隘路の誘惑

「いやぁ、今日は本当に楽しかったよ」


 港町の中心地。ゲームセンターとカラオケに挟まれた往来で源吾郎はツレたちに向かって声を張り上げていた。ツレたちは野柴珠彦を筆頭に妖狐たちである。彼らはおおむね色白なのだが、今は夕刻の陽に照らされて赤っぽく見えた。


 実家にまる一日滞在しDIYの手伝い等の家族サービスを終えた源吾郎は、再び自分のねぐらに戻っていた。今日は珠彦と遊ぶ約束をしていたので、昼から彼の仲間たちと合流し繁華街の中をぶらついていたのだ。

 遊ぶ資金を潤沢に持ち合わせている訳ではないが、しかし仲間たちとの遊びは本当に充実した物であった。ゲームセンターをぶらついたりカラオケで歌ったり面白いグッズが売っているお店に立ち寄ったり(源吾郎はここでちゃっかり庄三郎に渡すためのアクリル絵の具を買い漁った)公園に寄って鳩や鴉にちょっかいをかけたりして五月の長い午後を愉しんだ。

 まことに男子中学生や高校生が興じるような遊びだったのだが、源吾郎はそれこそ好奇心旺盛なコツメカワウソよろしく心底楽しみ、珠彦やその仲間らに付き合った。珠彦や他の妖狐らのような「社会妖しゃかいじんの先輩」と異なり、源吾郎は就職したばかりで休みの日に遊ぶ事もここ一か月半は無かったのだ。無為無趣味に過ごしていたわけではない。仕事に慣れる事と独り暮らしであれこれやる事が多く、遊ぶ時間と気力を得る事が出来なかっただけだ。紅藤やその先輩たちと働いている時には気付かなかったが、研究センターでの業務にて気を張っていたのだと、金曜日の夜や土曜日の遅い朝に思い知った。

 ツレたちはいずれも男子のみで女子の気配は無かったが、男子ばかりのグループというのも気楽だった。中学高校共に女子が多い演劇部に所属していた源吾郎は、男子が女子の会話に入る事の大変さをよく知っていた。モテる為にと女子の多い部活に入部し、乙女心を把握し女子力を磨くため(?)にと彼女らの喜ぶ事が何であるか実地でリサーチした源吾郎であったが、彼女らの会話に加わり当たり障りのない返答を行う事がしんどいと思った事がしばしばあった。なお、演劇部の女子達の誰かと恋愛関係になったとかいうラブコメ的展開は言うまでもなく皆無である。源吾郎は確かに演劇部の女子達と良好な関係を築いていたが、それはあくまでも性別を度外視した、同じ目標に進む仲間という意味合いの親しさであった。とはいえ源吾郎の演劇部での活躍は全く無駄だったわけではない。力を持つ女子達の群衆の中で孤軍奮闘する源吾郎の姿は、演劇を志す幼い少年たちを知らず知らずのうちに後押ししていた。中学であれ高校であれ、源吾郎のすぐ下の学年から、演劇部に入部する男子生徒らが出現し始めたのである。


「今日はありがとう島崎君。僕も、島崎君と遊べて楽しかったっす」


 源吾郎の言葉にまず応じたのは珠彦だった。彼は血色の良い頬を喜色に火照らせている。珠彦とは連休前の訓練で激闘を繰り広げた間柄だったが、今ではすっかり友達同士になっていた。妖怪の暮らしを知りつつも妖術の不得手な珠彦と、巧みな妖術を振るいつつも妖怪の暮らしを勉強中である源吾郎は、互いに無いものを補い合う存在としてはある意味うってつけなのかもしれない。

 珠彦の言葉に触発され、ツレたちも口々に感想を言い出した。


「玉藻御前の末裔だって聞いてたけど、気さくで面白かったよ」

「カラオケでは盛り上がったよなぁ。まるっきり可愛い女の子になってくれたし」

「フミアキのやつなんか彼女がいるのに鼻の下伸ばしてたよなぁ」

「また機会があった遊びたいな」


 機会があれば誘ってくれよ。源吾郎は片手を上げながら珠彦やツレたちに言った。カラオケに入ったおり、源吾郎は自身の変化術を発揮し、珠彦や他の若き野狐たちを驚かせた。すなわち源吾郎の十八番である美少女変化である。

 珠彦とツレたちの驚きよう、テンションの上がりようは当事者たる源吾郎の予想をはるかに上回るものだった。そりゃあまぁ珠彦たちは人間で言えば十代半ばから後半ほどであるから、ある程度は女の子に興味はあるだろうと踏んでいた。しかし実際に源吾郎は襟付きワンピースにカーディガンを羽織った姿の、さも清純そうな少女に化身すると、彼らはトップアイドルが降臨した場に居合わせたのかというほど驚き、騒いだのである。源吾郎は性別的にも性自認的にも男なのだが、男子が思う女子っぽい振る舞いを行う事も可能だ。それもまた、若き野狐たちの驚きと称賛を得た事になるのだ。源吾郎にとってもまんざらでもないひとときだった。



 別れのあいさつを終え、皆が駅に向かってぞろぞろと去っていくのを源吾郎は静かに見届けた。珠彦も仲間の野狐たちも夕方になったのでそれぞれ家に帰っていくとの事なのだ。妖狐は割合社会的な性質を持つ妖怪であり、生後数十年から六十年程度の若い妖狐であれば親兄姉と共に一緒に暮らしている事も珍しくはない。現に珠彦も、稲荷神に仕える弟たちと共に両親の実家で寝起きし、更には近所に父方の親族も居を構えているという状況らしい。もちろん、妖狐の中にも若くして放浪の旅に出たり、独り暮らしを敢行したりする者もいるのだが。

