは、源吾郎がそこにいるにもかかわらず、彼を連れずに兄たちだけでホームセンターに向かった事だろう。別に源吾郎は兄たちに置いて行かれた事をあれこれ思っている訳ではない。ただ普段の宗一郎であれば、買い出し要員として源吾郎を連行するものだ。


「およそ一か月半ぶりに顔を見るけれど、特に変わった様子は無くてほっとしたわ」


 三花はぽつりと呟き、軽く身を震わせた。腰の辺りから二尾が伸びてゆき、フローリングの床に柔らかくたわんでいった。柔らかなクリーム色の毛並に覆われた見事な二尾である。

 源吾郎はここで、兄たちがそそくさとホームセンターに向かったのかを悟った。妖怪についての話を母が行おうとしたのを、宗一郎と誠二郎は察したのだろう。人間寄りである自分らがいれば話がスムーズに進まないとも思ったのかもしれない。


「まぁ、一か月半くらいじゃあそう変わるところは無いと思うけれど」


 尻尾から即座に母の顔に視線を移し、源吾郎は告げた。


「俺たちは寿命の短い人間じゃあないからさ。そりゃあ向こうでも紅藤様や先輩たちに従って修行とか妖怪の暮らしとか色々勉強はやってるよ。だけど、何十年何百年とたっているのならともかく、一、二か月で色々変わるとは思わないかな、俺は」


 源吾郎の言葉に母は相好を崩しクスクスと笑い始めた。


「さっきのは前言撤回しないとね、源吾郎。随分と妖怪らしい考えの持ち主になったわね」

「…………」


 源吾郎は喜ぶべきか困るべきか判断しかね、あいまいな表情を浮かべるだけだった。人間の血を多分に受け継ぎながらも妖怪として生きる事を選んでいる訳だから、妖怪らしくなったと言われて喜んでも構わないのだろう。しかし先の母の発言からは、何となく不穏さを感じ取ったのだ。


「源吾郎が妖怪らしくなっていくのも致し方ない事よね。あれからずっと、あなたは雉仙女様や他の妖怪たちと接している訳だし、あなた自身も妖怪になる事を切望しているのでしょう?」


 母の真っすぐな視線に、源吾郎は居住まいを正した。琥珀色というには暗すぎる褐色の瞳ながらも、瞳孔が縦に裂けた獣の眼差しを向けている事は源吾郎には明らかな事だった。

 半妖やその子供の場合、人間の血が混ざっているという事実からは逃れられない。しかし妖力を増す事により、後天的に妖怪と見做される事自体は可能だ。普通の人間であっても、妖怪化する事はままあるのだ。片親から妖怪の血を受け継いでいる半妖たちが、純血の人間よりも妖怪らしくなる事は何もおかしな話でも何でもない。その一方で、妖力の少ない半妖たちが、人間と同じかそれより少し長い程度で生涯を終えていくのもまた事実である。


「雉仙女様の許での仕事は大変かしら?」

「割と楽しいよ。そりゃあ、就職してすぐだから大変な事もあるけど……」


 仕事や修行を「楽しい」と言ってしまうのは不適切かも知れない。だが三花は源吾郎の言葉を聞くとさも安堵したような表情を見せたのだった。


「源吾郎が楽しそうにやってるって聞いて安心したわ。兄弟の中でも一番甘えん坊だと思っていたからね。それに何より、お母様と雉仙女様の間で取り交わされた盟約が、源吾郎によって実現した訳だから」


 母の言葉に源吾郎は短く息を吸った。源吾郎はおのれの意志で紅藤の許に弟子入りしたのは事実だ。しかしその背後には、祖母たる白銀御前と紅藤の間に交わされた不確かな盟約と、玉藻御前の系譜を取り巻く数奇な運命がもたらした大いなる結果があるのだ。


「私の弟妹……叔父さんたちや叔母のいちかが雉仙女様からは距離を置いてそれぞれ独立している事は源吾郎も知ってるでしょ? もし私の子供たちが、誰も雉仙女様の弟子入りを望まなければ、その時は私があのお方の弟子にならないと、と思っていたの。ああ、だけど心配しないで。その場合は、幸四郎さんをきちんと見送ってから弟子入りしようと思っていたから」


 口にする言葉が出てこずに手のひらを握りしめていると、獣の瞳のまま母は言い足した。


「今だから本当の事を言うわ、源吾郎。お母様が雉仙女様と盟約を交わした時、敢えて揃いづらい条件を提示して、成立しても成立しなくても問題が無いようにしていたのは知ってるわよね。

 私はお母様から聞かされたから盟約の事も知っていたわ。だけど、考え方だけはお母様と違ったの。玉藻御前の子孫の一匹を差し出すという盟約は、とね。雉仙女様は何度も私たちにそれとなく接触して機会を窺っていたし、私も弟妹達や私の家族の事が落ち着いたら弟子になろうと思っていたもの――結局のところは、源吾郎が雉仙女様の許に弟子入りしたから、色々と落ち着いた形になったけれどね」


 やっぱり母様は色々な事を知っていたのだ。短い間感慨に耽っていた源吾郎はふと顔を上げて思った事を口に出した。


「お母様が白銀御前様と紅藤様との盟約については……知っているって事はうすうす解っていたんだ。だけど、母娘でも捉え方が違ってたのにはびっくりしたよ。

 それにしても、紅藤様は未来を見通す能力を持ち合わせておられたのかな? それとも、『何としても玉藻御前の末裔を手に入れる未来を引き寄せた』とか?」

「それはお母さんにも解らないわ」


 源吾郎の意見と問いかけに対し、半ば目を伏せつつ三花は応じた。容貌は夫である幸四郎に合わせて中年女性の姿を取っているものの、少女らしいお茶目さが見え隠れしていた。


「源吾郎。何のかんの言っても私は玉藻御前の孫って言うだけのしがないおばさん狐に過ぎないわ。他人の考えている事や秘密の能力についてまで見抜くなんてどだい無理な話なのよ。

……雉仙女様が未来を見通す能力があったのか、それはイエスかも知れないしノーかも知れないわ。九尾でさえ斃せるほどの実力と妖力の持ち主だし、あのお方は胡喜媚様に仕えていたという事だから」


 母は意味深に言葉を切ると、口許にうっすらと笑みを浮かべた。


「未来視はさておき、今後起こりうる運命の操作については、私よりも源吾郎の方が詳しいんじゃないの?」

「うっ、まぁ……そうかも」

 

 唐突な母の問いかけに、言葉を詰まらせながらも源吾郎は呟いた。

 玉藻御前の血を色濃く引いた源吾郎。多くの妖怪たちは、彼が変化術に秀で、稚拙ながらも狐火や尻尾の操作などの攻撃術も多少は嗜んでいる事を知っている。しかし、源吾郎の持つ能力はこれだけではなかった。

 源吾郎が保有するもう一つの能力。それは未来操作・運命操作とでも言うべき代物だった。内容は非常に簡単である。これから生じる出来事に対しておのれが望む結果を脳内でイメージする。それだけで簡単に能力は発動され、源吾郎が望む結果を得る事ができる。能力を行使した後は目がショボショボしたり耳の奥が膜が張ったような感覚になったりする程度の副作用で済む。強い疲労感や苦痛を伴う事も無い。かつて紅藤はおのれが大妖怪になったのは「チート」によるものだと明言していたが、源吾郎の持つこの能力も十二分にチート能力と呼ぶに相応しい。望む未来を手繰り寄せられるのならば、正道では不確かな栄光を簡単に勝ち取る事も出来る。それに何より運命の自然な流れをねじ曲げておのれの欲するものを得る行為は、イカサマ野郎の行為と言っても問題なかろう。

 ちなみに源吾郎は世界征服やハーレム構築というおのれの野望を叶えるにあたり、この能力を行使する気は。幼く分別も未熟だった頃にはこの運命操作を何度か使った事があったのだが、この能力の真の恐ろしさを十二分に知ったのである。

 運命操作を使えば、確かに源吾郎が欲する物を手に入れる事は可能だ。しかしその直後に、のだ。


 保育園児だった源吾郎は、能力を使って福引で仔犬のぬいぐるみを得た。しかしこのぬいぐるみが発端で園児同士で争いが勃発し、結局ぬいぐるみは保育園に寄贈された。

 小学生だった源吾郎は、能力を使って給食のプリン争奪戦の勝者となった。しかしすぐに食べ過ぎで気分が悪くなって早退し、翌朝まで寝て過ごさねばならなかった。午後の授業は源吾郎が心待ちにしていたモノがあり、ついでに言えば家族の夕食はごちそうだった。

 中学生だった源吾郎は、能力を使って十万円の宝くじを引き当てた。しかし直後に瀕死の仔猫が遺棄されているのを演劇部員が発見した。源吾郎は仔猫三匹の治療費として、宝くじで得た賞金と蓄えていた全財産の八割を提供せねばならなかった。仔猫は皆奇蹟的な快復を遂げた。