 さて親兄姉から離れ独り暮らしを満喫している源吾郎はというと、皆を見送りつつも帰るつもりはさらさらなかった。仲間との遊びがひと段落したところであるが、源吾郎の心の中にある情熱の焔は、今再び燃え上がっていた。

 源吾郎は迷惑にならぬよう往来の脇によるとダークグレイのジャケットの胸ポケットを慎重に探った。折りたたんである度なしのサングラス(源吾郎は元々眼鏡をかけていたが、就職を機にコンタクトに変えたのだ)をやけに気取った様子で装着した。

 狐目と言うにも余りにも細すぎる源吾郎の眼であるが、グラサンをかければもはや無問題だ。源吾郎は一気にニヒルでハードボイルドな物語の主人公になった気分になり、桃色の唇を薄く引き伸ばし、笑みを作った。

――おっしゃ、これからはナンパの時間だ。待ってろよ俺のカワイ子ちゃんよぉ!

 常人ならば恥ずかしさで卒倒不可避な文言を頭の中でそらんじつつ、源吾郎はマウンテンゴリラよろしく歩み始めたのだ。

 この港町には野生のナンパ師がいる事は源吾郎も良く知っていた。ナンパ師が群れをなしてうごめいているという事は、ナンパ師が求める娘たちも大勢いるという事であろう。まぁ、中には少年や青年を欲する者もいるかもしれないが、そういう手合いは萩尾丸くらいで十分だ。

 

「はぁ……おかしいのう」


 齢十八にしておっさんみたいなセリフを口にした源吾郎は、洒落た服屋の前で歩を止めた。服を購入して挑もうと思ったわけではない。丁度入り口付近に姿見があって、そこで自分の姿を確認したくなっただけだ。

 意気揚々とナンパを行おうと思った源吾郎だったのだが、現時点では全くもって徒労という他なかった。港町の繁華街だけあって女子達は多かった。華やかな雰囲気の女子大生っぽい感じのも、瑞々しい女子高校生っぽいのも、若いというよりあどけない女子中学生っぽいのもだ。しかし彼女らは源吾郎をあからさまに避けた。しかも静電気でビニールの束が逃れていくような実にナチュラルな動きで、である。

 姿見に映ったおのれの姿に、源吾郎は愕然とした。衣装はシンプルを通り越して洒落っ気のないモノトーン、色白の面に怪しく光るサングラスは、まぁ控えめに言っても不審者めいた風体だ。用心深い女子達がナチュラルに避けるのも無理からぬ話だと、おのずから悟ってしまった。

――なんてこった! 俺めっちゃ不審者じゃねぇか。うわ恥ずかしい、切腹してぇー

 羞恥心が極まって思考に若干のバグが生じてしまったが、まぁ月に一、二回はある事なので問題は無い。ついでに言えば源吾郎は熱しやすく冷めやすい性質であり、烈しい感情に突き動かされていても数秒と経たぬうちにけろりと落ち着いたりする事も珍しくない。


「…………?」


 案の定、源吾郎の切腹レベルの羞恥心もすぐに霧散した。おのれの斜め後ろに誰かが立っているのを、姿見によって確認したのだ。


「こんばんは、おにーさん」


 源吾郎に呼びかけるのは、愛らしく清らかなソプラノであった。声の主は見たところ源吾郎よりも二、三歳ばかり年下の少女のようだった。衣装は白いブラウスにダークグレイのロングスカートと簡素ないでたちだ。しかし金の鎖に繋がれた、七つの小鳥の頭のような奇妙な首飾りをさも当然のように身に着けている。

 源吾郎は少女をまじまじと見つめていた。何か言う前に、彼女の方が口を開いた。


「おにーさん、ずぅっとボクに熱い視線を送ってるけれど、おにーさんってもしかして、男の子でもイケる口なの?」

「…………」

 

 何だ男かよ。心の中で強く思ったが言葉にはしなかった。源吾郎も散々少女に化身して遊び回った後だから、異性に化身している相手を非難するのはよろしくないと思っていたのだ。

 そうしているうちに、少女は青年の姿に変わっていた。ワイシャツに黒いスラックス姿になったが、首にかけた奇妙な首飾りはそのままだ。


「おにーさんは玉藻御前の末裔でしょ? そんなところでしょんぼりしてて可哀想だね」


 あまり可哀想に思っていなさそうな口調で青年は言うと、何処からともなく名刺のような物を取り出した。状況が解らずへどもどしている源吾郎に対し、半ば押し付けるような形で差し出した。


「しょんぼりしているおにーさんに教えてあげる。ここから二十ヤード(約十八メートル)先をまっすぐ行くと、面白いクラブがあるよ。それは優待券。色々あって持ってたんだけど、おにーさんにあげる」


 青年がさし示した先を源吾郎はぼんやりと眺めた。その先には薄暗い路地裏しかないように見えた。だが青年の堂々とした物言いのために、素晴らしいクラブとやらがあるような気もしてきたのだ。


「さぁ、ぼんやりしてないで行っておいで。青春は儚く少年はすぐにジジィになっちゃうんだからさ」


 青年の言葉に源吾郎はちいさく頷いた。優待券とやらには店名と思しき単語が、けばけばしいフォントで印字されていた。

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