 宝くじと仔猫の件があってから、源吾郎は運命操作の能力を使わないという選択をごく自然に受け入れるようになった。イカサマで望む物を得る事が悪い事だと自覚したというよりも、目先の欲求にくらんで振るった能力がおのれに牙を剥くという事実におののいたためだった。恐ろしい事に、能力で得た物の価値の大きさと損失の大きさは比例しているのだ。おのれの野望を叶えるために使った場合、一時の栄華に酔う事が出来てもすぐに破滅と言う名のしっぺ返しが容赦なく源吾郎を襲うのかもしれない。

 一つ救いなのは、源吾郎の中にある運命操作の能力が、その能力を使いたいと強く願わなければ発動しない事であろう。使おうと思わない限り、この能力が牙を剥く事は無く、源吾郎も運命の流れなど気にせずにいられるのだ。


「私たちにとって大切なのは今とこれからの事よ。過去について気になる事があるかもしれないけれど、自然な流れであれ誰かの作為の賜物であれなるべくしてなった事柄なんですから」

「まぁ確かにそうかも」


 呆れともつかぬ妙な感覚を漂わせる母の言葉に源吾郎は素直に頷いた。妖怪たちは確かに、おのれの持つ妖力のエネルギーを行使する事で不思議な現象を起こす事が出来る。しかしながら、一般妖怪は元より大妖怪や妖怪仙人と言った上位の存在であってもできる事には限界はある。さもなくば、どうして大妖怪だった玉藻御前は那須野の僻地で今も封印され、彼女を義姉と慕っていた胡喜媚は狂い死にしたというのだろうか? 玉藻御前も胡喜媚も取るに足らぬ雑魚妖怪などではない。玉藻御前は三千年前には既に九尾であり、胡喜媚にはそれこそ時間を操る能力があったとされるのだから。

 一瞬だけ自分の曾祖母や雉鶏精一派の初代頭目に思いをはせていた源吾郎は、左手で右手を撫でながら思い切って母に尋ねてみた。


「そうそうお母様。実家に戻る途中で銀色の九尾を見たんだけど」


 母は驚いたような反応を見せたが、言葉は無かった。眉を寄せ思案する素振りが見えている。末息子の発言に心底驚いているようだった。


「珍しいというか、珍しいって陳腐な言葉で済まされないほどの珍しさねぇ。近所にいる刑部姫は九尾じゃあないし、ここからすぐ近くに住んでる九尾様って、伏見の重役くらいしかお母さん思いつかないわ」

「九尾は男だったんだ。だからまぁ少なくとも刑部姫じゃないよ」


 身を乗り出して母の言葉を待っていると、心当たりがあるのか、思案顔のまま母は口を開いた。


「もしかすると、大陸にいる私たちの親戚かも知れないわね」

「え、親戚だって」


 思いがけぬ言葉に源吾郎は目を見張った。玉藻御前の系譜は、桐谷家と島崎家のみだと源吾郎は思っていたのだ。自分たちの系譜をさかのぼれば玉藻御前に行きつくが、玉藻御前の子である白銀御前に兄弟がいるという話は特に聞いていない――それ以前に、白銀御前と会う機会すら少ないのだが。


「私も詳しくは知らないけれどね。玉藻御前って元々は妲己とか華陽夫人とかって呼ばれていて、大陸で活躍していたでしょ。その時に出来た子供が……源吾郎にとっては大伯父とか大伯母にあたる存在がいるとかって言う話を、お母様から昔聞いた事があるのよ。有名どころだと玉面公主になるわ。お母様の、白銀御前様の異父姉になる方だけど、父親が万年狐王って言うお方で、玉藻御前に匹敵する、いえそれ以上の大妖狐だったそうよ。

 その玉面公主様も牛魔王様と結婚なさっているから、その子孫の誰かがこっちにこっそりやって来たとかかしらね。あ、でも牛魔王様の血も入っているから、角とかも生えてるはずよね……」


 母の口から飛び出してきた大妖怪たちの名前に、源吾郎は驚き興奮し頬を火照らせていた。西遊記や封神演義も勿論読み込んでいた源吾郎であるから、玉面公主の名も知ってはいる。しかしまさか彼女が玉藻御前の娘、要は源吾郎の大伯母にあたる存在であるとは。

 源吾郎の驚いた表情に気付いた三花は、一度言葉を切るとにこりと笑った。


「まぁ、遭遇した九尾が誰かって言うのも、そんなに考えなくても良いかもしれないわ。大妖怪が悪意を持って接してきた場合、私たちにはなす術も無いんだから。

 それでも源吾郎が特に何事もなくうちに戻って来たって事は、九尾様も特に悪い事をしようとか、そういう意志が無かったって事よ」


 そうなんだ、と母の言葉に応じようとしたまま源吾郎は固まってしまった。ある意味真理を突いた言葉だと思ってはいるが、見え隠れする前提条件がいささか物騒すぎる。

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